晩酌相手
研究者は、毎晩ひとりで酒を飲んでいた。
研究室には、白いネズミが一匹いた。
名前はアルジャーノン。
「お前だけだよ。俺の話を聞いてくれるのは」
研究者がグラスを傾けると、アルジャーノンはケージの隅から顔を出した。
「乾杯」
もちろん、ネズミは酒を飲まない。
研究者は勝手にそう思っていた。
ある日、研究者は画期的な知能増強実験を成功させた。
アルジャーノンに投与すると、迷路を解く速度が劇的に上がった。
「すごいぞ、アルジャーノン」
その夜も、研究者は酒を飲んだ。
「お前、頭よくなったな」
アルジャーノンはじっと研究者を見ていた。
翌日から、不思議なことが起こり始めた。
アルジャーノンは研究者が話しかけると、ケージの中を歩き回った。
「どうした?」
研究者は気づかなかった。
アルジャーノンは、酒瓶の置いてある棚を見ていた。
数日後。
研究者が帰宅すると、アルジャーノンがケージの扉の前に立っていた。
そして、研究者を見て、
小さく鳴いた。
「……飲むか?」
研究者は笑った。
「お前も飲みたいのか?」
その晩、研究者は実験動物に酒を飲ませるという、研究者としてあるまじきことをした。
アルジャーノンは酔った。
研究者も酔った。
二人で、静かな研究室にいた。
「なあ、アルジャーノン」
「……」
「俺さ、研究しかしてこなかったんだよ」
アルジャーノンは黙って聞いていた。
「友達もいない。家族もいない。だから、お前が賢くなってくれて嬉しいよ」
アルジャーノンは研究者の顔を見た。
そして翌日から、研究者が帰ってくると、必ずケージの前まで来るようになった。
研究者は毎晩、酒を飲ませた。
最初は一杯。
次に二杯。
そのうち三杯。
「今日はどうだった?」
アルジャーノンは答えない。
「そうか。お前も大変だったな」
研究者は勝手に会話を続けた。
数か月後。
アルジャーノンの知能が急激に低下し始めた。
迷路を解けなくなった。
餌を探せなくなった。
そして、研究者のことも認識できなくなった。
研究者は慌てた。
「アルジャーノン!」
ネズミは逃げた。
研究者は論文を書いた。
「アルジャーノンにおける認知機能の進行性低下について」
原因を調べた。
手術の問題。
薬剤の問題。
神経細胞の変性。
どれも決定的ではなかった。
そしてある日、研究者は気づいた。
実験記録の片隅に残っていた、あの記録。
「毎晩、アルコールを投与」
研究者は青ざめた。
「……俺が壊したのか?」
その夜。
研究者はひとりで酒を飲んだ。
いつもなら、隣にはアルジャーノンがいた。
ケージは空だった。
研究者はグラスを二つ並べた。
一つは自分用。
もう一つは、アルジャーノン用。
そして、誰もいないケージに向かって言った。
「乾杯」
しばらくして、研究者は論文のタイトルを書き直した。
「アルジャーノン・ゴードン効果」
……ではなく、
「晩酌相手を賢くしようとした研究者の末路」
と。
