メッシのハットトリックで思い出した、僕らの10番
会社での昼休み、食事をしながらスマートフォンでニュースを見ると、信じられない文字が飛び込んできた。
「メッシ 初戦でハットトリック達成」
おいおい、嘘だろ。
僕が「メッシ」という名前を、もう20年以上前に認識して以来、ずーっと、ずーっとゴールを量産し続けている。これでドイツのクローゼの持つ、ワールドカップ通算得点記録の16にも並んだらしい。
メッシは、今大会で6大会連続出場という、前人未到の輝かしい記録を達成した。それだけで、偉業であるというのに、ゴールまで。
しかも、ハットトリックの巨大なおまけつき。
きっと、幼少期の頃から、点取り屋だったんだろう。プロ選手になる奴はみんなそうだ(と勝手に思っている)。
そんなメッシへの畏敬の念を感じて社員食堂の定食を食べていた僕は、今から40年くらい前の、サッカー小僧だった頃を思い出した。
僕が生まれ育ったのは、静岡県の富士山麓。
清水や藤枝でなくとも、当時の静岡県内はとてもサッカーが盛んだった。多くの子どもは、自身が通う小学校の少年団に入り、ボールを追っかけまわしていた。僕も、もれなくそのひとりだった。
割としっかりと練習があるチームだった。水曜日以外毎日、16時から19時まで。冬場だってナイターを灯して続けた。
同級生に、ひとりとんでもなく上手い奴がいた。Tちゃんだ。
低学年のうちから、リフティングは一度も落とさずに軽く100回できたし、左右両足で思うとおりに蹴ることができた。おまけに足も速かった。さらには、ケンカも強かった(サッカーには関係ないけど)。
成績もオール5だったし、ルックスもいいから、女子にも当然よくモテた。僕がTちゃんに勝っていたのは、ほんの少しだけ彼より背が大きかったくらいだ。
Tちゃんは、練習が休みの水曜日も、ひとり壁に向かってボールを蹴っていた。一度、他のみんなと遊ばないかと誘ったことがある。すると、「サッカーの方が楽しいから」とあっさりと断られてしまった。
Tちゃんは、他の学校と試合をしても、よく点を取っていた。取りまくっていた。市の選抜チームにも選ばれていたから、どこに試合に行っても有名だった。当然、背番号は10番だった。当時、キャプテン翼の影響もあって、一番うまい奴が10番をつけるのが当たり前だった。
僕は右のハーフで、5番だった。
僕らのチームは、ボールを取ったら彼にパスを出せば、たいてい何とかなった。ひとりでドリブルして点を決めてくれるからだ。
Tちゃん以外、あまり上手い奴のいなかった僕らは、彼が抑えられると簡単に負けた。そんな時、彼はよく悔し涙を流していた。
負けて悔しい、そんな感情を抱いたことがなかった僕は、Tちゃんのことが理解できなかった。サッカーなんて、遊びの一環ではないのか。
小学校の卒業が近づいた時、彼は隣町の中学に入学すると言い出した。親戚の家から通うそうだ。
僕らの地元中学には、サッカー部がなかったからだ。
まだ日本にプロリーグがなかった頃、Tちゃんにとってサッカーはすでに遊びではなかったのだ。
卒業してからも、Tちゃんが実家に帰って来ると、よく遊んだ。向こうの中学でも、相変わらずサッカーは群を抜いて上手いらしく、1年からレギュラーになったと話していた。高校は、県内でも強豪の静岡学園へ行くらしい。
僕は、野球部に入り、可もなく不可もない中学生時代を過ごした。そして、なんの考えもないまま、近くの公立高校へ進学した。
高校では、陸上部に入った。特に理由なんてなかった。
陸上の大会は、静岡市内でおこなわれることが多かった。そこは大きなスポーツ公園となっていて、陸上競技場の隣には、サッカーコートがあった。
そのグラウンドでは、よく静学の練習試合がおこなわれていた。自分の走る競技が終わると、観戦に行ったのを覚えている。
見覚えのある奴が、背番号13をつけていた。
Tちゃんだ。
当時、高校サッカーを特集した雑誌でも、「静学内でもテクニックは随一」と掲載されていた。そんな彼でもレギュラー番号が取れないほど、静学は選手層が厚かったのだ。
僕らが高校1年生の時にJリーグが開幕し、熱狂的な人気を博していた。
プロリーグが開幕する以前から、もともと静岡では高校サッカーの人気も高い。静学の練習試合には、いつも大勢の見物客がいた。そして、そのほとんどが女子高生だった。
良い位置でのフリーキック。ボールをゆっくりとセットする13番。
コートを取り囲む女の子たちは、両手を胸の前で組み、祈るような恰好をしている。正月、高校サッカー選手権のTV中継で、よく見る光景だと思った。
「うーつーむくなよー、振り向くなよー♪」
彼の放ったフリーキックは、見たこともない弧を描き、直接ゴールに吸い込まれた。
静まり返っていた外野が、一斉に黄色い歓声に包まれた。
僕はこの時、女子が集まって興奮最高潮の声を揃って発すると、本当に黄色くなるのだと、初めて体感した。
そしてTちゃんは、四方にいるきゃーきゃー言う女子のかたまりに向かって、何度も投げキッスをした。
正直、〇ねと思ったが、会場の雰囲気に圧倒され、僕は間抜けにも口を開けながら、無意識に拍手をしていた。
いけ好かない光景であるにしろ、子どもの頃からの仲間内から、スターが誕生した錯覚に包まれていた。
彼は、その試合でハットトリックを達成し、その都度、投げキッスをした。
要するに僕はその日、3回彼に殺意を覚えた。
「きゃーきゃー」を、ひとりくらい、分けてくれ。
僕たちが高校3年生の時、静学は柳沢敦擁する富山第一、本山雅志率いる東福岡を退け(その後両者ともに鹿島に入団)、全国優勝した(鹿児島実業と両校V)。Tちゃんは全国大会の1回戦までは出場したが、以降はずっとベンチだった。
上には上がいるんだと、僕はこの時、自分の知らない世界があるのだと知った。もう遠い世界すぎて不感症になっていた。
Tちゃんは高校卒業後、単身ブラジルに渡った、とだけ聞いた。
プロになる。そんな夢を追いかけ続けるという。彼らしい、そう思った。
僕は当たり障りのない地方の大学に進学し、親の金で遊ぶことを覚えていた。
数年後、Tちゃんは帰国した。
久しぶりに集まった地元の居酒屋で、彼はブラジルでの生活を楽しそうに話してくれた。そこでの暮らしは、日本とは大きく異なり、SEXがスポーツのように当たり前のものだということ。日本の普通の暮らしがどれだけ恵まれているのかを痛感したこと。まだまだ貧しい人も多く、ぼろぼろのスパイクしか履いていないくせに、サッカーを諦める決心がつくほど上手い奴ばかりだったこと。
そのどれもが、後悔や未練とは無縁のものだったことが救いだった。
彼は、そのまま、きれいさっぱりとサッカーを辞めて、地元で親の鉄工所を継いで社長をやっている。
世界の第一線で輝き続ける、アルゼンチンの10番を見てふと思い出したのは、かつてサッカーをやめた、僕らの10番のこと。
そういえば、僕は人生で、「投げキッス」なんて一度もしたことがない。
たぶんこれからも、そんな機会はやってこないだろう。
