まだまだ道半ばだけど、東京時代と比べたらとても恵まれた生活をしている
以前に、どんな環境でも生き抜ける強い個の力を持って大自然の中で暮らすことが理想だということを書きました。
https://note.com/sumi1624/n/n0c8fee8f110b
最終的な理想形と比べて今現在の暮らしはどうかというと、もちろんまだまだ道半ば。
住んでいる家は都市部のマンションで、都市ガスの恩恵にあずかって料理を作り、今日も舗装路の上で快適に車を走らせています。
では、今の暮らしぶりを見て、「全然理想からは程遠いじゃないか!」と嘆いているかというと、もちろんそんなことはありません。
むしろ大いに有り難みを感じる日々です。
東京では当然だったことを排除できる生活
なぜ日々に有り難みを感じられるか。
それは間違いなく、東京では避けようのなかった物事から解放されたからです。
まず圧倒的に大きいのが通勤ストレス。
たった15分の乗車でも心身を蝕む満員電車に乗らなくていい。何なら電車そのものに乗らなくていい。お互いにピリピリした空気感の中で1日の始まりを不快感に包まれながら生活しなくていい。
これだけでQOLは劇的に向上します。
次に暑さ。半端ではない蒸し暑さ。
私はそもそも人一倍暑さが嫌いです。そこに湿度が上乗せされた東京の夏なんてもう最悪の極みです。しかも最近はその夏がどんどん長くなっている…。
ところが、東京を出て地方の都市へ移住したことでこのストレスが大きく低減しました。
今暮らしているのは北国の都市のため、冬の寒さは東京を大きく上回るものの、あの永遠のように続く蒸し暑さから解放されました。移住して最初の夏は、湿度の低さと最高気温の低さ、そしてそもそも夏日を超えるような日数の圧倒的少なさに感動して涙しました。
よく、地方移住の失敗談みたいな記事のなかで、「地方移住の目的に、現状の不満からの逃避を据えるな」というような主張をよく目にしますが、満員電車だとか夏の酷暑だとか、そもそも人生のQOLを下げるもの、かつ地理的移動を伴わないと解消できないものに関しては、「逃避」目的での移住は大アリだと思っています。
既に過度な消費社会から距離を置けている実感
続いて、「なるべく多く稼いでモノを買うこと=豊かさ」という都会的な消費ベースの生活から、既に距離を置けていることも、今の暮らしに有り難みを感じる要因の一つと感じています。
その最たるものが食材です。
たくさん稼いで高級レストランで美味しく華やかな料理を食べることももちろん豊かな生活の一例だと思います。私も、優雅さの中に充実感を感じます。
それはそれとして、日々の食生活を成す食材たちを全部ではないにせよ、「消費」の外で確保できることにもまた充実感を覚えます。
野菜は借りた畑で栽培・収穫し、魚は知り合いの漁師さんからお裾分けしていただき、山菜なんかは野生のものを摘んできたり。
今は週末に少し足を伸ばして都市部から抜け出し、田舎のコミュニティに部分的に参加させてもらっている程度ですが、それでもこれだけ、東京時代とは異なる生き方をできています。
食材だけでなく大工仕事何かでも似たようなことを感じます。
大都市部に比べると、ちょっとした家具製作とか家の補修とか、そういった大工仕事ができる人が非常に多い。クルマの部品交換なんかをできる人も多い。そもそも基本的な道具を揃えている人が多い。
新たに家具が必要になったり壊れたりした際に、完成品を購入する・サービス料(修理代)を払うという以外の選択肢が当然にあるということです。
そんなところに、地方に暮らす人々の逞しさを感じるし、私もそういう方々と多く接することでノウハウを学ぶことができています。
大自然の中の小屋暮らしでなくても、大都会を離れるだけでここまで暮らしの在り方が変わり、過度な消費社会から離れることができるのです。
これはそのまま、リアルに生きている実感に繋がっている気がします。
東京の友達が見たら驚くような生活がもう始まっている
東京を離れたとはいえ都市部に暮らし、仕事も同業界での転職、名前を知らない人は居ないような大きな街に住んでいます。
だからきっと、東京時代の友人たちは、私の暮らしがそこまで劇的に変わったなんて想像はしていなかったはずです。
けれども、今回改めて振り返ってみると、もうすでに驚かれるほどに暮らしの在り方が変化しているなと感じました。
それは、自分が理想と考える暮らしへ着実に進めていることの実感と同義です。
まだまだ東京の頃の生活を懐かしんだり、活躍している元同僚の話を聞いて複雑な感情を抱いたりする時も在りますが、今のこの現状に感謝して、更に理想へ向かって自分は自分ならではの歩みを進めていきたいなと思います。
