口に出す人
考え方を改めた方がいーかもと思ったことがある。んーまー、改心するってほど大袈裟なことでもないけど、口に出して、実際に言葉にすることの重要性を、未だ心の何処かで軽んじていたと気付く。
過疎地域の民生委員をしていた時、高齢者だらけの会議の前に、信条を全員で唱和してから始まる昭和スタイルを、やっぱり少しバカにしていた。皆で一斉に声を揃えて信条を読み上げるとか、「欲しがりません勝つまでは」みたいな軍国主義か?とか思ってた。違和感並びに気恥ずかしさが先行逃げ切り。
何か特別なキッカケがあったでもないけど、何となく、繰り返し音読している歎異抄からは、意自ずから通ずる読書百遍の力を感じてもいる。
知るのではなく、信じる世界の存在。
この存在は、口に出して声にすることで、いとも容易く自分の耳に届く。逆に知識や教養や理屈では、どれほど捏ね繰り廻しても説明がつかない。美辞麗句で他人は説き伏せられても、自分の心は誤魔化せない。ここは実体験に基づいた事実であることを認めざるを得ない。
基礎に当たる下地を造る、素養を整えるということになるのだろう。心の乱取り稽古といったところだろうか。
人は業の縁の報いに依って、因を造り果を得る。その業とは身口意で決まる。優先順位で並び替えれば意口身。心にも思わないことは口から出ない、口から出ないことが行動になることはない。心が最も重要なのだが、最もコントロールできない部分である。故に逆転の発想。読み上げるという行動で、声にして口に出すことで、心を整える。至極真っ当で超効率的。
守、型をなぞる。
破、応用する。
離、無意識で使う。
守破離ってヤツ。
僕は極度に失敗を恐れる緊張しーだ。かなりの自意識過剰なナルシストのA(C)であることは否めない。自分が超絶カワイイ、自分しか勝たん。目に入れても痛くない、入れ方はイマイチわからんが、鏡を見るのはわりと好き。そんなキモいおっさんだから、人前に出るのも緊張するし、声を出すとか超苦手、喋るのも歌うのも、ボロが出て、中身が漏れて、カワイイ自分の理想からシビアな現実に着地するのが、嫌だ。ずーっと妄想のぬるま湯に浸かってフヤケてしまいたい。
そんなくだらない人間なので、つい人に聞こえるよーな声を出すことは、酔っ払っている時以外、苦手分野。でも、ひとりごちることなら、得意分野。そして、この独り言で問題の中身が整うなら、やらん手はないよねって噺。
声に出して仏教書を読もう。苦手だった読経も頑張って…いや、楽しんでみよう。ボイストレーニングとか、やってみたら楽しいもん。声を口に出すことで、具体的に出したよーに変わっていく自分と世界。面白いよね。

