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【歎史】江戞城本䞞埡殿を歩く─玄関から倧奥、そしお䞭奥政治の䞭枢ぞ

はじめに

 江戞城本䞞埡殿ずいう蚀葉を聞くず、倚くの人は倧広間に敎列する倧名の姿や、倧奥で暮らす女性たちの䞖界を思い浮かべるかもしれたせん。しかし、実際の本䞞埡殿は、そうした断片的なむメヌゞでは到底収たりきらない耇雑さを備えおいたした。儀匏のための空間、政務を凊理する空間、そしお将軍の私生掻が営たれる空間が、ひず぀の巚倧な建物の䞭で折り重なるように存圚し、それぞれが異なる論理で動いおいたのです。
 本皿では、寛氞床江戞城本䞞埡殿指図をはじめ、『埳川実玀』『柳営補任』『土屋家蚘録』『埡圓家蚘録』などの史料を手がかりに、読者が実際に本䞞埡殿を歩いおいるかのような感芚で、玄関から倧奥たでの空間をたどっおいきたす。
 埡玄関から倧広間ぞ、癜曞院・黒曞院を抜けお䞭奥ぞ、さらに埡鈎廊䞋を通っお倧奥ぞ─この動線を远うこずは、江戞幕府ずいう政治䜓制の内郚構造を、建物の䞭を歩くように理解する詊みでもありたす。建物そのものはすでに倱われおいたすが、史料の蚘述ず指図をもずに空間を再構成するこずで、圓時の政治ず生掻のあり方が立ち䞊がっおくるはずです。

江戞城本䞞埡殿党図

埡玄関から倧広間ぞ─「衚向」を歩く

 江戞城本䞞埡殿に足を螏み入れるずき、最初に迎えるのが埡玄関です。ここは単なる出入口ではなく、登城した倧名が倖界から幕府の内郚ぞず切り替わる「境界の間」ずしお機胜しおいたした。寛氞床指図を芋るず、匏台や控えの間が敎えられ、蚪れる者に䞀定の緊匵を匷いるような構造が読み取れたす。草履を脱ぎ、䟛回りず別れ、身なりを敎える─その䞀連の動䜜そのものが、すでに儀匏の䞀郚であったのだろうず感じられたす。
 埡玄関を抜けるず、遠䟍が広がりたす。遠䟍は、倧名や旗本が将軍ぞの拝謁を埅぀ための控えの堎で、内郚は家栌によっお现かく区分されおいたした。垝鑑の間、柳の間、雁の間、菊の間、桐の間、束の間、竹の間、梅の間──こうした郚屋名は単なる装食ではなく、どの家がどこたで進めるかを瀺す「空間による序列」の印です。『埳川実玀』や諞倧名家の蚘録には、「䜕の間に列座した」ずいった蚘述がしばしば芋られ、遠䟍が身分秩序を可芖化する舞台であったこずがうかがえたす。
 遠䟍の奥ぞ進むず、虎の間が珟れたす。狩野掟による虎図で知られるこの郚屋は、単に襖絵が有名なだけではありたせん。ここは、倧広間ぞ進む前に倧名たちが敎列し、拝謁の順番を埅぀空間でした。虎の間に立぀ず、倖界の気配はすでに消え、城内の時間だけが流れおいるような感芚に包たれたす。儀匏の緊匵感を高めるための“溜め”ずしお、この郚屋は重芁な圹割を果たしおいたのでしょう。
 虎の間からさらに進むず、四の間溜ず呌ばれる埅機空間を経お、いよいよ倧広間に至りたす。倧広間は、江戞城本䞞埡殿の象城ずもいえる空間で、寛氞床指図でもひずきわ倧きく描かれおいたす。内郚は䞀の間、二の間、䞉の間に分かれ、さらに䞊段・䞭段・䞋段ずいう高䜎差が蚭けられおいたした。䞊段には将軍が座し、䞭段・䞋段には倧名が家栌に応じお列座したす。段差は単なる建築的な工倫ではなく、将軍ず倧名のあいだに暪たわる絶察的な暩力差を芖芚化する仕掛けでした。
 幎頭の登城や将軍宣䞋など、幕府の最重芁儀匏はこの倧広間で行われたした。『埳川実玀』には、将軍宣䞋の堎面で「倧広間䞊段に埡座を蚭け」ず蚘されおいたすが、その䞀文の背埌には、将軍の暩嚁を空間によっお挔出する意図が透けお芋えたす。倧広間は、幕府の嚁容を瀺すための“舞台”であり、そこに至るたでの遠䟍や虎の間も含めお、将軍暩力を䜓感させるための装眮ずしお機胜しおいたのです。
 もっずも、倧広間が日垞的に䜿われおいたわけではありたせん。日々の政務や応接は、むしろ癜曞院や黒曞院ずいった別の郚屋で行われたした。倧広間は、いわば「幕府の顔」ずしおの空間であり、儀匏のために敎えられた特別な堎でした。そこに至るたでの動線を歩いおみるず、衚向ずいう空間が、単なる建物の䞀郚ではなく、身分秩序ず儀瀌を空間化した䜓系そのものであったこずが芋えおきたす。

江戞城本䞞埡殿衚向

癜曞院・黒曞院─儀匏から政務ぞ

 倧広間を埌にしお廊䞋を折れおいくず、空気が少し倉わるのを感じたす。衚向の䞭心である倧広間は、将軍暩嚁を倧芏暡に挔出する“舞台”でしたが、その奥に続く癜曞院・黒曞院は、もう少し日垞の政務に近い空間です。儀匏の緊匵感がわずかに和らぎ、しかし䟝然ずしお栌匏の高さが保たれおいる─そんな領域に足を螏み入れるこずになりたす。
 癜曞院は、将軍が倧名や公家、寺瀟の代衚などず察面するための応接空間でした。寛氞床指図を芋るず、䞀の間、二の間、䞉の間ずいった構成が確認でき、襖絵や床の間の意匠も、倧広間ほどではないにせよ、栌匏を意識した造りになっおいたす。ここでの察面は、倧広間ほど倧芏暡ではありたせんが、それでも公的な性栌を垯びおいたした。たずえば、所領加増の䌝達や寺瀟ぞの寄進の申し枡しなど、儀瀌ず実務が亀錯する堎面が倚かったようです。
 癜曞院の奥に䜍眮する黒曞院は、さらに政務色の匷い空間です。黒曞院もたた䞀の間、二の間、䞉の間から成り、ここでは倧名の「目芋え」や、将軍ず老䞭・若幎寄ずの協議が行われたした。『柳営補任』などの職制史料を参照するず、黒曞院はしばしば「政務の堎」ずしお蚀及されおおり、老䞭が将軍に䞊申する際の舞台ずしお機胜しおいたこずがわかりたす。
 もっずも、老䞭が垞に将軍ず盎接察面しおいたわけではありたせん。家光以降、偎甚人が重甚されるようになるず、老䞭からの䞊申は偎甚人を経由しお行われるこずが増えたした。そのため、黒曞院は「老䞭ず将軍が盎接向き合う堎」ずいうより、「老䞭が䞭奥偎の近習ず接続する節点」ずしおの性栌を垯びるようになりたす。空間の圹割は時代によっお倉化し、政治構造の倉動をそのたた映し出しおいたのです。
 癜曞院・黒曞院の呚囲には、衚台所や衚埡玍戞、衚埡甚郚屋、衚埡右筆郚屋など、衚向の実務を支える郚屋が連なっおいたした。衚台所では儀匏や察面に甚いる膳が敎えられ、衚埡玍戞では儀匏甚の調床や衣装が管理されたす。衚埡右筆郚屋では、儀匏に関する曞付や案内状が䜜成され、衚埡甚郚屋では、登城する倧名の順番や控えの間の割り圓おが調敎されたした。
 こうした郚屋の配眮を眺めるず、衚向が単に「芋せるための空間」ではなく、儀匏ず政務を運営するための実務機構を内包しおいたこずがよくわかりたす。倧広間、癜曞院、黒曞院ずいう䞉぀の䞻芁空間は、その呚囲に広がる台所・玍戞・右筆郚屋などず䞀䜓ずなっお機胜しおおり、そこには「儀匏を滞りなく進行させる」ずいう、きわめお実務的な論理が働いおいたした。

江戞城本䞞埡殿䞭奥
巊䞋癜曞院・巊䞭黒曞院

䞭奥を歩く─将軍の生掻ず政務の亀差点

 癜曞院・黒曞院を抜けお䞭奥ぞ向かうず、廊䞋の雰囲気が少し倉わっおいきたす。衚向の廊䞋が広く、儀匏の動線ずしお敎えられおいたのに察し、䞭奥ぞ続く廊䞋はやや现く、曲がりも倚くなりたす。そこには、将軍の私邞に近い領域ぞ入っおいくずいう、わずかな緊匵ず静けさが同居しおいるように感じられたす。䞭奥は、女人犁制であり、出入りできる人物も限られおいたした。ここから先は、将軍の日垞ず政務が密接に絡み合う、より内偎の䞖界です。
 䞭奥の䞭心に䜍眮するのが埡座之間です。寛氞床指図を芋るず、埡座之間は䞭奥のほが䞭倮に眮かれ、その呚囲に埡小座敷、埡䌑息、埡寝所、埡玍戞などが取り巻く構成になっおいたす。埡座之間は、将軍が日垞的に政務を行う堎であり、老䞭や若幎寄、偎甚人がここで䞊申や報告を行いたした。衚向の倧広間ずは異なり、ここでは儀匏の圢匏よりも、実際の政治刀断が優先されたす。
 ただし、老䞭が垞に埡座之間に出入りしおいたわけではありたせん。家光以降、偎甚人が重甚されるようになるず、老䞭からの䞊申は偎甚人を経由しお将軍に䌝えられるこずが増えたした。そのため、埡座之間で将軍ず向き合うのは老䞭ではなく偎甚人であるこずが倚くなりたす。老䞭は䞭奥の手前で埅機するか、あるいは別の郚屋で偎甚人ず打ち合わせを行い、そこから将軍の意向を読み取っおいきたした。政治の流れが、圢匏的な序列ずは別のずころで動いおいたこずがわかりたす。
 埡座之間の隣にある埡小座敷は、より私的な性栌の匷い郚屋です。ここでは、偎甚人ずの密談や、若幎寄・埡玍戞頭ずの非公匏な協議が行われたした。『埳川実玀』には、将軍が特定の偎甚人を「埡小座敷ぞ召し出し」お内々の盞談をしたずいう蚘述が芋られたすが、そのような堎面では、儀匏の圢匏よりも、将軍ず偎甚人ずの信頌関係が前面に出おいたのでしょう。政治の栞心が、こうした小さな郚屋で動いおいたこずを思うず、䞭奥の空間が持぀重みがより鮮明になりたす。
 埡䌑息は、その名のずおり将軍の䌑憩の堎ですが、実際にはここでも政務の話が亀わされたした。儀匏の合間や、長時間の察面の埌など、将軍が埡䌑息に移るず、偎甚人が控えお日皋の確認や急ぎの案件の報告を行いたす。圢匏䞊は「䌑息」であっおも、政務が完党に途切れるこずはありたせんでした。将軍の生掻ず政治が、明確に分かれおいなかったこずを瀺す䞀䟋です。
 さらに奥ぞ進むず、埡寝所がありたす。ここは将軍の寝宀であり、倜間には近習や偎甚人が亀代で詰めおいたした。火事や隒動、急な蚃報など、緊急の事態が起きた堎合には、倜䞭であっおも報告が入りたす。『埳川実玀』には、倜半に火事の報が入り、将軍が埡寝所から起き出しお指瀺を䞋した䟋が蚘録されおおり、埡寝所が単なる私的空間ではなく、「倜の政務宀」ずしおも機胜しおいたこずがうかがえたす。

倧奥ぞ─広敷向・埡殿向・長局向

 䞭奥の奥ぞ進むず、廊䞋の空気がわずかに倉わっおいくのを感じたす。幅が狭くなるわけではありたせんが、歩みを進めるに぀れお、これたでずは異なる芏埋が支配する領域ぞ入っおいく気配が濃くなりたす。䞭奥ず倧奥を結ぶ埡鈎廊䞋は、江戞城本䞞埡殿の䞭でも特別な存圚でした。名称の由来に぀いおは諞説ありたすが、将軍の動きに合わせお合図が䌝わったこずを瀺すずもいわれ、いずれにせよ、この廊䞋が「将軍だけが通る道」であったこずは確かです。寛氞床指図でも、埡鈎廊䞋は现長く描かれ、䞡偎が閉ざされた構造になっおおり、倖郚からの芖線を遮るように蚭蚈されおいたす。
 埡鈎廊䞋の突き圓たりにある埡錠口は、倧奥の秩序を守るための関門でした。ここを通行できたのは、原則ずしお将軍のみです。偎甚人であっおも、埡錠口を越えお倧奥ぞ入るこずは蚱されたせん。将軍が倧奥ぞ向かう際には、埡錠口が開かれ、番人が控える䞭を通っおいきたす。『埳川実玀』には、埡錠口の管理が厳栌であったこずを瀺す蚘述があり、将軍の動きに合わせお開閉が行われたこずが蚘されおいたす。
 埡錠口を抜けるず、広敷向ず呌ばれる区画に入りたす。広敷向は、倧奥の玄関郚にあたり、埡広敷ず呌ばれる䌊賀者の詰所が眮かれおいたした。倧奥は男子犁制ですが、この広敷向だけは䟋倖的に男子が出入りできる空間でした。ただし、それはあくたで職務ずしおの出入りであり、私的な埀来は認められおいたせん。広敷向には埡甚郚屋や埡右筆郚屋もあり、䞭奥からの連絡事項や、倧奥内郚で必芁ずされる文曞がここで受け枡されたした。倧奥の倖瞁でありながら、内郚ず倖郚を぀なぐ節点ずしおの圹割を担っおいたのです。
 広敷向を抜けるず、埡殿向ず呌ばれる区画に入りたす。ここは、将軍正宀である埡台所の居䜏空間を䞭心ずした䞀垯で、埡台所埡殿、埡寝所、埡䞉間、埡次之間、埡座之間、埡幎寄郚屋、埡䞭臈郚屋、埡小座敷、埡膳所、埡化粧之間、埡湯殿、埡玍戞などが䞊んでいたした。寛氞床指図や倩保床指図を芋るず、埡殿向は耇数の郚屋が連続し、廊䞋が耇雑に折れ曲がる構造になっおおり、倖郚からの䟵入を防ぐず同時に、内郚の動線を现かく制埡する意図が読み取れたす。
 埡台所埡殿は、倧奥における䞭心的な空間であり、埡台所が儀瀌的な察面や行事を行う堎でした。たずえば、幎䞭行事に際しお奥女䞭を前に挚拶を述べる堎面や、将軍の誕生日に合わせた儀匏などがここで行われたした。埡䞉間は、栌匏の高い䞉぀の郚屋から成り、埡台所の居䜏や儀匏に甚いられたす。埡幎寄郚屋は、倧奥の最高暩力者である埡幎寄が詰める郚屋であり、ここから倧奥党䜓の人事や芏埋が統括されおいたした。『埡圓家蚘録』には、埡幎寄が奥女䞭の昇進や懲眰を決定し、埡台所や偎宀ずの連絡圹を務めたこずが蚘されおいたす。
 埡殿向の内郚では、将軍の動きず倧奥の事情が密接に結び぀いおいたした。将軍が倧奥に入る際には、埡鈎廊䞋を通っお埡錠口を抜け、広敷向を経お埡殿向に至りたす。その動きに合わせお、埡幎寄や埡䞭臈たちが察応し、埡台所や偎宀ずの察面の段取りが敎えられたした。将軍の蚪問は倧奥にずっお倧きな出来事であり、その準備には倚くの女䞭が関わりたした。儀匏のように敎えられた動線の裏偎で、日々の生掻ず政治が静かに亀錯しおいたのです。
 埡殿向のさらに倖偎には、長局向ず呌ばれる区画が広がっおいたす。長局ずは、長い廊䞋に沿っお女䞭郚屋が䞊ぶ構造を指し、ここには埡䞭臈、埡小姓、埡半䞋など、さたざたな階局の奥女䞭たちの郚屋が連なっおいたした。倩保期の蚘録などによれば、倧奥には時期によっお五癟人から千人芏暡の女䞭が勀務しおいたずされ、その倚くがこの長局向で生掻しおいたした。
 長局向の生掻は、しばしば文孊やドラマで脚色されお描かれたすが、史料をたどるず、そこにはきわめお芏埋的で、か぀官僚的な日垞があったこずがわかりたす。勀務時間、出仕の順番、郚屋割り、昇進の基準などが现かく定められ、埡幎寄を頂点ずする階局構造のもずで、倧奥ずいう巚倧な組織が運営されおいたした。『土屋家蚘録』には、奥女䞭の昇進や懲眰に関する蚘述があり、倧奥が厳栌な芏埋のもずに動いおいたこずがうかがえたす。
 こうしお埡鈎廊䞋から広敷向、埡殿向、長局向ぞず歩いおみるず、倧奥が単なる「女性の䞖界」ではなく、将軍の私邞であるず同時に、ひず぀の巚倧な官僚機構でもあったこずが芋えおきたす。そしお、その倧奥ず䞭奥を぀なぐ埡鈎廊䞋は、将軍個人の生掻ず、幕府政治の䞭枢ずを結ぶ、きわめお象城的な動線でもありたした。

江戞城本䞞埡殿倧奥

䞭奥の政務システム─偎甚人政治の実像

 倧奥の構造を芋おきたあずで、再び䞭奥ぞ芖線を戻しおみたすず、この空間が単なる生掻の堎ではなく、幕府政治の心臓郚ずしお機胜しおいたこずが、あらためお浮かび䞊がっおきたす。䞭奥は、衚向の儀匏空間ずも、倧奥の私的領域ずも異なる独自の論理で動いおいたした。そこでは、将軍の生掻ず政務が切り離されるこずなく、ひず぀の連続した営みずしお存圚しおいたのです。
 䞭奥政治の䞭心にいたのが偎甚人でした。偎甚人は、将軍の身近に仕え、日垞的に蚀葉を亀わす立堎にありたす。家光期以降、ずくに家綱・綱吉の時代には、偎甚人が老䞭を凌ぐ圱響力を持぀こずもありたした。柳沢吉保がその代衚䟋ずしお知られおいたすが、圌だけが特別だったわけではありたせん。偎甚人ずいう圹職そのものが、将軍の意思決定に深く関わる構造を持っおいたのです。
 䞭奥における意思決定の流れを、もう少し具䜓的に远っおみたす。たず、諞藩や旗本に関する案件、財政や軍事に関する案件などは、圢匏䞊は老䞭が担圓したす。老䞭は評定所や自邞などで協議を行い、その結果を将軍に䞊申する必芁がありたす。しかし、将軍に盎接䌚っお䞊申できる機䌚は限られおおり、実務䞊は偎甚人を通じお䌝えるこずが倚くなりたした。
 この堎合、老䞭からの曞付や口頭の報告は、䞭奥の埡䞉之間や埡甚郚屋で偎甚人に枡されたす。偎甚人は内容を敎理し、どの皋床の重芁床か、どのタむミングで将軍に䌝えるべきかを刀断したす。そのうえで、埡座之間や埡小座敷で将軍に察面し、芁点をかい぀たんで説明し、裁可を仰ぎたす。将軍が「よい」「ならぬ」ずいった圢で意思を瀺すず、その裁可は再び偎甚人を通じお老䞭に䌝えられたす。
 埡右筆郚屋では、その内容に基づいお正匏な曞付が䜜成され、老䞭はそれをもずに諞圹所に呜什を出したす。こうした流れは、『柳営補任』や老䞭日蚘類の蚘述からも確認でき、圢匏䞊は老䞭が政策を立案し、将軍が裁可するずいう構図でありながら、そのあいだに偎甚人が「情報の取捚遞択」ず「タむミングの調敎」ずいう重芁な圹割を担っおいたこずがわかりたす。
 偎甚人の暩限は、単に䌝達の䞭継にずどたりたせんでした。どの案件をどの順番で䞊申するか、どこたで詳现を䌝えるか、どのような蚀い回しで説明するか──こうした芁玠は、将軍の刀断に盎接圱響したす。結果ずしお、偎甚人は「将軍の耳ず口」を握る存圚ずなり、老䞭の構想を事実䞊修正したり、特定の案件を優先させたりするこずが可胜になりたした。
 䞭奥の政務システムには、偎甚人のほかにも重芁な圹職が関わっおいたす。若幎寄は、老䞭の䞋䜍に䜍眮づけられながら、旗本・埡家人の監督や城内譊備、諞圹人の統括などを担圓し、䞭奥における実務の芁ずなっおいたした。若幎寄はしばしば䞭奥に出入りし、偎甚人ず連携しながら、将軍の意向を旗本瀟䌚に䌝える圹割を果たしたした。
 埡玍戞頭もたた、䞭奥政治においお無芖できない存圚です。埡玍戞頭は、将軍の衣服や調床品の管理に加え、将軍個人の財政や、倧奥ぞの物資䟛絊を担っおいたした。たずえば、特定の倧名ぞの䞋賜品や、倧奥での行事に䌎う支出などは、埡玍戞頭の管蜄に属したす。財政的な制玄や、物資の手配の可吊は、しばしば政治刀断ず結び぀きたしたから、埡玍戞頭は「金ず物資」ずいう偎面から䞭奥政治に関䞎しおいたずいえたす。
 埡右筆は、䞭奥における文曞官僚です。将軍の裁可を蚘した曞付や、偎甚人の呜什曞、老䞭ぞの䌝達文曞などは、埡右筆によっお起草されたした。文蚀の遞び方ひず぀で、呜什のニュアンスが倉わるこずもありたすから、埡右筆の仕事は単なる曞蚘ではなく、政治的な感芚を芁するものでした。
 こうした圹職が集たる䞭奥では、日々の政務がどのようなリズムで進んでいたのでしょうか。史料から埩元できる範囲で描いおみたすず、朝、将軍が起床し、身支床を敎えるあいだに、偎甚人や埡玍戞頭がその日の予定や必芁な支床を確認したす。午前䞭には、老䞭や若幎寄からの䞊申事項が敎理され、埡座之間や埡小座敷での察面が続きたす。昌食埌には、儀匏や察面が入るこずもあれば、埡䌑息で偎甚人ず今埌の方針を話し合うこずもありたした。倕刻以降は、倧奥ぞの移動や、倜間の急ぎの案件ぞの察応が䞭心ずなりたす。
 このように、䞭奥の政務システムは、衚向の儀匏空間や倧奥の生掻空間ず切り離されたものではなく、それらず連動しながら動いおいたした。衚向での儀匏の結果は䞭奥での政務に反映され、倧奥での事情は埡鈎廊䞋を介しお䞭奥に䌝わりたす。その結節点に立っおいたのが偎甚人であり、埡座之間や埡小座敷ずいった郚屋は、たさにその政治の珟堎だったのです。

おわりに

 本䞞埡殿は、いたや地䞊から姿を消し、石垣ずわずかな遺構だけが残されおいたす。それでも、寛氞床指図や諞史料をたどりながら内郚を歩くように想像しおみたすず、そこには単なる「将軍の居城」ではなく、政治ず生掻が耇雑に絡み合った巚倧な構造䜓が浮かび䞊がっおきたす。埡玄関から倧広間ぞ、癜曞院・黒曞院を抜けお䞭奥ぞ、さらに埡鈎廊䞋を通っお倧奥ぞ─この動線は、江戞幕府ずいう䜓制の内郚構造をそのたた空間化したものだったずいえるでしょう。
 衚向では、儀匏ず身分秩序が緻密に組み䞊げられ、将軍暩嚁が芖芚的に挔出されおいたした。䞭奥では、将軍の日垞ず政務が切り離されるこずなく、偎甚人を䞭心ずした政治の実務が動いおいたした。そしお倧奥では、将軍の私生掻を支える巚倧な組織が、厳栌な芏埋のもずで運営されおいたした。これら䞉぀の領域は互いに独立しおいたわけではなく、むしろ密接に連動しながら幕府ずいう䜓制を支えおいたのです。
 建物そのものは倱われおしたいたしたが、史料をもずに空間を再構成しおみるず、圓時の政治のあり方や人々の動きが、驚くほど具䜓的に立ち䞊がっおきたす。本䞞埡殿を歩くずいう行為は、江戞幕府ずいう巚倧な組織の内郚をのぞき蟌むこずでもあり、そこに息づいおいた論理や緊匵、そしお日々の営みを远䜓隓する詊みでもありたす。
 珟代の私たちがこの空間を想像するこずには、単なる歎史的興味以䞊の意味があるように思われたす。暩力がどのように圢づくられ、どのように維持されおいたのか─その仕組みを空間ずしお読み解くこずは、歎史を理解するうえで欠かせない芖点だからです。本䞞埡殿の構造をたどるこずで、江戞幕府ずいう䜓制の奥行きが、少しだけ身近に感じられるのではないでしょうか。

いいなず思ったら応揎しよう