AI時代に、あえて立ち止まって考える
AI時代に、あえて立ち止まって考える
― 人間であることを諦めないために ―
私はAIに期待している。
生産性を向上させる。新たな発明を生み出す。医療や教育、防災や行政など、これまで解決できなかった社会課題に挑む力になる。
2000年の初当選以来、四半世紀にわたってデジタル政策の最前線に立ってきた者として、AIの登場は歴史的必然であり、インターネット革命の最新章だと確信している。
だからこそ、私は少し怖くなっている。
AIが人間を超えることではない。
人間が、自ら考えることをやめてしまうことだ。
そして、その怖さと正面から向き合うことが、今の私の責務だと思っている。
私が見てきた「デジタル革命」の現実
2014年にサイバーセキュリティ基本法を議員立法で成立させ、2016年には官民データ活用推進基本法を通した。デジタル庁の創設も、自民党デジタル社会推進本部での提案が起点だった。初代デジタル大臣として、行政のデジタル化を一気に加速させた。
その過程で痛感したことがある。技術の進化は、常に制度の整備速度を上回るということだ。サイバーセキュリティ基本法を立案したとき、スマートフォンはまだ普及途上だった。官民データ法を通したとき、AIはまだ研究者の世界の話だった。
第四次安倍内閣で科学技術政策担当大臣を務めた際、私は政府として初めて「人間中心のAI社会原則」の取りまとめに携わった。AIは人間の能力を拡張するものであり、人間の尊厳や主体性を損なうものであってはならない――その考え方は当時から一貫している。
しかしその後、生成AIは想像を超える速度で進化した。描いていた未来が現実となる一方で、新たな課題も次々と姿を現している。だからこそ今、改めて「人間中心」という原点に立ち返る必要がある。
AIという技術が社会にもたらす影響は、これまでの技術革新とは質的に異なる。蒸気機関は筋力を、電気は活動の時間と空間を、インターネットは情報処理能力を拡張した。そしてAIは、人間の「考える」という行為そのものを拡張し始めている。
つまり、AIを「作る」ことよりも、AIと「共に生きる」ことの方が難しい。この認識を、政策立案者もまた共有しなければならない。
なぜ今、私は怖くなったのか
理由は、AIの性能向上そのものではない。人間とAIの関係性が、静かに変わり始めている現実を見ているからだ。
若い世代がAIに人生相談をし、悩みを打ち明け、進路を決める。生成AIが作る文章や画像は人間の創作物と見分けがつかなくなり、ディープフェイクは現実と虚構の境界を曖昧にしている。AIエージェントはもはや人間の指示を待つだけではなく、自ら判断し、交渉し、取引する段階へと進みつつある。
私はこれらを否定しない。むしろ技術として歓迎している。
しかし、その便利さの中で、人間が考えること、迷うこと、責任を引き受けることを少しずつ手放していくとしたらどうだろうか。
AIをめぐる懸念は多岐にわたる。超知能による制御不能、世論操作や偽情報、雇用喪失や格差拡大、自律兵器やサイバー攻撃――いずれも深刻だ。しかし私が最も恐れているのは、AIが暴走する未来ではない。人間の判断力、忍耐力、共感力、意味を見出す力が静かに衰退し、人間が静かに退化していく未来である。
そしてこのリスクは、法律や規制だけでは防げない。
最近取りまとめた「デジタルニッポン2026」のAIホワイトペーパーでも、AIを単なる技術論としてではなく、人間・社会・民主主義との関係性の中で捉えるべきだと提言した。人間の判断、責任、自由、そして尊厳をどう守るのか。その問いは、社会全体の課題になっている。
「答えのない問い」を考える力こそ、人間の本領
AIは、答えのある問いを解くことが得意だ。膨大なデータから最適解を導き、瞬時に出力する。しかしそれは同時に、人間が「答えのない問いと格闘する時間」を奪いかねない。
リベラルアーツとは、まさにその格闘の訓練だ。哲学、歴史、文学、倫理学――これらは正解を教える学問ではない。問い続ける姿勢と、異なる価値観を理解する想像力を育てる。それはAIが最も苦手とする領域であり、これからの時代に最も必要とされる人間の能力でもある。
実は私自身、気づけば判断や決断の場面でAIの示す方向に引き寄せられていると感じることがある。政策立案のプロとして長年培ってきた直感や経験が、静かに上書きされていくような感覚だ。これは個人の問題ではない。社会全体が、知らぬ間に自ら考える力を手放していく構造的なリスクである。
日本という国には、効率だけでは測れない価値を大切にしてきた歴史がある。桜が満開の瞬間だけでなく、散り際にも美しさを見出してきた。「もののあはれ」という感性を育み、答えの出ない問いを語り継いできた。白か黒かではなく、その間にある揺らぎや余白を受け入れてきた。
AIは最適解を示すことはできる。しかし、何を美しいと感じるのか。何に心を動かされるのか。何のために生きるのか。その問いに唯一の正解は存在しない。だからこそ私は、AI時代においてリベラルアーツの価値はむしろ高まると考えている。哲学、文学、歴史、芸術は過去の教養ではない。人間が人間であり続けるための基盤なのである。
AIを使いこなす力と、AIに使われない力。その両方を次世代に手渡すことが、今の教育と政治の責任である。
では、私は何をするか
第一に、教育の再設計だ。
AIリテラシー教育の推進は当然だが、それと同時に、AIに代替されない人間力――共感力、倫理的判断力、答えのない問いを考え続ける力――を育てるカリキュラムへの転換が必要だ。少子化が進む日本において、一人ひとりの人間的な深さこそが国力の源泉である。
第二に、アジャイルガバナンスの制度化だ。
AIの進化は、立法のサイクルを待ってくれない。「デジタルニッポン2026」において提唱する「責任あるアジャイルガバナンス」とは、一度作ったルールに縛られるのではなく、技術の変化に合わせて法律やガイドラインを柔軟かつ迅速に見直し続ける覚悟を、制度の仕組みそのものに組み込むことだ。
第三に、国際的なガバナンス規範づくりへの主体的参画だ。
2023年5月、日本はG7議長国として「広島AIプロセス」を立ち上げ、同年12月には安全・安心で信頼できる高度なAIシステムの普及を目的とした国際指針と行動規範からなる「広島AIプロセス包括的政策枠組み」を世界で初めて取りまとめ、G7首脳の承認を得た。これは原則論にとどまらず、AI開発者が遵守すべきルールを国際的に定めた画期的な一歩だった。
そのプロセスは今も継続・拡大している。2024年5月には日本主導で「広島AIプロセス・フレンズグループ」が発足し、G7を超えてグローバル・サウスを含む世界各国へと賛同の輪が広がった。2026年3月の東京での第2回対面会合では、66カ国・38組織が参加し、原則策定から実践的実施へと重心を移した「アクションプラン2026」が合意された。
そして2025年6月のG7カナナスキス・サミット(カナダ)では、包括的な首脳宣言の採択が見送られる異例の状況においても、「繁栄のためのAIに関するG7首脳声明」はAI分野の独立した共同声明として採択された。AIが地政学的な亀裂を超えて優先課題であり続けることが確認されたことは、国際社会が人間中心のAIガバナンスに向けて歩みを止めないという意志の表れである。
今後の焦点は、AIを「誰のための技術か」という問いに答えることだ。特定の巨大企業や覇権国家がAIインフラを独占するのではなく、民主的統制のもとで社会全体が恩恵を受ける「パブリックAI」の概念を国際規範として確立していく必要がある。また行政においては、説明責任と透明性を担保した「ガバメントAI」の設計原則を各国と共有し、AIが民主主義を支えるインフラとなるよう働きかけることが求められる。
広島AIプロセスを主導した国として、日本にはこの議論をリードする正当性と責任がある。EU型の規制アプローチでも米国型の市場主導でもない、公共的価値に基づくAIガバナンスという第三の路線を、日本は世界に示していかなければならない。
AI駆動型社会を、責任を持って進む
私はAIの発展を止めようとは思わない。AIは人間の能力を拡張し、社会を豊かにし、多くの課題を解決するだろう。その可能性を信じているからこそ、私は誰よりもAIの社会実装を推進してきた。
しかし同時に、人間とは何かを問い続けなければならない。
AIは答えを与えることができる。しかし、人間の尊厳を定義することはできない。何を愛するのか。何を美しいと感じるのか。何を正しいと信じるのか。何のために生きるのか。その問いだけは、人間自身が引き受けなければならない。
極限状態の強制収容所においても、人間には最後まで奪われない自由があった。
ヴィクトール・フランクルは『夜と霧』の中で、それを「自らの態度を選ぶ自由」と表現した。
AIがどれほど進化しても、この自由だけは人間自身が守らなければならない。
私はAIそのものを恐れているのではない。
人間が、人間であることを忘れてしまうことを恐れているのである。
AI時代に必要なのは、AIを恐れることではない。
人間であることを諦めないことだ。
便利さの中で思考を手放さないこと。効率の中で価値を問い続けること。最適解の先にある意味を探し続けること。そして、自らの人生の責任を引き受けること。
推進と抑制の緊張の中に立ち続けること。人間の尊厳を政策の中心に置き続けること。今日の判断が未来世代にとって正しかったと言えるよう、問い続けること。
四半世紀、この国のデジタル政策の最前線に立ってきた。
だからこそ私は、AIの可能性を信じる。
そして同時に、人間の可能性を信じたい。
AIがどれほど進化しても、政治が守るべきものは変わらない。
人間の尊厳と、自ら考える自由である。
その信念を胸に、私はこれからもAIと共に生きる社会の未来を問い続けていきたい。
デジタル社会推進本部長 平井卓也
