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国語が苦手な本当の理由─「そこに人がいる」という実感が読解力を変える

国語が苦手な子は、なぜ文章が読めないのか?
塾で国語が苦手な生徒を長く指導してきて、私はずっと腑に落ちない感覚を抱いていました。  

子どもたちは文章を“読んでいない”わけではない。  
語彙が極端に不足しているわけでもない。  
テクニックを知らないから点が取れない、という単純な話でもない。

もっと根っこのところに、共通する「読みのクセ」があるのではないか?  
そう思って観察を続けてきて、ある一点に行き着きました。

それは、文章を読んだときに“人がいる”という実感がわいていないのではないかということです。

国語が苦手な人の多くは、
論説文は「論理が並んでいるだけの文章」、
小説は「キャラが動いているだけの物語」として読んでいることが多いです。

しかし、本来はまったく異なります。

  • 論説文は“人間「が」書いている”文章

  • 小説は“人間「を」書いている”文章

この一点を押さえるだけで、読解の景色は劇的に変わります。

なぜなら国語とは、文章を情報として処理する教科ではなく、“言葉を通して人間を読む教科”だからです。

論説文:人間が書いた文章という前提を取り戻す

論説文を「主張 → 根拠 → 結論」という骨組みだけで読むと、どうしても無機質な文章に見えてしまいます。 
けれど、実際に文章を書いているのはロボットでもAIでもなく、悩んで、怒って、迷って、思い切って言葉にしている“ひとりの人間”です。

たとえば筆者が大胆に主張する場面には、次のような“背景の感情”が隠れています。

・過去に同じ問題で悔しい思いをした
・社会への危機感を抱えている
・反対意見に心底違和感を覚えている
・子どもや未来への願いがある

論説文を読むとは、この“書き手の価値観”を読み取ることでもあります。

つまり論説文は、筆者の心の動きが、論理という型に注ぎ込まれた文章です。

筆者を“実在の大人”として読むだけで、文章の主張が丸ごと立ち上がってきます。

「筆者はなぜここで強調するのか?」  
「どんな反対意見を想定しているのか?」  
「この主張に至るまで、筆者はどんな経験をしたのか?」

こう考えるだけで、論説文は単なるロジックの羅列ではなく、ひとりの人間の切実なメッセージとして読めるようになります。

この“人として読む視点”が、国語が苦手な人にもっとも欠けている視点です。

国語が苦手な人は、実感するためのアクションとして、自分が筆者に“インタビュー”をしていると考えると読みやすいかもしれません。

論説文の読み方は以下のマガジンにまとめました。

小説:人間を描いている世界として読む

一方、小説はどうでしょう。  
小説が苦手な人は、登場人物をただの“キャラ”として読む傾向があります。
感情移入もせず、現実味も持たず、ただ情報として処理してしまう。

キャラクターとして読むことは一つの読み方だと思います。

でも小説とは、ひとりの人間の心の揺れを、言葉で立体化したものです。

たとえば、たった一行の次の描写を見てみましょう。

由美は、小さく静かに笑った。

国語が苦手な人は、この一文を「落ち着いている」「喜んでいる」など、情報ベースで言葉から言葉へ言い換えて処理します。

しかし、実際に目の前の人が“静かに笑う”場面を想像すればどうでしょう?

・緊張がにじんだ笑い
・悲しみを隠す笑い
・諦めと受容を同時に含んだ笑い
・相手を傷つけないための気遣いの笑い

小説は、こうした“人間の細部の感情”を読む文章です。 
登場人物を“実在の人間”として扱うと、心情も行動も選択も自然に読み解けます。

つまり、小説読解とは、言葉から人間の息づかいを感じ取ることなのです。

小説の読み方については以下のマガジンにまとめてあります。

国語が苦手な人が見落としている“最大のポイント”

国語が苦手な人は、文章を、
「文字列」→「情報」→「処理」  
という順番で読んでいます。

言い換えれば、“文章をデータとして扱っている”

だから、小説の登場人物も「キャラ」になり、論説文の筆者も「論理を話す機械」として読んでしまう。

一方、国語が得意な人は、まったく次元が違う読み方をしています。

国語が得意な人は、  
「人」→「言葉」→「意味」  
という流れで文章をとらえているのです。

つまり、“文章を人間の声として受け取っている”
この差が、読解力の決定的な分岐点です。

あなたという人「が」読んでいる

国語の力を一段引き上げたいなら、覚えるべきテクニックよりも先に、文章の向こうに確かに人がいるという感覚を取り戻すことが重要です。

・論説文は、人間が考えを語っている
・小説は、人間をまるごと描いている

この単純な事実に気づくだけで、読み方が根本から変わります。
そして“人として読む”という姿勢は、どんな文章にも応用できる、最大にして最強の読解法です。

国語が苦手な理由は、センスでも才能でもなく、  
ただひとつ─
文章の向こうに「人」を感じられていないこと。

その視点を取り戻すだけで、あなたの読解力は必ず変わります。
  
人が書いている論説文を、人を書いている小説を、あなたという人が読んでいるということを忘れないでください。

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