【日記】おじいちゃんかもしれん
「流れを汲め」
と、師匠(83歳)は言った。
先週、私がロクロでひいた鉢、下から上に息を止めながら慎重に立ち上げた器。
次に私が工房へ行くタイミングに合わせて、師匠はゆっくりその作品の乾き具合を調整しつつ、管理してくださっていた。ほどよく乾いて、程よくカンナの入る硬さであるように。
先週、ロクロでひいたときには、上下はそのままに、最低限、焼成で縮む(13%)ことを考慮しながら成形していたのだけれど。その器の足元は、紐ひきでぶち切っただけの形。器を裏返したときの景色(高台)や、器の重さによる玄人加減は、この後の「削り」の作業で、いかに無駄な土を省けるかによる。師匠は、見た目重厚そうに見えて持ったら軽い、が良い器だとうっとりと言う。
せっかく作った器を、削りすぎて、底抜けにしてしまうおそれを幾度も経験しているけれど、成形した時の内側の流れ(底面と立ち上がりの幅や、その角度、底の土の厚みをメジャーで測定したりして)に添いながら、ゆっくり慎重に削っていくのだ。
「藤本さん、意外と大胆だねぇ!」
と私の削りをじっと見ていた隣のロクロ台に座るおじさんは言うけれど、すかさず師匠が、
「ちゃんと測って、形状を描いてるから、こうやって削っていけるんや。」
と、器の内側の測定の仕方を、何度も聞いたとおりに教えてくれる。
「わかるか?やってみんと継いではいけんのや。」
「はい。」
「技術やでな。」
「はい…。」
「技術っちゅうもんは、言葉で教えたって、どうしょうもないんや。自分でできるようにならんと、意味ないんや。」
「はい。」
「やってみよ。」
「はい、やってみます。」
コテの角度。
高台の品。
流線の自然さ。
経験でしかわからない角度や、力加減。
「わからんくなったら離れて見てみよ。」
ろくろ台から離れたところから、師匠は目を細めて見守りながら、そう言って。
「それらしくなってきたやないか」
と、聞こえるか聞こえないかの声で、褒め言葉みたいに聞こえたそれは、それでも優しく響いて。

「俺はもう帰るでな。」
「ありがとうございました!」
と見送ったあと、
「失敗してもいいでやってみよ!」
と言っていた師匠の言葉がこだました。
特定の師匠を持たずに、独自で作陶をして、地味に陶芸家への道を歩んでこられた師匠だからこそ
「自分で経験しながら見つけて歩いていけ」
というスタンスをとってくれるのが、私にとってはとても心地よくて。
ひたすら土と向き合う時間に、
機嫌よく調子を合わせてしゃべったって、
見破られてしまうのだから。
颯爽と集中していく。
本気になっている時間こそ、
私の正体なのかもしれなくて
だとしたら私、
結構おじいちゃんだ。
「わっか!」
とか普通に言う。
「柊ちゃん、じゃーまた、再来週ね!」
と元気に言う78歳の陶芸仲間に手を振りながら。
