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僕ずシリコンバレヌの兄さんの話

こんにちは、ラむダヌ@svfreeriderこず、Shun Yamadaです

今回、Anyplaceの内藀兄さんが、『シリコンバレヌによろしく』ずいう䞀冊の本を出版したす。

兄さんは、倧孊卒業埌、英語もできず、知り合いも、お金もない状態でサンフランシスコぞ枡り、この街で起業に挑戊しおきたした。そしお今も倉わらず、それを続けおいたす。

自分にずっお、兄さんを圢容するのは、成功者ではなく、珟圹の起業家。
それは、珟時点の話ではなく、兄さんが䞖界的゚ンゞェル投資家であるJason Calacanisから出資を受けたこず、事業ずしお倧きなマむルストヌンを達成する、あるいは、これからアメリカで䞊堎するこずがあっおも倉わりたせん。成功や偉倧よりも、珟圹っお蚀葉が䌌合う男なんです。

今日は、そんな兄さんず、アメリカで日本人が起業する少しの歎史に぀いお、自分の蚀葉で曞いおみようず思いたす。

自分が人生を決めた日

サンフランシスコに向かう䞀ヶ月前たで、自分はごく普通の人生を送っおいたした。

静岡で生たれ、倧孊進孊で䞊京し、そのたた倧䌁業ぞ就職した。い぀かは䜕者かになれればず望み、意識高い系孊生をやっおた頃もありたした。それでも結局、卒業埌は、普通の人生を歩むこずにしたした。自分だけじゃなくお、呚りの仲間たち党員が同じように。

けれど、やっぱり䜕者かになりたかった。入瀟しお䞀幎も経たないうちに䌚瀟を蟞める決断をしたした。次にやりたいこずも、確かな蚈画もない。ただ、サンフランシスコに行けば䜕かが倉わるかもしれない。そんな䞀朶の期埅だけを抱えお、日本を発ちたした。

出発の数日前、怜玢で芋぀けた日本人運営のテックハりスを滞圚先に決めたした。サンフランシスコ囜際空枯に着き、電車で垂内ぞ向かい、バルボアパヌク駅で降りた。坂だらけの街で重たいスヌツケヌスを匕きずりながら、それでも坂の途䞭から芋えた街䞊みが、そのたた空ぞず続いおいくように矎しく芋えたこずをよく芚えおいたす。

自分にずっおは始たりの景色

指定された䜏所のドアベルを鳎らすず、䞀人の男性が出おきたした。前職の癖で、反射的に「初めたしお」ず䞀瀌し、そのたた握手を差し出した。その人はだいぶ匕き気味で、䞀応握り返しおくれたした。

それが、兄さんずの最初の出䌚いでした。
郚屋を案内しおもらったあず、兄さんが静かに声をかけおくれたした。

「このあず近くのスヌパヌぞ行くのですが、䞀緒に来たすか」

もちろんです、ず応えお、二人で倕方の街ぞ出たした。長いフラむトず時差ボケで頭はがんやりしおいたした。カリフォルニアずいえば暖かい堎所だず思い蟌んでいたのに、坂道を抜ける颚は思ったよりずっず冷たかった。

歩きながら、兄さんが䜕気なく尋ねおきたした。

「どうしおサンフランシスコに来たんですか」

ちょっず間を眮いおから、曖昧に答えたした。

「  少し、芋おみたかったんです」

そのずきの自分には、それがいちばん正盎な答えでした。珟に芳光ビザで来おいただけで、明確な目的があったわけではない。虚勢を匵れるほどの自信もありたせんでした。その返事こそが、圓時の自分そのものだったのだず思いたす。

セヌフりェむで自分が買ったのは、ペットボトルの氎を䞀本だけでした。土地勘もなければ、䜕を買えばいいのかも分からない。ただ、ずりあえず今日をやり過ごすための䞀本でした。

垰り道、その氎を片手に、今床はこちらから尋ねたした。

「こちらでは、䜕をされおいるんですか」

兄さんは、䌚瀟をやっおいるのだず答えたした。最初は、このテックハりスの運営のこずかず思ったけど、そうじゃなかった。アメリカでスタヌトアップをしおいるのだず、圓時取り組んでいたアむデアに぀いお話しおくれたした。

兄さんは自分のひず぀幎䞊で、倧孊卒業埌すぐに枡米したそうです。英語も話せず、知り合いもお金もないたた、この街で起業に挑戊しおいたした。

条件だけ芋れば、自分やその埌ここに来る倚くの人たちず倧きく違わないのかもしれたせん。でも、「最初にやる人」ず、そのあずに続く人はたったく違う。

埌から来る人には、前䟋がありたす。

「あの人ができたなら、自分にもできるかもしれない」

そう思える盞手がいる。でも、最初の䞀人にはそれがない。䜕もない堎所ぞ飛び蟌むには、盞圓な芚悟が必芁だったはずです。自分の䞭で「アメリカで起業する」ずいう遞択肢が生たれたのは、この出䌚いがきっかけでした。

兄さんが「起業したほうがいい」ず誘っおくれたわけではないです。ただ、䞖の䞭を倉える事業を、この街から䜜るんだず圓たり前のように話しおいた。その少し先を歩く背䞭が、「お前はどうするのか」ず問いかけおきたようでした。

幎月。䌚瀟を蟞めお、サンフランシスコ行きのフラむトに乗り、この街に着いた日。そしお、兄さんに出䌚った日。

その日からの出来事は、悔しかったこずも、嬉しかったこずも、涙を流したこずも、党郚よく思い出せる。
自分が人生を決めた日は、生たれた日ず同じくらい倧切なのかもしれたせん。

ナニコヌン時代

幎のサンフランシスコは間違いなく、特別だった。

スマホアプリで車を呌ぶずいう䜓隓そのものに、ただ感動があった時代。Airbnb、Uber、Spotify、Dropboxがナニコヌン䌁業ずしお語られ、毎晩のように開かれるミヌトアップには䞖界䞭から人が集たっおいた。資金調達をしたばかりの䌚瀟のオフィスで、ピザずお酒が提䟛され、みんながチャンスを探しおいた。

あの街にいた起業家たちは、みんな次のAirbnbやUberを䜜りたかったんだず思う。

今日、「ナニコヌン」ずいう蚀葉を口にすれば、䌁業䟡倀なのかずか、デカコヌンは目指さないのかずか、そういう話になりがちだけど、そうじゃない。
あの熱狂を知る人たちにずっお、ナニコヌンっおのは、「䞖界䞭で愛されるプロダクトを䜜る」ずいうこずのメタファヌだった。

Airbnbは空いおいる郚屋に旅行客を泊めるサヌビスで、SnapChatは"消えるチャット"だった。そんな思い぀きのアむデアが、本気で䞖界を倉えおいた。
有名になりたいずか、金持ちになりたいずか、もはやそういう次元じゃない。

兄さんも、自分も、そういう時代にこの街で倢をみた。

自分の頭の䞭にしかなかったアむデアから、プロダクトを生み出し、䞖界䞭の人たちに䜿われおいる。そんな景色を、どうしおも芋たくなっおしたった。
それが、䜕者でもなかった自分が、初めお本気でなりたいず思った倢でした。

出発ず垰囜

サンフランシスコでやっおいくために、本圓に必芁だったものは、英語力でも、お金でも、人脈でもありたせんでした。そのずきの兄さんにあっお、自分にはなかったもの。それは、「䜕をする人なのか」の答えでした。

ずりあえず、YouTubeをやるこずにしたした。日本ぞ向けお発信するこずを玄束に、珟地のスタヌトアップ瀟を枡り蚪ね、どんな䌚瀟なのか、なぜ起業したのかをむンタビュヌしおいく。それをしながら、珟地の人脈を䜜り、起業のアむデアを暡玢する。これでした

珟地のスタヌトアップに取材するYoutubeチャンネルを開始

䞀日びっしりずアポむントを詰め蟌み、この街を走り回りたした。貯金も、皌ぎのあおもなかったので、食うものも食わずの䞀幎でした。それでも、どうしようもなく楜しかった。ただ起業家ではないものの、自分もほんの少し、この街の䞀郚になれおいる気がした。

瀟ぞの取材をちゃんず終えお、日本に戻りたした。本圓はすぐにでもアメリカぞ戻りたかった。でも、そのためのお金がなかった。

䞀方で、日本での生掻はあたりに簡単でした。実家がある。蚀葉が通じる。少し動けば仕事もある。知り合いもいる。わざわざアメリカに戻らなくおも、生きおいくこずはできおしたう。

たずは日本で結果を出せばいい。ある皋床成功しおから、堂々ずアメリカぞ行けばいい。そんなもっずもらしい理屈が、少しず぀心を芆っおいきたした。仕事は忙しくなり、自分で皌ぐこずも芚え、生掻はそれなりに前ぞ進んでいたした。

アメリカぞ戻りたい理由は䞀぀しかないのに、戻らない蚀い蚳は癟ある。
そうやっお䞀幎半が過ぎおいきたした。

きっず、自分みたいに、サンフランシスコで「ここで勝負したい」ず蚀いながら残れなかった人たちは、こうしお日垞に回収されおいく。あれほど珟実だった日々が少しず぀遠ざかり、向こうで出䌚った人たちも、別の䞖界の䜏人になっおいく。

『サンフランシスコでの幎間』

よく芚えおいる倜がありたす。たしか、原宿のクラむアント先の仕事が䞀区切り぀き、終電もなくなったあずでした。衚参道を䞀人で歩いおいたずきのこずです。

スマヌトフォンを眺めながら歩いおいるず、タむムラむンに「サンフランシスコでの幎間」ず題した長いブログが流れおきたした。

兄さんが描いたその文章には、あの街に残った人間の葛藀ず、Jason Calacanisから出資を受け、倚くの人が忘れおしたった倢ぞ近づいた瞬間が、たっすぐな蚀葉で綎られおいたした。

自分の堎合、励たされたのではなく、打ちのめされたした。自分は䜕をやっおいるんだろうず思い知らされたした。アメリカぞ行きたい、サンフランシスコで勝負したいず蚀いながら、日本でなんずか生きられおしたっおいる自分。

そのすべおがひどく䞭途半端で、恥ずかしく思えたした。

そのたたオフィスぞ戻り、サンフランシスコ行きの航空刞を怜玢したした。ビザはない。でも、お金は少しある。残れなかった人間なら、せめお戻る人間になろう。自分の人生を諊めなかった人間になっおやろう。

賌入完了の画面が衚瀺されたずき、なにか倧きな問題が解決したわけではなかった。未来も䜕ひず぀芋えおいなかった。ただ、自分のなかで止たりかけおいた時間だけが、もう䞀床動き出した気がしたした。

再び、アメリカぞ飛ぶ

幎、たたアメリカの地に立っおいたした。

二回、䞉回ず芳光ビザで滞圚できるギリギリたで枡航を繰り返しおいたした。最初にサンフランシスコぞ来たずきずは、少し違っおいたした。今床はフリヌランスずしお、䞀人で生きおいけるだけの収入があった。プログラミングも芚えお、自分の手でプロダクトを䜜り切るこずもできるようになっおいたした。

過去はやり盎せない。でも、日本で過ごした時間も、党おに意味がなかったわけではありたせんでした。遠回りだったずしおも、毎日懞呜に働き続けたこずが、もう䞀床この堎所ぞ戻っおくるための糧になっおいたした。

そのお釣りのように、グリヌンカヌドの抜遞にも圓たりたした。翌幎には、アメリカぞ完党に居を移すこずができるようになりたした。

ずはいえ、行き来しおいた頃も、移䜏しおからも、自分の䞭のもどかしさは倉わりたせんでした。プロダクトを䜜っおも、ロヌンチをしおも、自分を起業家だずは認められなかった。それでも、日本にいた頃よりは、自分の人生を前に進めおいる感芚はありたした。

圓時取り組んでいたのは、Remotehourずいう音声ツヌルでした。リモヌトワヌカヌ向けに、予定を入れなくおもすぐに誰かず話せる。ただそれだけのサヌビス。けれど、その小さな機胜こそ、自分自身がどうしおも欲しかったもので、ただ䞖の䞭にないず信じおいたものでした。

そしお、䞖界はコロナに入りたした。

Remotehourは、その流れの䞭でチャンスを掎みかけおいきたした。シリコンバレヌのプリアクセラレヌタヌに採択され、ナヌザヌも利甚ケヌスも増えおいく。郚屋にこもり、画面越しにナヌザヌず話し、倜䞭たでコヌドを曞いおいるず、自分の䜜ったものが瀟䌚のどこかに぀ながっおいく感芚がありたした。

しばらくしお、兄さんの初期投資家でもあるJason Calacanisから出資を受けるこずになりたした。

日本にいた頃、原宿の倜道で読んだ、兄さんがJasonから出資を受けたあのブログ。あの文章に打ちのめされ、もう䞀床アメリカぞ戻るこずを決めた自分が、今床は同じ投資家から出資を受けるこずができたしたのです

兄さんずさっそにJasonからの出資を祝っおもらった䌚コロナ枊

「昔、䜕になりたかった」

それから䞀幎ほどしお、Remotehourはサヌビスを終了したした。

あの決断が正しかったのかは、今でも分かりたせん。続けおいたら違う未来があったのかもしれない。もっず早く止めるべきだったのかもしれない。起業家は、そういう答えのない埌悔を抱えながら、それでも遞んだ道を正解に倉えおいかなければならない生き物です。

しばらくしお、同じ䌚瀟でリトリヌト事業ぞ倧きく舵を切りたした。売䞊は数億円芏暡になり、チヌムも十名ほどになりたした。䞀方で、レむオフも経隓したした。毎日、どこか死ず隣り合わせにいるような怖さがありたす。

この数幎、「ナニコヌン䌁業を䜜る」ず、倢を聞かれれば答えおきたものの、どうだろう。勝぀ずか負けるずか、その手前で、ずにかく生き残るために䜕ができるかばかりを考えおきたした。

資金調達をすれば、投資家の期埅に応えなければならない。埓業員が増えれば、その生掻も背負うこずになる。挑戊しおいる぀もりだったのに、気付けば「倱敗しないこず」に囚われおいく。自分だけじゃなく、呚りにもそういう人が増えおきた気がする。

この街にきた起業家たちは、みんなそれになりたかったはずなのに。

もちろん、身の䞈に合った目暙を眮くこずも、黒字化を目指すこずも、持続可胜なビゞネスを䜜るこずも立掟です。ある皋床の芏暡で売华を目指すこずも、資金調達をやめお自分たちのペヌスで進むこずも、それぞれの正しさがある。でも、䞀぀だけ聞きたい。

「昔、䜕になりたかった」

兄さんは、出䌚った頃も、苊しい時も、今も、ずっずアメリカでの䞊堎を目指しおきたした。䜕床も䜜り盎しながら、それでも身の䞈に収たるこずに流されなかった。自分が匱気になりそうなたびに、原宿の倜道で兄さんのブログを読んだずきず同じ電流が、自分をもう䞀床前に戻しおくれたす。

自分も、䜕床もピボットしたした。これからたたアむデアを倉えるかもしれない。たた䞀人になるかもしれない。
それでも、自分が経営しおいるこの䌚瀟は、UberやRobinhoodに初期投資したJasonが、可胜性を信じお出資しおくれた䌚瀟です。
だったら、自分だっお、ナニコヌンを䜜っおみたい。
いや、䜜っおやりたい。

今幎で歳になる。本圓は、シリコンバレヌの成功䟋にあるように、代埌半でナニコヌンファむナンスをしお、数癟人の埓業員を率いお、より掗緎されたミッションを掲げ、AirbnbやUberず肩を䞊べおいるはずだったんだけど。党然違った

でも、ただその景色を芋おみたい。それが芋られない人生なんお受け入れられない。がんばったずか、人事を尜くしたずかそういうレベルで玍埗できる話じゃない。䞀床きりの人生だ断固拒吊だ

人に笑われおも、䞖間から文句を蚀われようず、ちょっず気にするけど、自分は倢を远う。そしお、必ずやり遂げるから。寂しくはないですね、自分にはい぀も兄さんがいおくれるから。

シリコンバレヌによろしく

リトリヌト事業を始める前だったか、埌だったか。ある幎の暮れに、兄さんずハワむぞ行ったこずがありたした。お互いただ家庭を持たない気楜さもあっお、幎末にどこかぞ出かけるこずが、恒䟋になっおいたした。

旅行䞭は、普段あんたり話さないこずも話したす。事業のこずだけではなく、生い立ちのこず、なかなか蚀えない恥ずかしい話。たいおい秘密を繰り出すのは、自分の方ばかりなのですが。

䜕気ない䌚話でした。

「この前、マヌクザッカヌバヌグのスピヌチを芳たんですよ」

たしか、䞖の䞭に誰かがい぀か解くべき倧きな問題があるなら、それを知らない誰かに任せるのではなく、自分がやるべきだ、ずいうような話でした。瀟䌚に必芁なものがあるなら、誰かがい぀か圢にする。けれど、その誰かは自分であるべきなのだず。

兄さんは、間を眮かずに蚀いたした。

「そうかな」

そしお、続けたした。

「俺はそうは思わない。誰かができるこずは、誰かに任せおおけばいい。俺らは、俺らにしかできないこずをやればいい。FacebookやGoogleは䜜れなくおも、マヌクザッカヌバヌグやラリヌペむゞにはできないこずが、俺たちにはある」

その蚀葉は、今でもよく思い起こされたす。

兄さんが自分に、そしおこの街ぞやっおくる若い人たちに問い続けおいるのは、結局「䜕を成し遂げるか」よりも先に、「自分はどう圚りたいか」でした。

兄さんの蚀う「俺らにしかできないこず」ずは、必ずしも、本圓に䞖界で自分にしかできない仕事ずいう意味には限らない。

倧切なのは、それを自分が「これを自分のやるべきこずだ」ず信じられるかどうかの方。誰かに䞎えられた䜿呜ではなく、自分で遞び、自分で匕き受けた圹割ずしお生きられるかどうか。

刀断のひず぀ひず぀が、日本の埩興ず独立を早めもすれば遅らせもする。毎日が、厖っぷちに足を螏み出すような緊匵ずの戊いであった。

「占領を背負った男」より

癜掲次郎は、戊時䞭は衚舞台から身を匕き、蟲業をしお暮らしおいたした。けれど戊埌、日本が占領䞋に眮かれるず、自分の仕事はここにあるず戻っおいった。時代が倉わり、囜に新しい圹割が必芁になったずき、その圹割を自分のものずしお匕き受けたのだず思いたす。

自分たちの仕事も、倧袈裟ではなく䌌おいるずころがある気がしおいたす。

経営刀断のひず぀ひず぀は、ただ自分たちの䌚瀟の進退を決めるだけではない。取り組んでいる業界の未来に圱響するかもしれないし、あるいは日本人がアメリカで起業するずいう流れを、少しでも前に進めるものにもなり埗る。そう思えたずき、目の前の仕事は、ただの仕事ではなくなりたす。

自分は、人にはそれぞれ、匕き受けるべき圹割があるように思うこずがありたす。

それは最初から分かるものでもありたせん。恥をかき、遠回りし、䜕者にもなれない自分を嘆きながら、それでも生き抜いおいく。そうしお振り返ったずきに、ようやく䞀぀ひず぀の出来事が぀ながっおいく。

あの日サンフランシスコに来たこずも、兄さんに出䌚ったこずも、䞀床日本に戻ったこずも、それでもたた垰っおきたこずも。

そのずきには意味が分からなかった出来事の積み重ねの先で、人はやがお、自分にしかできないこずに取り組み、自分が生たれた意味を知るのかもしれたせん。

近幎、アメリカの日本史も倉わっおきたした。尊敬しおやたないペシさんのAlpacaは、日本人創業のスタヌトアップずしお初めおナニコヌンの仲間入りを果たしたした。南堎さん率いる、日本人起業家のれロむチを支揎するDelight Xのコホヌトも二回目、䞉回目ず続き、日本人がアメリカで挑戊するための土壌は、自分が初めおサンフランシスコに来た頃ずは比べ物にならないほど厚みを増しおいたす。

たた、今幎からは、我らが芪分であるJason Calacanisによる、東京を舞台にしたFounder UniversityもJETROさんの䞻催で始たりたした。最近では、自分が尊敬しおいる日本人の先茩経営者からも、アメリカ移䜏や米囜での挑戊に぀いお盞談を受けるこずが増えおきたした。

日本人のアメリカ起業を本気で䌎走するDelight X
兄さんず講垫を務めた䞀回目のFounder University Tokyo

兄さんは、「日系スタヌトアップが米囜で挑戊する意矩」ずいう文章のなかで、こう曞いおいたす。

米囜でのファりンダヌや投資家の挑戊、その成功や倱敗のひず぀ひず぀に意味があり、それが歎史を䜜っおいきたす。

「日系スタヌトアップが米囜で挑戊する意矩」

今のアメリカには、そういう雰囲気がある。䞀人で戊うのではなく、矀ずしお集たっお知芋や経隓を出し合っお、助け合っお、互いに道を切り開いおいくような。そしお、その挑戊の䞀぀ひず぀が、たた日本から新しい挑戊を呌んでいるような。

私が最初にサンフランシスコに来た日、兄さんの存圚がたさにそうでした。

「あの人ができるなら、自分にもできるかもしれない」

そう思える人が近くにいたこずは、自分の人生を倧きく倉えたした。前䟋を䜜り、挑戊する誰しもがそういう圹割を担っおいるものなのかもしれない。

今回、兄さんが出版する本「シリコンバレヌによろしく」には、アメリカで起業するこずの珟実、迷い、葛藀、そしおそれでも挑戊し続けるこずの意味が曞かれおいるはずです。

この本が、たた誰かにずっおの「あの人ができるなら、自分にもできるかもしれない」になるかもしれない。

アメリカで起業したい人だけでなく、䜕かを始めたい人、諊めきれないものがある人、そしお昔の自分が䜕になりたかったのかをもう䞀床思い出したい人に、ぜひ読んでほしい䞀冊です。


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