日本では落とした財布が戻ってくる?
夫が毎朝、YouTubeを見ながら英会話のレッスンをする。
その中のワンフレーズに「日本は落とした財布が戻ってくる」と言うのがあった。果たして、今の世の中そうだろうか?
私は自分がなくした財布のことを、今でも思い出す。
もう10年以上前の出来事だが、未だにあの財布には未練がある。
自分へのご褒美として奮発して買ったルイ・ヴィトンの二つ折りの財布であった。
ある金曜日、職場のロッカールームで1週間の仕事を終え、ホッとして家路を急ぐ気持ちの中で起こった出来事だ。
ロッカーからバッグを出して、ロッカーの後ろの長テーブルの上に置いた。なぜその時、バックから財布を出したのかは覚えていないが、8000円という金額は、はっきり覚えているから財布を取り出したことには間違いない。
バッグにしまわず、バッグの横のテーブルに置いたまま、バックだけを持ってロッカールームを出た。財布がないことに気づいたのは日曜日、買い物に行こうとしたときであった。
「きっとロッカーのテーブルの上だから、誰かが総務に届けているはずだ」と、どこかで安心していた。だが月曜日に総務部へ行っても届いていなかった。総務の若い女性は「ロッカーに忘れていたら必ず誰かが届けてくれているはずです。別の場所で落としたのでは?」と言い切った。
そんなわけはないと思いながらも、自分でも考え直し、駅までの途中に落としたかもしれないと勤務先から一番近い交番に届けた。
財布の中身は現金8000円だけではない。免許証、クレジットカード2枚、
銀行カード2枚が入っていた。そして何より、私にとって財布そのものが大事だった。カード会社、銀行カードは紛失届で利用停止にした。「8000円は持っていっていいから、お財布だけ返してほしい」という泣きたい気持ちを抑えながら…
それから1か月後、警察から電話があった。ある駅で私の免許証とクレジットカードがまとめて捨てられていた、という。しかし財布は戻ってこなかったのである。
自分の行動を考え直すなかで、ロッカールームを出る時に別の部署の女性とすれ違ったことを思い出した。親しくはないが、顔を合わせればにこやかに挨拶をする。その日も「お疲れ様」と互いに言って、私はいそいそとロッカールームを出た。財布がなくなってから廊下で彼女とすれ違っても、社食で見かけても、彼女は私と目を合わせるのを避けるようになった。
「え?なんで?」と思い、またあの金曜日を考えたのである。
彼女はしばらくして急に職場を辞めた。考えたくなかったが、どうしてもある想像に行き着ついてしまう。
私にとって忘れられないこの出来事は、別の誰かの苦しい出来事になっているのではないかと思うとまた悲しくなるのである。
「無くした財布は戻ってこないよ。」
そう呟いた朝だった。
