人生が壊れかけた62歳、家族のために僕が選んだ生き方 1
— がん後の働き方、息子の進学、家族を支える現実記録 —
入院中、天井を見ながら考えていたことがあります。
それは、病気のことでも、治療のことでもありませんでした。
「これから、どうやって生きていくか。」
がんと診断された瞬間よりも、
治療が始まってからのほうが、
この問いは現実味を帯びて迫ってきました。
私は1963年生まれ、62歳。
妻と、野球に打ち込む息子、今年99になる昭和2年生まれの祖母との4人家族です。
清掃や空調などの現場仕事を中心に、
一人法人として働いてきました。
数年前、
労災事故、ヘルニア、そしてがん。
それまで当たり前だと思っていた
「働き続けること」が、急に不確かなものになりました。
このnoteでは、
• がん治療とその後に残った生活の変化
• 体力や年齢に制限が出た中での働き方
• 息子の高校進学と野球、かかる現実的 な費用
• 家族を支える側としての迷いと判断
• 警備員として始めたダブルワークの現実
こうしたことを、
きれいごとを言わずに記録していきます。
成功談ではありません。
まだ途中です。
病気になって分かったことがあります。
罹患後の生活は誰も代わりに作ってはくれない。
助成も、制度も、保険も、
最後に決断するのは自分でした。
だからこれは、
闘病記ではなく、
生活を立て直す過程の記録です。
それからもうひとつ、
このブログを書く理由があります。
家族のことです。
昭和2年生まれ、今年99歳になる母が、
いま施設に入所しています。
毎月かかる費用は、
およそ12〜13万円。
在宅で介護したい気持ちがないわけではありません。
でも、母は重い糖尿病を患っています。
食事管理、
インスリンの管理、
日常生活の細かなケア。
正直に言えば、
家族だけで背負える状況ではありません。
入所前、
妻と母は、いわゆる
嫁と姑の険悪な関係の真っ只中にいました。
決して、穏やかな関係ではなかった。
それでも今、
妻は毎週、何も言わずに
母の着替えを洗い、
施設へ持って行き、
交換してくれています。
文句ひとつ言わずに。
一方で、
介護費用の口座残高は、
静かに、確実に減っていきます。
感情ではなく、
数字として。
だからこそ、
私は考えなければなりません。
収入を増やすこと。
それも、
体を壊さず、
長く続けられる形で。
病気のこと、
仕事のこと、
息子の進学のこと。
そして、
母の介護にかかる現実的な費用。
これらをすべて含めた
生活設計を、
もう一度、作り直さなければならない。
このブログは、
そのための記録です。
今後、このブログでは大きく分けて
次の内容を書いていく予定です。
1. がん治療と後遺症(味覚・皮膚・体力)
2. 働き方と収入をどう考え直したか
3. 息子の進学と高校野球、学費の現実
4. 家族との衝突と、支える側の葛藤
5. 警備員という仕事を選んだ理由と現場の話
同じように、
病気や年齢、家族の事情を抱えながら
「これから」を考えている人の
参考になればと思っています。
次回は、
「食べることが、楽しみじゃなくなった日」
――放射線治療後の味覚障害と生活の変化について書く予定です。
このnoteを書いている人
1963年生まれ、62歳。
妻と息子、今年99歳になる祖母の4人家族。
一人法人として現場仕事を続ける中、
労災事故、ヘルニア、がんを経験。
現在は経過観察中。
体力や仕事量に制限を抱えながら、
警備員としてのダブルワークを含め、
生活の再設計に取り組んでいます。
