Run for your life
ホテルにチェックインして部屋に入ると、私はまず非常口の位置を確認する。これは臆病だからではない。万が一の火災や天災の際、どこへ向かって走ればいいかという「退路」をあらかじめ脳内にマッピングしておくことで、初めてその夜を安心して、枕を高くして眠ることができるからだ。
人生における「頑張ること」も、これと全く同じ構造をしているのではないだろうか。
もちろん、年中逃げ回っていては話にならない。物事を成し遂げるためには、どこかで歯を食いしばって踏ん張る時期が確実に存在する。しかし、人間の精神や肉体のキャパシティには限界がある。どれだけ努力を重んじる人であっても、「頑張っても、もう無理だ」という臨界点は突然やってくる。
その時に必要なのは、根性論に引きずられてポキリと折れることではない。躊躇せず「けつをまくって逃げる」ことだ。
常に退路を意識し、いざという時はすべてを放り出してでも自分を守る。この確かな避難経路が心の中にあるからこそ、私たちは日常の荒波に思い切って飛び込むことができる。限界を迎えたなら、あとは野となれ山となれ、だ。体が動かなくなり、夢だけが枯野を駆け巡るような事態になる前に、私たちは全力でその場から離脱しなければならない。
なぜなら、生存は殆ど全ての場合において「生物学的正義」だからだ。
どんな高尚な理念や社会的な体裁、責任感を並べ立てたところで、生き残らなければすべてはただの幻に帰す。生物として「生き伸びる」ということ以上に絶対的な正義など、この世には存在しない。
死んでしまっては、次にやってくるはずの好機に身を委ねることすらできなくなる。泥水をすすってでも、他人に指をさされてでも、まずは何が何でも生き延びること。
生きていれば、浮かぶ瀬もあれ、だ。
他人がどう評そうが、自分の美学がどう言われようが、最後に生き残るために自らの意志で舵を切り、全速力でその場を離脱する。
「もう無理」と思ったら迷わず、命のために逃げ出すこと。
――Run for your life.
それこそが、複雑な現代を生き抜くための、最も本質的で、最もタフな生存戦略なのだ。
