引き続き、「自分なんかが」をやめています
音を奏でることがとにかく楽しい。
小学1年からピアノを習い、中高生は吹奏楽部でトランペットを吹いていた。
しかし、高校くらいから「人前」や「合奏」となると楽しいよりも、失敗しないでできるか、うまくできるか、に焦点が合うようになってしまった。
それによってどんどん吹けなくなる事態にも陥る。
音を楽しみたいのに要らぬ思考が邪魔をする。
今年に入ってどうしてもまた吹奏楽がやりたくなった私は地域の吹奏楽団に入団し、ホルンが足りないということで楽器を貸してもらい急遽ホルンを吹いている。
慣れない楽器の上、癖になっている要らぬ思考が苦しい。
入団時はワクワクしていたのに、少し吹けるようになってきたら途端に焦りが強くなってしまった。
とにかくもっと上手く演奏できるようになれば、楽しむようになれるのではないか。練習あるのみなのは知っているが、一度プロの助けを借りてみたい。
中学のトランペット吹き時代から受けてみたいと強く思っていた個人レッスン。
子供時分はすでにピアノ教室に毎月通っていたこともあり、いろんな負担を思うとそれ以上を親にねだることもできず、勝手にあきらめていた。プロの奏者を目指すでもない私が個人レッスンなど、と。
今、このときになって「自分なんかが」という枠を取っ払い、さらには「なんだか皆、お金がないと言いつつ、好きなことには惜しげもなく使っている人が多い」という現実を身近で数々目の当たりにし、何を遠慮することがある自分も使ってやれ、と勢いづいてYouTubeで独学用にひたすら見ていたホルンの先生に個人レッスンをお願いした。

都会は本当に苦手だ。
でも、好きな事に焦点を当てると飛び込めるもんだな。
目的の駅の改札を出ると、ここは日本なのか!?と感じるほど外国人に溢れ返っていた。外国語しか聞こえてこない。驚いた。
レッスン開始時刻より1時間半ほど早く着いてしまい、どこで時間を潰そうかとフラフラと彷徨いながら駅周辺をぐるりと歩き回りまた駅に戻ってくると、以前安住紳一郎のラジオで聞いていた「喫茶 シュベール」の看板が目に入った。
「シュベールだ!」
私の心は一瞬踊ったが、よく看板を見ればお店は2階にあるようで、まず1階の狭くて薄暗いところを奥に入っていかなければいけないようである。
1〜2体くらい幽霊が佇んでいそうな気がする…
意を決して、心細さに畳み掛けるような勇気のいる暗がりを進んだ先にあった階段を上がる。そこは合わせ鏡の階段エリア。知らぬ間に異空間へ入り込みそうな異様さ。

目に見えないものが見えるんじゃないかと、ドキドキしながら上がった先のシュベールに入店すると、、
外の雑踏とは一変、そこは私の好みの空間が広がっていた。
古めのJAZZが流れる昭和感漂う落ち着いた店内、お客さんはチラホラ。
塩対応のおじさん店員にもものすごい安心感と居場所を感じた。
これだよこれこれ。

コースターが最高にかわいい。好きすぎる。


そんなシュベールでホッと一息。
時間になり、念願の個人レッスンへ向かう。
先生はバジル・クリッツァー先生である。
YouTubeで見ていた時から納得していた、技術云々というより奏者の要らぬ思考を突破らい、シンプルかつ純粋に「自分」と「音」に向き合う指導。
音楽だけでない、生き方そのものに通用する内容に深い感動。
途中泣きそうになったが堪えた。
心底「本当に来てよかった」と思った。
事実、無理矢理出していた音から無理矢理が無くなった。
望む音色にはまだまだ練習が必要だけど、とにかく吹いていて「楽しい」。
音楽をやっているのに「うたうこと」をすっかり忘れていたんだなぁ。
楽器から出てくる音はもう過去のもの。
吹いている今その時に、うたっているかどうか。
過去の音をどう評価するかは聴衆のご自由に。
私は今、うたうのみ。
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