10年前に家系図を作ってみた経験を振り返る
なんだか家系図を作ることが流行っているようなので、そういえば昔作ったな・・という思い出を振り返ることにしました。
私は自分のルーツを知りたいと考え、自分で調べられる範囲で家系図を作ってみた経験があります。
当時はまだ祖父母が健在だったため、祖父母の意見や話を聞きながら作業を進めました。
自分で作れる範囲の家系図で良い場合は、本籍地の市役所で「戸籍謄本(戸籍全部事項証明書)」を取得すれば、ある程度の時代まで遡れます。
我が家の場合は、江戸末期まで遡ることができました(記憶違いがあったらすいません)
私が目標にしていた「屋号(田舎で苗字の代わりに使われている家の名前)の元になった人」も見つけられました。
我が家の屋号は「士郎七」または「葛餅屋」です。
江戸時代から昭和まで代々葛餅屋を営んでいたこと、あとは屋号の元である士郎七さんの名前の両方が屋号として残っていたようです。
ちなみに士郎七さんは、士郎さんの七番目の男児だから士郎七という名前らしいです。(代々受け継がれてきた話)きっと志郎七さんも、令和になっても自分の名前が残っているとは思わなかったでしょう。
家系図を作ってみて驚いたこと
家系図を作ったこと自体が10年も前だし、そのデータも無くしてしまいました。
でも、私にとっては貴重な経験だったので、よく覚えていることがあります。
出産回数と亡くなる子供が多すぎる
「昔は栄養や感染症などのせいで子供が育ちにくかった」そのくらいの知識は私も持っていましたが、いざ家系図で見てみると・・
こんなにも子供が簡単に死んでしまうものかとショックを受けました。半分は大袈裟だけど、4分の1位は亡くなってない?という印象です。
七五三を盛大に祝っていた理由も分かりますよね。
調べてみると、明治時代で10人に1人、江戸時代では5歳までに20〜25%もの子供が亡くなっていたようです。
そして、子供を産む数も多い!想像以上!
我が家は代々商いとともに農業もやっていた人手が必要な家系だったから?なのか、6人兄弟は普通で8人子供を産んでいる方も何人か存在しました。
お嫁さん選びが雑なのと近場で結婚し過ぎ
これは、昔の田舎あるあるかもしれませんが、とにかく親戚と結婚させる文化が根強かったようです。
「血縁の維持を目的として」昔の日本ではよくある風習だそうですね。
そしてまた驚いたことに、家系図中に3回も同じ名前のお嫁さんが存在するんです。彼女の名前は「コウ」さんでした。
時代が違うはずなのに不思議に感じて祖父母に確認したところ、一代目「コウ」さんが働き者で、さらに健康な子供をたくさん産んだから積極的に次の世代からも「コウ」という名前の女性を嫁に取ったそうです。
なんて雑な嫁選び・・・。
婿養子が多い
実家は先祖代々同じ土地に住んでいる人が多く古い集落です。
昔から「男児が産まれない祟りがある」と噂されるほど、男児が産まれにくいんですよね。
産まれても死んじゃったりね。
そんなわけで、我が家の家系図はお家の存続を目指した婿養子ばっかりです。なんとか頑張って維持してきたのね・・という印象です。
これは余談ですが、私の代も男児は生まれず私が旦那には婿養子になってもらいました。
時間ができたら家系図づくりに再チャレンジしたい
当時私は寝ない子を育児していたもので、とにかく時間があって仕方がなくチャレンジした家系図づくり。色々な発見があって楽しかったことを覚えています。
正直今はそんな時間がなかなか作れないけれど、いつかまたチャレンジしたいなと思っています。
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