“弱さ“という現代の生存戦略|おいしいごはんが食べられますように(高瀬隼子著)
もはやこの本はホラーだと思う。
題名からはゆるふわな中身を想像してあまり食指が動かなかったが、芥川賞受賞作ということで読んでみた。
するとまあ、題名とは似つかない人間関係の濃い影を描くヒトコワ小説で、35°の東京でゾッと涼しくなってしまった。
以下、ネタバレあり。
みんな自分の働き方が正しいと思っている
異なる感受性、対人姿勢、そして食と働き方に関する「価値観」をもつ登場人物たち。
はっきりと名前が出て描写されるのは二谷、押尾、芦川、藤、原田、の5名。
中でも食への過度な執着や「おいしく食べること」を重視する価値観に嫌悪感を抱く二谷、二谷と交際する“いい子“で弱い美人芦川、そんな芦川が苦手な“強い“女性押尾、の三角関係にも近い人間関係を中心に話は展開される。
読む人によって受け取り方は変わると思うが、多くの人は二谷か押尾に共感するように書かれているように感じた。
私も終始押尾側に倒れながら読み進めていた。
しかしハッとしたのは、以下の藤のセリフ。
誰でもみんな自分の働き方が正しいと思ってるんだよね、と藤さんが言った。無理せず帰る人も、人一倍頑張る人も、残業しない人もたくさんする人も、自分の仕事のあり方が正解だと思っているんだよ。
確かに、就業規則の範囲であれば、どういうスタンスを取っても正しいのだ。
ただ、その選択は自分がどんな生き方をしたいかによって変わる。
芦川は本当に弱く繊細な人間なのか
本作では、芦川は「弱く繊細で優しい」存在であると表現されている。
だから周囲は彼女を守るべきで、彼女の分はできる人がカバーするものだと、周囲も彼女自身も認識している。
でも本当にそうなのか。
少なくとも私は、本当に弱く繊細で優しい人なら、他人を顧みず自分の都合だけで帰ったり、本当に困っている人を他人事のように傍観したりすることは難しいのではないか、と感じた。
周りによく「自分は本当は人より繊細で」とか、「あの人は鈍感そうでいいな」とかいう人がいる。
でも人間なんておそらく多くの人が繊細な部分を持っていて、それを隠して明るく振る舞っている人も多い。
それに気づいている人は軽々しく周りと比べて自分が繊細だなんて言い切れない。
人はみな、自分自身には繊細だ。他人の繊細さにだけ鈍感になってしまう人がいる。
芦川はそこまで露骨ではないものの近いものを感じてしまった。
むしろ猫を全力で助けたり、二谷の心情を繊細に読み取って寄り添ったり、周りのことを考えて頭痛に耐えて働いていたのは押尾の方だった。
だから私は理性では理解できても本能で芦川側に立つことができなかった。
生存戦略
個人的に好ましいと感じるかどうかは置いておいて、私は他人の行動を「生存戦略」と理解して消化する癖がある。
芦川さんは仕事を要領よくこなせるタイプではない。
でも上手に他者に頼ることができ、それを当然と周囲も本人も認識している。
そうやって守られる対象になるというのもまた生存戦略なわけで、彼女が生きるために獲得してきたものだろう。
もし自分もそうしたいならそうすればいいのだ。
芦川のポジションが本当に羨ましいならそうすればいい。
でも私も押尾も、芦川のようにはしない。
そうすることで得られるメリットよりもデメリットの方が大きいと思っているからだ。
周囲にどう見られるかを気にしてしまうからでもある。
そのデメリットを引き受けようとしない以上、私は芦川を一方的に非難することもできない。
最強の働き方してるのが、むかつくんだと思ってたんですけど、もしかして、うらやましいんですかね。なんかうらやましいのとは違う気がするんですけど。ああはなりたくないって、やっぱり思うから。
弱さに見えるものも、本人にとってはこの世界を生き抜くために選んだ、生存戦略なのかもしれない。
そしてその弱さは、現代においては一つの強さとして機能することもある。
押尾さんが負けて芦川さんが勝った。正しいか正しくないかの勝負に見せかけた、強いか弱いかを比べる戦いだった。当然、弱い方が勝った。そんなのは当たり前だった。
あとがき
芥川賞らしい作品だなと思った。
誰が正しくて誰が悪い、とは最後まで言い切れない。
それなのに、自分は誰に共感し、誰に嫌悪感を抱いてしまうのかだけははっきりと突きつけられる。
人と感想戦をするのが、少しだけ怖くなる一冊だった。
最近運動を始めました。
先週はバスケとボルダリング。
おかげで代謝が良くなって通退勤だけで汗べしょべしょです💦
