前回のお話▼
放課後の美術室。
西日が差し込む室内は、
キャンバスの油絵の具と埃が混ざり合った独特の匂いに満ちていた。
昨日、非通知の電話が指定してきた場所。
そこにはすでに全員が揃っていた。
一華、美月、詩織、ひなた、
そして睦月と私。
誰もが互いと距離を置き、
冷たい沈黙を守っている。
「……ねえ、誰も来ないじゃない」
美月が沈黙を破り、
不機嫌そうに言った。
指定時間を五分を過ぎている。
「あの電話自体、誰かの悪質な悪戯だったんじゃないかしら」
一華が冷ややかに周囲を見渡す。
「ボイスチェンジャーを使った自作自演のね」
「自作自演って、一ノ瀬先輩のことじゃないんですか?」
ひなたが低く笑う。
「昨日『下駄箱の前で何をしてた』って言われた時、
先輩、顔真っ青でしたよね」
「それは……!」
一華が言葉を詰まらせる。
「みんな、もうやめよう」
睦月が静かに前に出た。
その手には、
あのサクラ色の手紙が握られている。
「昨日、あの電話は僕たちがそれぞれついた『嘘』を指摘した。
全員に、この手紙を偽造し、あるいは利用する動機がある。
……だけど、電話の主は決定的なミスをした。
手紙の本当の差出人にね」
「どういうこと?」
私は睦月の顔を覗き込んだ。
「あの電話は僕たちの『歪んだ事実』を正確に知っていた。
それはつまり、僕たちが個別に話した内容をすべて盗聴していたか、
あるいは……
僕たち全員の動機を裏から誘導した人物が、
あの電話をかけてきたということだ」
睦月はゆっくりと、
四人の女子生徒たちを順番に見つめた。
一華の好意、美月の独占欲、
詩織の純粋な執着、ひなたの監視。
「全員があすかを……
そして僕たちの関係を狙っていた」
ギシリ、と歪むような空気が美術室を包む。
恐怖で私の指先が冷たくなっていくのが分かった。
その時、睦月が私の背後に回り、
そっと腰に手を回した。
モチーフ用の大型モチーフ台の陰、
四人からは死角になる位置で、
彼は私の冷え切った手を自分のポケットへと引き入れた。
「……睦月?」
小さく囁くと、
ポケットの中で彼の手が、
私の指をぎゅっと強く握りしめてきた。
(大丈夫。僕がここにいる)
そう言われているような、
力強い温もり。
睦月は私の耳元に唇を寄せ、
周囲には聞こえないほどの微かな吐息で囁いた。
「あすか、震えてる。……怖がらないで。僕の目を見て」
至近距離で見つめ合う視線。
彼の眼鏡の奥にある瞳は、
プロデューサーとしての冷静さと、
私への一途な熱を帯びていた。
大勢の容疑者が目と鼻の先にいる密室で、
こっそりと触れ合う肌と肌。
緊張感と背徳感が混ざり合い、
私の胸の奥がキュッと甘く締め付けられる。
睦月はポケットの中で、
私の掌のひらに自分の指先で優しく文字を描いた。
『し・ん・じ・て』
その一筆一筆のくすぐったい感覚が、
体に熱を呼び戻していく。
私は小さく頷き、
彼の指を強く握り返した。
「答えは、最初からこの手紙の中にあったんだ」
睦月は私から手を離すと、
再びみんなの前に立ち、
手紙の裏面の銀色の星型シールを指差した。
「このシール、僕の部屋のものと同じ既製品だけど、
実は僕の持っているロットには、
製造過程でついた小さな気泡の傷がすべて同じ位置にある。
あすかの下駄箱にあった手紙のシールにも……
全く同じ傷がある」
「え……」
私は息を呑んだ。
「つまり、手紙に使われたシールは、
確実に僕の部屋から持ち出されたものなんだ。
僕の部屋に入り、
これを持ち出すことができた人物。
それは……」
睦月の視線が、
一人の人物のところでピタリと止まる。
その人物は、夕暮れの光の中で、
ただ静かに微笑んでいた。
「……やっぱり、貴方だったんですね」
その瞬間、
美術室の扉が風で大きく揺れた。
誰かが小さく息を呑む。
だが、
その微笑みの主の口から出た言葉は、
私たちの予想を完全に裏切るものだった。
「ふふ、面白い推理。でも乙羽くん、そのシール……
あなたが先週、
私に『動画のお礼』として手渡してくれたものだってこと、
もう忘れちゃったの?」
繋いだ手の余熱が残る私の胸に、
再び冷たい疑惑の風が吹き抜ける。
本当の嘘つきは、
一体誰なのか。
サクラ色の迷宮の扉は、
今も閉ざされたまま、
誰の正解も待ってはくれない。
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