華厳における縁起とは―『空の構造』を読む(20)
はじめに
立川武蔵『空の構造 「中論」の論理』(講談社学術文庫、2024)を読む。文庫としては新しいが、原書は1986年に出版されている。
仏教における「空」の理論は、龍樹菩薩(ナーガールジュナ)によって整備された。大乗仏教の最初期における経典として般若経の系統があり、それは長期に亘って拡充されてきたのだが、その初期段階(紀元後150〜250年頃)に龍樹が『中論』という論書で論理的な構造を理論化したのだった。仏教にみられることばの論理的なパターンを、空思想的に意味と合わせて整理したと考えた方がよく、その後のあらゆる大乗仏教の基になっているといえる。つまり、インド地方・東南アジアではなく、主に北方に広がった仏教の元といえるかもしれない。
本書は、その『中論』の論理を解釈している貴重なものだと思える。そもそも仏教の論理には、近代の数理論理学で言われる論理とは異なり、「論理を超えた論理」に特徴がある。禅の公案では、その作用を合理的に利用する、ある種別の論理の読み方があるのだが、一般的には、言語や論理を破壊することでさとりを図るといわれる。しかし、そもそも禅の以前に、仏教にはそのような、文の構造的に特別な読み解き方をするところがあるのだ。
とても興味深い内容である。
本書は2章で構成され、節は全部で12節ある。ページ数こそ170ページと少なめだが、内容、その密度はなかなか濃い。今回は第2章「『空』の構造」、9節「『俗なるもの』の聖化(二)」を、前回の続きから読む。
第2章9節 「俗なるもの」の聖化(二)(続き)
『華厳五教章』における六義
前節では四句分類を大乗仏教の歴史的観点から、特に『金剛般若経』の例を中心に説かれたのであった。ただ、日本では四句分類といえば華厳教学による考え方がよく知られているということであった。本節ではその華厳教学との関係について、解説が進められるのである。
法藏(643−712)の『華厳五教章』は華厳教学の概説書である。中国および日本では華厳教学のテキストである。この書の終わり近くに「縁起因門六義法」という章がある。この六義とは因のあり方を6つに分けたものであるが、この「六」が四句分別の「四」と密接に関係する。
法藏は、因(原因)を考察する際、「体」と「用(ゆう)」という中国的思惟の水平(領域)を用いる。体とは物が存在するための「質量の場」であり、実体である。用とは、体のあるところ、場における作用・機能であり、働きである。
原因の体に「空」と「有」との2種が考えられる。「空なる原因体」とは、縁起によって生じているものは無自性であり空であるという側面から捉えられた原因体である。一方、「有なる原因体」とは、縁起によって生じているものは仮に言葉によって存在せしめられているという側面から捉えられた原因体である。
用(あるいは力用)には有無の2種が考えられる。「原因の体において用が有である」とは、原因の身に結果を生む力が十分あるか、あるいは原因と条件(縁)との両者が相資して結果を生む場合を意味する。「用が無である」とは、原因に結果を生む力がないという意味である。
原因が、他の存在、つまり縁(条件、結果)に依存しない(不待縁)か、依存する(待縁)かによる分類も行われる。不待縁とは他の存在を待たずに結果を生み、待縁とは原因と条件が相資して結果を生む場合を意味する。
こうして、原因を体(場)の空・有、用(働き)の有・無、待縁・不待縁の観点により6つのケースに分けたものが「六義」(りくぎ)と呼ばれる。『五教章』では次のように表現される。
一には、空 有力 不待縁。(イ)
二には、空 有力 待縁。(ロ)
三には、空 無力 待縁。(ハ)
四には、有 有力 不待縁。(ニ)
五には、有 有力 待縁。(ホ)
六には、有 無力 待縁。(ヘ)
法藏はこれらの六義に名称を挙げて説明する。
(イ)「刹那滅」
諸々のものは瞬間瞬間に滅し、生じる。ここでの「原因」は不変な実体(自性)を有しない。すなわち原因は無自性であり空である。自力で結果を生むので用は有であり、縁を待たない(不待縁)。
(ロ)「果倶有」
原因が結果を伴っているという原因の在り方。結果を伴うので用は有。結果によって因が存在しているという意味で体は空。結果とは原因のための縁でもあるので待縁となる。
(ハ)「待衆縁」
原因からものが生ずるのではなく、諸々の縁を待つという意味。原因の体は空、用は無、待縁となる。
(ニ)「性決定」
原因には善・悪・無記の3種の性質があるが、善因善果というように、原因から性の決まった結果が生ずるときの原因の在り方が「決定」と言われる。つまり原因はそれ自体の存在が前提とされ、その「性」を変えないので、原因の体は有。用は有で、不待縁である。
(ホ)「引自果」
仏教の基礎とされるアビダルマ哲学では、世界を色法(物的存在)と心法(心的存在)とに分ける。色法の結果は必ず色法の結果を生むというように、原因が同じ「法」の結果を生ずることを「引自果」という。よって体は有であり、用も有である。この場合、原因は「増上縁」を待つので待縁となる。なお、増上縁とは、結果を生むことに対して積極的には障害とならないという意味での条件(縁)として作用するもの、ということである。(※きっかけは必要だということだろう。)
(ヘ)「恒随転」(ごうずいてん)
原因が常に他のものに随って存続する場面を指す。縁起によって我々の眼前に存在しているかのように現れるものは、「仮説」であっても、存在しているという意味で、体は有である。またここでの原因は、種子とか無明とかいうようなさまざまな他者に依存して存立する故に待縁であるが、それ自体に恒常不変な働きはないので用は無である。
法藏はこの根拠を『摂大乗論』に求める。よって原因の6つの形態は、既にインドの唯識派の中で考えられたものであり、それを法藏が体と用という中国的な分類の枠で理解し直したものになる。
2通りの分類が3つあるので、全部で8通りとなるはずであるが、すべてを列挙する必要はないとされる。用が有はイ、ロ、ニ、ホの4ケースだが、無はハとヘの2ケースのみなのだ。「空 無力 不待縁」(ト)と「有 無力 不待縁」(チ)は六義から外されるが、これは「無力 不待縁」の場合は原因として成立しないという判断からである。
著者によれば、「八義」ではなく「六義」としたところに法藏の理解があり、『中論』における四句分別と『五教章』における四句分別が根本的に異なる点もここにある、という。法藏は六義を四句分別の形式にあてはめたのであった。どのような関係かについては次回以降で解説が進められる。
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