会社を辞めたら肩書がなくなると思っていた──個人で働いて分かった、肩書より残るもの
23歳で会社員になってから、私は複数の日系企業、外資系企業で働いてきた。
そして会社員生活を定年前に終え、現在は個人で仕事をしている。
会社を離れる前、漠然と考えていたことがあった。
会社を辞めたら、肩書がなくなる。
会社名、役職、所属部署。
会社員として働いている間は、それらが自分の社会的信用の一部になっていた。
では、それを全部外したとき、自分には何が残るのだろう。
実際に個人で働くようになってから、その答えが少しずつ見えてきた。
目次
会社の看板には、確かに力があった
それでも顧客が見ているのは「人」でもあった
会社を離れて初めて分かったこと
残ったもの、残らなかったもの
日系と外資、違う組織で働いて見えたこと
会社を辞めて失った「誰かに聞ける」という環境
代わりに手に入れたもの
肩書と職業能力は同じではない
何が残るかは、会社員時代に決まっていたのかもしれない
会社の看板には、確かに力があった
会社員時代、私は化粧品をはじめとする消費財業界で長く仕事をしていた。
そこで感じていたのが、ブランドの力である。
顧客との商談でも、誰もが知っている企業やブランドに所属していれば、それだけで一目置かれることがある。
同じ商品を売り込むにしても、知名度のないメーカーと、すでに名前を知られているメーカーとでは、商談の入口から扱いが違う。
これは現実だった。
会社の看板は単なる名刺の文字ではない。
長年積み上げてきた企業の信用、商品の実績、広告、流通、過去の取引。
そうしたものを背負って、一人の営業担当者が顧客の前に座っている。
会社員だった私は、その巨大な信用資産を借りて仕事をしていたとも言える。
個人になった今、改めてその大きさが分かる。
それでも顧客が見ているのは「人」でもあった
ところが、会社員時代にはもう一つ興味深いことがあった。
営業担当が代わると、顧客から、
「今の〇〇さんを代えないでほしい」
と言われることがある。
反対に、
「前の担当者の方がよかった」
と言われることもある。
私はこうした話を何度も耳にした。
考えてみれば面白い。
取引しているブランドは同じである。
商品も同じ。
会社も同じ。
それでも担当者が変わっただけで、顧客の評価が変わる。
つまり、会社の看板が商談の入口を作ってくれることは確かだが、その先の関係まで会社名だけで作れるわけではないということだろう。
相手の話をどれだけ聞くか。
問題が起きたときにどう対応するか。
約束を守るか。
こちらの都合ではなく、顧客の立場で考えられるか。
そうした積み重ねによって、いつの間にか「〇〇社の担当者」ではなく、「〇〇さん」として見られるようになる。
会社員時代には、会社の信用と個人の信用が重なっていたのである。
会社を離れて初めて分かったこと
だから会社を辞めた瞬間、何もかもゼロになったわけではなかった。
確かに会社名はなくなった。
役職もなくなった。
会社が持っていたブランド力も、資金も、人員も、取引先とのネットワークも使えない。
しかし、それまで仕事をする中で自分の中に蓄積してきたものまで消えたわけではなかった。
仕事の進め方。
人との接し方。
相手が何を求めているかを読む力。
判断力。
英語。
業界についての知識。
失敗した経験。
問題が起きたときの対応。
そして、一つの仕事を最後まで終わらせる力。
こうしたものは、退職届を出しても返却する必要がなかった。
会社を離れて初めて、
会社から借りていたものと、自分の中に残っていたもの
の違いが見えるようになったのである。
残ったもの、残らなかったもの
もちろん、独立すればすべて自分の力でできる、という話ではない。
会社員時代には、大きな組織の一員でなければ経験できない仕事がいくつもあった。
大きな予算を使う。
多くの人を動かす。
海外の拠点と仕事をする。
大手の取引先と商談する。
会社のブランドを背負って交渉する。
個人になった現在、同じ規模の仕事を同じ方法ですることはできない。
だから私は、「会社を辞めて自由になればすべてうまくいく」とは考えていない。
むしろ今の自分を作った相当な部分は、会社という組織の中で経験させてもらった仕事からできている。

Illustration: Yves Guillou / Wikimedia Commons / CC0 1.0
日系と外資、違う組織で働いて見えたこと
私は日系企業だけでなく、外資系企業でも働いた。
両者では、仕事の文化、とりわけ上司との関係にはかなり違いがあった。
外資系というと、日本では「ドライな人間関係」を想像する人もいるかもしれない。
少なくとも私の場合は、むしろ逆だった。
外資系企業の上司とは、仕事だけでなくプライベートのことまで話すような、非常にフランクな関係になることが多かった。
何でも話し合える。
仕事を離れれば親密でもある。
ただし、それと人事評価は別だった。
親しいから評価される、という情実人事はない。
成果については成果として判断される。
この公私の分け方も、外資系企業で学んだことの一つだった。
日系と外資。
異なる組織文化の中で働いたことも、会社を離れた後に残った経験の一つである。
会社を辞めて失った「誰かに聞ける」という環境
そして、会社を辞めて初めて、そのありがたさに気づいたものもある。
分からなければ、誰かに聞ける。
会社では当たり前だった。
経理のことなら経理。
法務なら法務。
人事なら人事。
そして、特にありがたかったのがシステムやIT関係である。
パソコンが動かない。
システムに入れない。
設定が分からない。
会社員なら担当部署に連絡すれば、専門の人が助けてくれる。
個人になると、そうはいかない。
基本的には何でも自分で解決しなければならない。
本来の仕事とは関係のない問題でも、自分で調べ、自分で判断し、自分で対処する。
これは会社員時代にはあまり意識しなかった、組織が提供してくれていた巨大なインフラだった。
代わりに手に入れたもの
それでは個人になって、ストレスが増えたのか。
私の場合は、必ずしもそうではなかった。
確かに何でも自分でやらなければならない。
しかし、その代わりに、
自分でリスクを取って、自分で決められる。
誰かの決裁を待つ必要もない。
組織内の事情を優先する必要もない。
やるべきだと思えば、自分で判断して動ける。
そして何より、以前より直接、
顧客に集中できるようになった。
会社員であれば、顧客だけを見て仕事をするわけにはいかない。
会社の方針がある。
予算がある。
上司がいる。
社内調整がある。
当然のことである。
個人になると、その構造が非常にシンプルになる。
顧客が何を求めているのか。
自分に何ができるのか。
どこまで責任を持つのか。
そこに時間と労力を集中できる。
会社員時代から何度も聞いてきた**「顧客中心主義」**という言葉を、私は個人になってから、別の形で実践するようになったのかもしれない。
肩書と職業能力は同じではない
会社を離れて分かったのは、肩書と職業能力は同じではないということだった。
肩書は、その人が現在どこに所属しているかを示す。
職業能力は、それまで何を経験し、何を学び、どんな判断をしてきたかの蓄積である。
前者は会社を辞めれば消える。
後者は自分の中に残る。
ただし、この二つは会社員時代には非常に見分けにくい。
会社の信用で仕事ができているのか。
自分が評価されているのか。
おそらく多くの場合、その両方なのだろう。
だからこそ、顧客から、
「今の担当者を代えないでほしい」
という言葉が出てくる。
会社が入口を作り、最後は人が関係を作る。
今振り返ると、会社員時代からそのことは見えていたのだと思う。
何が残るかは、会社員時代に決まっていたのかもしれない
個人で働くようになってから身についたものも、もちろんある。
しかし、現在仕事をするうえで頼りにしている判断力や仕事の進め方、人との接し方の多くは、会社員時代にすでに蓄積されていた。
独立したから突然、自分の力が生まれたわけではない。
会社という環境の中で仕事をしながら、少しずつ自分の中に移してきたものだった。
会社を離れた後に何が残るかは、独立した瞬間に決まるのではない。
そのずっと前から決まり始めているのだろう。
肩書という看板を外したときに何が見えるかは、その看板の下に、どれだけのものを積み重ねてきたかによって、静かに決まっているのだと思う。
※冒頭写真
会社の看板は、商談の入口で大きな信用を与えてくれる。しかし、その先の関係を作るのは、結局そこで仕事をする一人ひとりなのだと思う。
Photo: DanialSchonOfficial / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
