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音読みしかない漢字がある─「駅」「肉」「茶」に訓読みがない理由

音読みと訓読みの見分け方を、こう習います。

聞いて意味が分かるほうが訓読み。分からないほうが音読み。

「山」を「やま」と読めば意味が分かるから訓読み。「サン」と読んでも分からないから音読み。たしかに、多くの漢字はこれで見分けられます。

では、次の三つはどうでしょうか。

駅。肉。茶。

「えき」と聞いて、意味が分かります。「にく」も「ちゃ」もそうです。ということは訓読みでしょうか。

違います。三つとも音読みです。学校で習う範囲では、訓読みがありません。

聞いて意味が分かる。それでも音読みなのです。つまり、教わった見分け方には例外がある。では、ほんとうの違いはどこにあるのでしょうか。

答えは、漢字が日本に来たときまでさかのぼると出てきます。そこが分かると、音読みと訓読みは覚えるものではなく、成り立ちから分かるものになります。

小学四年生と五年生で習う単元ですが、ここで扱う知識は中学生になっても、大人になっても同じように使えます。

日本語を書き表す文字が、まだなかった

話は、漢字が日本に来る前まで戻ります。

その頃の日本にも、ことばはありました。人はしゃべっていたし、「やま」も「かわ」も「いぬ」も、口に出せば通じました。

ただ、日本語を書き表すための文字が、まだありませんでした。話すことはできても、書き残す方法がなかったのです。

そこへ中国から、漢字という文字が入ってきます。日本人はこれを見て、自分たちのことばを書くために使い始めました。

このとき、二通りのやり方が生まれます。

一つめは、中国での読み方ごと借りてくるやり方。中国では「山」を、日本語の「サン」に近い音で読んでいました。その音を日本語の発音に写し取って、「サン」と読む。これが音読みです。もとは外国語の音なので、聞いただけでは意味が分からないことが多くなります。

二つめは、文字だけを借りて、読み方は日本語のままにするやり方。「山」という字が指しているものを、日本語では「やま」と言う。だから「山」と書いて「やま」と読むことにする。これが訓読みです。もともと日本語なので、聞けば意味が分かります。

ここが、この記事でいちばんお伝えしたいところです。

音読みと訓読みは、「聞いて意味が分かるかどうか」で分かれているのではありません。「その読みをどこから持ってきたか」で分かれています。

音読みは、中国から音を借りたもの。訓読みは、日本語のことばを漢字に当てたもの。分かれ目はここにあります。

では、なぜ「駅」は意味が分かるのか

ここで最初の話に戻ります。

「駅」は音読みです。中国から来た音です。本来なら、聞いても意味が分からないはずでした。

ところが分かります。理由は単純で、この言葉が日本語として定着してしまったからです。

千年以上のあいだ、日本人は中国から来た言葉を使い続けてきました。使っているうちに、それは外国語ではなくなります。今の私たちにとって「駅」は、借り物の中国語ではなく、ふつうの日本語です。

「肉」も「茶」も同じです。「絵」もそうです。ひらがな一字で「え」と読むので日本語そのものに見えますが、これも中国から来た音です。ほかにも「客」「役」「番」「線」「毒」など、学校で習う範囲では音読みしかないのに、聞けば意味が分かる字がたくさんあります。

だから、「聞いて意味が分かるかどうか」は目安として使うのが正しい。多くの場合はうまくいきますが、外れることもある、という程度のものです。

見分けがつかないときは、送りがなも手がかりになります。「歩く」「楽しい」のように、送りがなが付く読みは訓読みであることが多いからです。日本語の動きや様子を表すことばには、活用があります。中国から音だけを借りた音読みには、これがありません。

ただし「感じる」「信じる」のような形もあります。「感」も「信」も音読みですが、日本語の動詞として使うために、あとから活用が付いたものです。だから手がかりであって、決まりではありません。

送りがなが付かない字は、声に出して比べてみるのも一つの方法です。「ガク」「シュツ」「ケン」と、「やま」「はな」「こころ」。並べてみると、音の形が違って聞こえます。これも、二つの読みの出どころが違うことの名残です。規則として覚える必要はありません。比べて声に出す。それだけで十分です。

この見方が正しいことは、逆の例でも確かめられます。峠、畑、働。これらの字は中国から来ていません。日本で作られた字(国字)です。

「峠」は山を上って下るところ。「畑」は火と田を組み合わせた字で、木を焼いて開いた土地から生まれたという説があります。焼畑農業ですね。どちらも日本の暮らしの中で作られた字です。中国での読み方が存在しないので、音読みもありません。「とうげ」「はたけ」という日本語の読みだけです。

ただ「働」には「ドウ」という音読みがあります。日本で作られたのに音読みがある。これは例外に見えますが、そうではありません。日本で作られた字には、もともとの中国語での読みがありません。「働」は「動」に人を足して作られた字なので、もとの「動」が持っていた音を受け継いだのです。ここでも、読みの由来で分かれるという説明のとおりになっています。

同じ字なのに、音読みが二つある

もう一つ、不思議なことがあります。

さきほどの「絵」を、もう一度見てください。

絵本は「エ」。絵画は「カイ」。

どちらも音読みです。訓読みはないのに、音読みだけが二つある。

「行」という字になると、もっと増えます。行動は「コウ」、行事は「ギョウ」、行灯(あんどん)は「アン」。訓読みの「いく」「おこなう」とは別に、音読みだけで三つあることになります。

なぜこんなことになったのか。日本に入ってきた時期や経路が違うからです。

漢字は一度にまとめて日本へ来たわけではありません。何百年もかけて、何度かに分けて入ってきました。そして中国語の発音は、時代とともに変わっていきます。

古い時期に入ってきた読みが「ギョウ」。その後の時代に入ってきた読みが「コウ」。さらに後の時代のものが「アン」。「絵」の「エ」と「カイ」も、これと同じで、入ってきた時期が違います。

つまり音読みには、その言葉が日本に入ってきた当時の中国語の発音の名残が残っているということです。

「明」も同じです。明白(めいはく)は「メイ」、明日(みょうにち)は「ミョウ」。「京」も、東京は「キョウ」、京浜(けいひん)は「ケイ」。

千年以上前の音の違いが、今の教科書の中に残っている。そう考えると、少し不思議な気持ちになりませんか。

音読みが複数あるのも、結局は同じ話です。どこから、いつ持ってきた読みなのか。その違いがそのまま残っているだけなのです。

どこから来た読みなのか、それだけです

音読みと訓読みは、暗記するものではありません。

日本語を書き表す文字がなかった。そこへ中国の文字が来た。それを使うために、音ごと借りる方法と、日本語を当てる方法の二つが生まれた。それだけの話です。

  • 分かれ目は、その読みをどこから持ってきたか

  • 音読み……中国から借りた音

  • 訓読み……日本語のことばを漢字に当てた読み

  • 「聞いて分かるか」は目安であって、基準ではない

  • 音読みが複数あるのは、入ってきた時代が違うから

お子さんが音読みと訓読みで迷っていたら、「この読みは、もともとどこから来たんだろう?」と一緒に考えてみてください。

もちろん、「駅って音読みなんだって」と話すだけでも構いません。大人が意外に思ったことは、子どもにも意外です。そこから漢字の見え方が少し変われば、それで十分です。

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