元フジテレビという肩書きが”十字架”になったのだろうか
先日、息子の幼稚園で運動会が開催されました。
この幼稚園は年中さんからクラス対抗のリレーがあります。
息子の出番は後ろから3番目です。
その2人前の男の子が快走し、息子のクラスはトップに躍り出ます。
そのままトップでバトンを受け取り、無事そのまま次の走者へ。
息子が走っているときは夢中で応援しました。
そして、家に帰ってその動画を見返した時、
私は息子の表情に釘付けになりました。
自分のクラスがトップに立った直後、
バトンをもらうため彼はスタートラインに立ちます。
今までに親が見たことのない真剣な表情で
バトンを受け取るための手を前に伸ばして、微動だにしません。
トップに立って興奮した様子の担任の先生の言葉に軽く頷くと、
伸ばした手をさらに前へ。
彼なりに、”リードを守る”という自分の責任と向き合い、
「どんな状況にも揺らがない」という決意の表情をしていました。
この表情を見て、父として少しだけ勇気をもらいました。
そしてこう決意しました。
この一年で自分に起こったことをやはり書き記しておこう、と。
いつか息子が、あの時、父にはこんなことがあったのか、と知るその日まで。
しっかり彼が伸ばした手に、親としてバトンを渡すためにも、向き合っていこうと。
これは、元フジテレビアナウンサーが3月に体験したお話です。
私がフジテレビを退社したのは3月31日で、まさに第三者委員会の調査報告書が発表される日でした。
実は、その翌日の4月1日から、私はある上場企業で契約社員として働く予定でした。
去年11月、
私がフジテレビを退社をすると知ったその企業から打診があり、
契約社員という形でその企業のオウンドメディアにキャスターとして出演することで合意しました。
月に120時間勤務という条件です。
私は知名度があるアナウンサーではありません。
正直フリーとして戦えるとは思っていませんでした。
この契約があることで、なんとか次の一歩を安心して踏み出せる、そんな気持ちでした。
今年1月に条件通知がありました。
その際に、私は「今、フジテレビが問題になっているが私が御社に入社して迷惑ではないか?」と問いましたが、そんなことはない、と答えてくれてほっとしたのを憶えています。
その後、契約書にサインしました。
今年3月。
当時、社会ではフジテレビをめぐる問題が連日大きく報じられており、私自身も、“元フジテレビ”という肩書きがどのように受け止められるのか、正直なところ強い不安がありました。
問題が一向に収束する気配が見えない中、
私はその企業に入社する準備を進めていました。
4月1日にはプレスリリースも出される予定でした。
3月19日
オンラインでの打ち合わせがありました。
そこで、先方の担当の方から、
企業側の上層部から「西岡さんの勤務時間が足りない」という指摘があると説明を受けました。
私はアナウンサーなので当然動画出演(キャスター)が自分の業務内容だと思っていました。先方から提示された肩書きも「MC兼プロデューサー」です。(ちなみに、プロデューサーという肩書きは、出演者などと交渉するときに便利なように私がお願いしたものです。)
動画なら何本でも出演できます。
ですから、“勤務時間が足りない”という意味が正直分かりませんでした。
すると担当の方から、
「原稿を書きませんか?原稿を書いたことで勤務時間を満たしたと説明できるので」と提案されました。
せっかく入社する会社と波風立てたくないと思った私は、
週に2本の原稿執筆を引き受けました。
3月27日
それから10日ほど経った3月27日、入社に向けた最終打ち合わせが行われました。
そこで再び、担当の方から「まだ勤務時間が足りないという上層部の指摘がある」「動画の編集もお願いしたい」という説明がありました。
私は動画編集の専門的なスキルを持っていません。
元々、私が所属していたキー局では編集はディレクターや専門の担当者が行う仕事であり、アナウンサーが編集をすることはありません。
動画編集ソフトに触ったこともありません。
正直戸惑いました。
その日の夜、社内の方々との会食がありました。
そこで率直に伝えました。
「編集のスキルが私にはありません。
また、すでに業務は週3回の動画出演、その台本の執筆、週2本の原稿執筆、社内イベントの司会やナレーション、企画の立案と交渉でいっぱいです。
ここに編集が加わると、契約上の勤務時間を超えてしまうと思います」と。
そして、残業した場合の扱いについて確認したところ、上層部の方から
「その際の残業代は支払われない」という趣旨の説明を受けました。
この発言の瞬間、私は”選択”を迫られていることを悟りました。
この条件を受け入れるのか。
それとも、この企業への入社を諦め、大逆風の中、フリーアナウンサーとして生きるのか。
どちらも、私が望んでいた穏やかな未来ではありませんでした。
*ちなみに、私への条件通知書にはこう書かれています。
”固定残業手当は基本給にライフプラン給基準額を算定基礎として計算した法定外労働時間分相当額です。時間を超過した分については別途支給します”
(筆者注:ライフプラン給基準額は55000円とあり、時給計算すると8時間程度)
翌3月28日
先方から、
「4月1日の入社を急がず、
今後について協議し、互いのイメージを合致させたい」と連絡がありました。
入社を延期してほしい、という趣旨だと私は受け取りました。
私は、この企業はもう私の入社は望んでいないのだなと理解し、入社を断念しました。
一方で、なぜ急にこのような一連の行動になったのか、納得できない気持ちは残り、企業に問い合わせをしました。
返ってきたのは、「より具体的な職務を詰める中で、当初の内容と乖離している事実が判明した」「その乖離は採用を見送る事由に該当する」という趣旨の返答でした。
私が「できない」と伝えたのは編集業務のみです。
編集がそれほど重要な要件であると知っていれば、編集の能力がない私は去年11月の時点で入社を断っていました。
また、アナウンサー出身の私に編集をさせたい、そのための即戦力として期待した、それが”乖離”したというのであれば、そもそも編集できる技術があるかも確認すべきだと思いますし、私が編集業務が求められていると聞いたのは確実に入社4日前です。
その企業からはこれ以上の説明がなかったため、
ここからは私自身の内面の話です。
この一連の出来事が起きたのは、ちょうどフジテレビ問題が社会で大きく取り沙汰されていた時期でした。
だからこそ、今回の急な変化の中で、
「この背景に、フジテレビ問題が全く無関係と言い切れるのだろうか」
そんな思いがどうしても胸をよぎってしまいます。
もちろん、実際にそうだったかどうかは分かりません。
4月10日。noteを始めました。
4月1日からも安定した環境の中で仕事ができると信じて疑わなかった私は
フリーアナウンサーとしての営業もしていませんでしたし、
芸能関係の事務所も契約していない。
そして、無収入。
本当に何にもない状態でした。
失意のまま呆然と立っているような、
そんな状況の中でnoteを始めました。
noteでこれからのビジョンを語ったり、
過去の中継のことを振り返る。
当時、それが私の支えになっていたのです。
今、ありがたいことに少しずつお仕事をいただけるようになりましたが
その時に味わった疎外感、無力感などは一生忘れることはないと思います。
私はフジテレビ出身です。
誇りに思ってきた元「フジテレビアナウンサー」という肩書きが、この一年、時に十字架として重くのしかかることもあることを知りました。
今でも、YouTubeで私が出演した動画には、
フジテレビ出身ということを揶揄したり、
それと紐付けて非難するようなコメントも見られます。
仕方がないことだと理解はしていますが、もちろん心は泣いています。
過去は変えられません。
私はフジテレビに育てられた人間ですし、当然恩義も感じています。
自分を信じて
これまで同様、誠実にひとつひとつの仕事に向き合っていくこと、
それしか私に出来ることはありません。
何より、誰に非難されようが
息子に恥じない自分でありたいと願っています。
今の私にとって、彼はスーパーヒーローです。
運動会のリレーのプレッシャーの中、
きりりと引き締まった表情ですっくと立っていた息子。
あの強さが、揺るぎなさが、父に少しでもありますように。
そんな思いを込めて、noteを今日、ここに記しておきます。
長文お付き合いいただきありがとうございました。
