千体仏の里 試された者たち19 娘だった過去
室町時代の美濃・養老山麓。旅の音楽師・唯心は、亡き兄の名を継いで若君となり、身体の秘密を抱えて生きる真照と出会う。柏尾寺とその周辺では、武家の娘・明那、川湊と荷運びを知る成遠、幼くして寺へ預けられた沙羅、稚児として育った僧・静真が、家や寺、身分から課された役目に縛られていた。選ぶことを許されなかった者たちは、それでも何を受け入れ、何を拒むのかを試されていく。
翌朝、由良は起きてこなかった。
熱はなかった。だが、身体が重いと言って、夜具から出ようとしなかった。朝餉にも手をつけず、昼になっても部屋の戸は閉じられたままだった。
景親は一度、戸口まで来た。
「具合が悪いのか」
「少し休めば治ります」
由良はそれだけ答えた。
目を閉じると、前夜の景親の言葉が浮かんだ。
九歳の子が望んだことを、親の決断の代わりにするな。
由良は、真照を守ったつもりでいた。照姫へ戻されず、家からも遠ざけられない道を選んだのだと思っていた。
だが、その道を選ぶために、真照が何を恐れているのかを、いつから尋ねなくなったのか分からなかった。
*
昼過ぎ、沙羅が由良の部屋を訪れた。
「由良様。若君から、お届け物でございます」
戸の外から声をかけると、しばらくして返事があった。
「入りなさい」
沙羅は小さな折敷を持って入った。上には、蔵に残っていた干し柿が三つ載っていた。
「若君が、由良様は柿がお好きだからと」
由良は身を起こし、干し柿を見た。
照姫がまだ幼かったころ、庭で採れた柿を両手に抱えて、この部屋へ来たことがあった。
「母上。柿がお好きでしょう。召し上がって」
照は、熟れた柿を自分の袖で拭いてから、由良の前へ差し出した。袖に果汁がつき、女房から叱られても、なぜ叱られたのか分からない顔をしていた。
由良は干し柿を一つ手に取った。
「真照は、何か申していましたか」
「いいえ。これを由良様へ届けるようにと、それだけでございます」
「そうですか」
由良は干し柿を折った。中の果肉は黒く、柔らかかった。
沙羅が頭を下げ、退出しようとした。
「沙羅」
呼び止められ、沙羅は振り返った。
「はい」
由良はすぐには続けなかった。
「先日は、お前に手を上げました」
沙羅の肩がわずかに固くなった。
「詫びて済むことではありません。ですが、悪いことをしました」
沙羅は黙って頭を下げた。
由良は、膝の上の干し柿へ目を落とした。
「お前の母は、どのような人でしたか」
沙羅は顔を上げた。
「母でございますか」
「これまで、尋ねたことがありませんでした」
由良は沙羅を見た。
「お前よく真照に仕えてくれる。お前を育てた母親を知りたいと思いました」
沙羅はしばらく由良の顔を見ていた。
「よく働く人でございました」
「何をしていたのです」
沙羅は由良の前へ座り直した。
「家のことは、何でもしておりました。朝は誰より早く起き、夜は私が眠ったあとまで、衣を繕っておりました」
「厳しい人でしたか」
「はい。ですが、自分が腹を立てているときには、私を叱らない人でした」
由良の指が止まった。
「なぜです」
「怒りに任せて叱れば、言わなくてよいことまで言ってしまうから、と申しておりました」
由良は返事をしなかった。
沙羅も、それ以上は話さなかった。
開けた戸から午後の光が差し、折敷の上の干し柿を照らしていた。

