#149 現代のMSXになにを求めるのが正解なのか?
これまでMSX3に関していろいろと散筆してきたけど、MSXの新しいマシンが出てきたとして、冷静になってみると
結局MSXを買って何をするか?
どんなのが出てきたら買うだろうか?
HRA!氏が進めているFPGAでのMSX2++。
楽しみだなあと思いつつ、実際に手に入れたら自分はそれで何をするんだろう。昔のゲームをするだけならエミュで十分では?と思ったりして。
注:エミュレータ自身は合法です。著作権の解放されてないBIOSやコピーされたゲームのROMをやりとりするのは違法です。この件に関してはこれ以上言及しません。
1983年、日本に「MSX」という規格が誕生してから、40年以上が過ぎた。
現在もMSXは世界中にファンがおり、新作ゲームは発売され、ハードウェアも開発され続けているし、近年、「MSX3」という言葉を耳にする機会が増えたし、私もさまざまにこの件を取り扱ってきた。
MSXの提唱者である西和彦氏が、新しいMSXを構想しているとSNSで絶えず情報を発信しているから、期待するのも無理もないよね。
しかし、SNSやコミュニティを見ていると、多くのファンが同じ疑問を抱いているように感じる。
「MSX3って、結局何なの?」
「MSX2++って何ができるの?」
「昔のゲームが遊べるだけなら、すでにFPGAで十分では?」
私自身も、その一人だ。
西氏の話を追いかければ追いかけるほど、壮大な構想が次々と出てくる。
AI。
IoT。
Linux。
スーパーコンピューター。
RISC-V。
教育。
クラウド。
どれも面白そうだとは思うが、「MSX」という言葉に収まると、急に輪郭がぼやけてしまわないか?
MSXファンが本当に待っているもの
1980年代のMSXは、決して性能の良いパソコンではなかった。
グラフィック性能なら他機種に劣る場面もあった。CPUも速いとは言えない。
それでも愛された。
理由は簡単だ。
電源を入れると数秒後にはBASICが走る。
説明書を開く。ベーマガなどの雑誌を見ながらプログラムを入力する。
自作ゲームを作る。
音楽を鳴らす。
友達にカセットテープやフロッピーを渡す。
「コンピューターを使う」のではなく、「コンピューターで遊ぶ」。
それがMSXだったと思う。そういう空気というか世界というか。みんなが多種多様のそういうものを楽しんでいたはずだ。
だからMSXファンが求めているのは、必ずしも最新性能ではないはずで、「あの体験を、令和でも味わいたい。」
それが本音ではないだろうか。
MSX3は、実は昔のMSXを目指していない
ここが一番誤解されている部分だと思う。
MSX3という名前を聞けば、多くの人はこう考える。
「MSX2+やturboRの正統後継機なんだろう。」と。
たとえば、当時載せられなかったV9978とかのVDPを乗せたり、大容量のストレージを搭載して動画を編集できるようになったり、それぞれあのころに果たせなかった夢を叶える機種なんだろうと考えると思う。
しかし、西氏が語る内容を見る限り、それは少し違う。
目指しているのは、
・IoT開発機
・Linuxマシン
・AI時代の教育用コンピューター
・ネットワークコンピューター
・個人向けスーパーコンピューター
そうした未来志向のコンピューターだ。
もちろん、それ自体は悪いことではない。
むしろ1983年にMSXを作った人物らしい発想だとも言える。
MSXは当時、「共通規格」という新しい考え方だった。
西氏は今も「新しい規格」を作ろうとしているのだろう。
しかし、その思想と、多くのファンが待っている「新しいMSX」には、少し距離があるように感じる。
だからMSX3は分かりにくい
最近の情報を追っていると、
MSX0。
MSX2++。
MSX turboR+。
MSX Booster。
MSX DIY。
MSX3。
さまざまな名前が登場する。
さらにAIやIoTの話も加わる。
結果として、多くの人が
「結局、何を買えば何ができるの?」
となってしまう。
商品が悪いのではない。
ゴールが見えないのである。
もし1985年当時、
「MSX2はスーパーコンピューターにもなります。」
と言われても、ほとんどの人は理解できなかっただろう。
ゲームで遊びたい人。
プログラムを書きたい人。
音楽を作りたい人。
その用途が明確だったからこそ、MSXは広まったのである。
MSX2++は何のために存在するのか
では、MSX3よりも先に登場すると言われている「MSX2++」は、一体どんな存在なのだろう。
名前だけ聞くと、「MSX2+を少し強化したもの」という印象を受けるが、現在語られている内容を見ると、それは単なる高速版ではない。
HDMI出力。
USB。
SDカード。
Wi-Fi。
高速CPU。
メモリの大容量化。
新しいグラフィック機能。
音源チップを可能な限り搭載し、重厚な音楽再生。
これらを盛り込みながら、できるだけMSXとの互換性を維持しようという構想らしい。
確かに魅力的ではあるが、ここで一つ疑問が浮かぶ。
「それで何をするの?」
互換性だけでは、未来は作れない
一つの譲れない条件としてはMSXファンとして一番うれしいのは、昔のソフトがそのまま動くことだ。
お気に入りだったゲーム。
青春時代に打ち込んだBASIC。
雑誌から入力したプログラム。
それらが現代のテレビにHDMI一本でつながり、SDカードから簡単に起動できる。
これは間違いなく価値がある。だが、それだけでは少し物足りない。
なぜなら、その役目はすでにFPGAマシンやエミュレーターがかなり高いレベルで果たしているからだ。
「昔のゲームを遊ぶ」という目的だけなら、すでに十分便利な環境が存在する。
では、MSX2++はそのうえで何を提供できるのだろうか。
BASICは、今でも武器になる
その答えは意外にも「BASIC」にあると思っている。BASICという言語は、いまや古いものという印象を持たれがちだ。PythonやJavaScriptの時代に、BASICを使う意味はあるのか。
そう考える人も多いだろう。
会社の入社面接で「使えるコンピュータ言語は?」と質問されて「BASIC」なんて答えようものなら笑いながらおいだされるだろう。
しかし、MSXのBASICにはホビーとして他にはない魅力があった。
電源を入れると、すぐにプログラムを書ける。
保存して実行する。結果がすぐ画面に現れる。
この「思いついてから動かすまで」の距離が、とてつもなく短かった。
たとえば、
10 SCREEN 2
20 CIRCLE(100,100),30
30 GOTO 30
たったこれだけで、画面に結果が現れる。
何かを作ることへの心理的なハードルが極端に低かったのである。
私は、この思想は今でも十分通用すると考えている。
令和のBASICとは何か
もしMSX2++を作るなら、BASICも進化させてほしい。
たとえば、
WIFI CONNECT
で無線LANにつながる。
HTTP GET
で天気予報を取得する。
JSON READ
でデータを解析する。
CAMERA CAPTURE
でUSBカメラを扱う。
AI ASK
でAIに質問する。
もちろん、命令の名前は何でもいい。
重要なのは、「昔の感覚で現代の技術を扱えること」だ。
プログラムの勉強というより、「遊び」の延長線上にあるコンピューター。
MSXがかつて持っていた魅力は、そこにあるし、そこへ進まなければ意味がないのでは?と思う。
新しいゲームは生まれるのか
MSX2++に期待されるもう一つの役割は、新しいゲームの開発環境になることだ。
昔のMSXでは、多くのゲームクリエイターが性能の限界と戦っていた。
横に並ぶスプライトは4枚まで。
VRAMは少ない。
CPUも速くない。
その制約の中から名作が数多く生まれた。
もし現代の技術で、スプライト数が増え、メモリが増え、スクロールも自由になり、PCM音源も使える。
そんなMSX2++が実現したならどうだろう。
きっと今のインディーゲーム文化とも相性がいい。
「令和のMSXゲーム」という新しいジャンルが生まれる可能性すらある。
重要なのは、高性能であることではない。
「作りたい」と思わせることなのだ。
しかし、最大の疑問が残る
ここまで書いてきて、実は一つの疑問から逃げられない。
Wi-Fi。USB。LAN。AI。Linux。
それらは、今では数千円のシングルボードコンピューターでも実現できる。
ゲーム開発も、優れたエンジンが数多く存在する。
では、MSX2++でなければならない理由とは何なのか?
ここが明確にならない限り、多くの人は首をかしげ続けると思う。
MSXという名前を冠する以上、「MSXだからこそできる体験」が必要なのではないだろうか。
「MSXだからできること」とは何か
では、MSXだからこそできることとは何だろうか。少し考えてみたら、意外な結論にたどり着いた。
それは「性能」ではない。
1980年代、MSXは決して最強のパソコンではなかった。
ゲーム性能なら他機種に負けることもあった。ビジネス用途なら、なおさら他に優れた選択肢があった。
それでもMSXは世界中で数百万台売れた。
なぜか。
答えは、「誰でもコンピューターの世界に入れた」からだ。
コンピューターとの距離が、とても近かった
今のパソコンは、ものすごく高性能だ。電源を入れれば、何でもできる。
動画編集もできる。
3Dゲームも動く。
AIとも会話できる。
しかし、「自分で何かを作る」までの距離は、意外と遠い。
開発環境を入れる。
ライブラリをインストールする。
バージョンを合わせる。
エラーが出る。
検索する。
初心者には、この時点で心が折れてしまう。
一方、MSXは違った。
電源を入れれば、
MSX BASIC version...
Ok
この二文字を見るだけで、
「さあ、何を作ろう。」
という気持ちになれた。
コンピューターが「道具」ではなく、「遊び相手」だったのである。
「遊びながら学ぶ」は、実は最先端の考え方
最近では「STEAM教育」という言葉をよく聞く。
プログラミング教育も当たり前になったが、それらの多くは「学ぶこと」が目的になっている。
MSXは少し違った。
ゲームで遊びたくて買った。
ゲームを改造したくなった。
BASICを覚えた。
気が付けばプログラムを書いていた。
この順番だった。
つまり、「遊ぶ」が先で、「学ぶ」は後だったのである。実は、この流れこそが自然なのではないかと思う。
「面白いから触る。」
その先に知識がある。MSXは、そういう機械だった。
昔のMSXを再現するだけでは足りない
では、昔とまったく同じものを作ればいいのか。
それも違う。1985年を2026年にコピーしても、新しいユーザーは増えない。カセットテープが懐かしいのは、当時を知っている人だけだ。フロッピーディスクもそうだ。若い世代から見れば、不便なだけである。
だから現代のMSXは、昔を残しながらも、今の技術を取り込まなければならない。
USB。
Wi-Fi。
Bluetooth。
HDMI。
クラウド。
AI。
これらは積極的に取り入れるべきだと思う。
ただし、それは「MSXらしさ」を失わない形でなければ意味がない。
AIとの相性は意外に良い
最近の西氏の話には、AIが頻繁に登場する。最初は私も、「MSXにAI?」と思っていた。しかし、少し考えを変えた。
もしAIが、
「このエラーは何?」
「この命令を書きたい。」
「このゲームを速くしたい。」
そんな質問に、MSXの画面上で答えてくれるならどうだろう。
昔は、それを雑誌や先輩が担っていた。
今ならAIが先生になれるし、24時間付き合ってくれる。
これはMSXの思想と相性が悪くない。AIを搭載すること自体が目的ではないと思うから、「コンピューターで遊ぶ楽しさ」をAIが後押ししてくれるなら、それは十分に意味がある。
私なら、こんなMSXを作る
もし私が「現代のMSX」を設計できるなら、性能競争はしない。
まず、電源を入れる。
数秒後にはBASIC。
そこから始める。
ゲームも作れる。
音楽も作れる。
ネットにもつながる。
AIにも相談できる。
USBメモリーも使える。
昔のROMも動く。
SDカードも使える。
現代のテレビにも簡単につながる。
でも、起動した瞬間に表示されるのはWindowsでもLinuxでもない。
あの「Ok」である。
この体験だけは、何があっても残したい。
性能ではなく、「入口」を作る。
それがMSXの役目だと思う。
そして、その入口から先は、人それぞれでいい。
ゲームを作る人。
音楽を作る人。
電子工作をする人。
AIを触る人。
ネットワークを勉強する人。
40年前のMSXも、そんなコンピューターだった。
だから私は、現代のMSXにも「万能」であることより、「始めやすいこと」を求めたいのである。
現代のMSXになにを求めるのが正解なのか?
ここまで書いてきて、改めて最初の問いに戻ってみたい。
現代のMSXに、私たちは何を求めるのが正解なのだろうか。
実は、この問いには「正解」はない。
レトロゲームを遊びたい人もいれば、BASICを書きたい人もいる。
電子工作を楽しみたい人もいる。
新しいゲームを開発したい人もいる。
だから、一つの答えに絞ることはできない。
しかし、「間違い」はあるように思う。
それは、何でもできるコンピューターを目指すことだ。
「全部入り」は、結局何も伝わらない
MSX3の話を追っていると、さまざまなキーワードが登場する。
AI。
IoT。
Linux。
スーパーコンピューター。
RISC-V。
クラウド。
教育。
FPGA。
どれも魅力的なテーマだ。西和彦氏らしい、未来を見据えた発想だとも思う。
しかし、これらを一つの製品に詰め込もうとすると、今度は「誰に向けた製品なのか」が見えなくなるし、西氏のポストを追っていくと、あんまり多方向に飛びすぎて「この人、大丈夫なのか・・・?」と思いそうになる。
ゲーム機なのか。
教育用コンピューターなのか。
開発ボードなのか。
レトロPCなのか。
Linuxマシンなのか。
すべてを兼ねようとすると、どれにもなり切れない。
これはMSXに限らず、多くの製品開発で起きることだ。
MSXは「規格」だった
少し歴史を振り返ってみる。
MSXは、一つのメーカーが作ったパソコンではない。
ソニーも。
パナソニックも。
ヤマハも。
三洋電機も。
カシオも。
同じ規格で、それぞれのMSXを発売した。
だからMSXは「機種名」というより、「約束事」だったのである。
電源を入れればBASIC。
ROMカートリッジが動く。
共通のプログラムが使える。
メーカーが違っても遊べる。
そのシンプルな約束事のおかげで、どのMSXを買おうがみんな共通の体験をすることができた。。
つまり、MSXの本質はCPUでもなければ、グラフィックチップでもない。
未曾有の「共通の体験」を提供したことにある。
現代なら、何を共通にするべきか
もし2026年に新しいMSXを作るなら、共通にすべきものは何だろう。
私は、こんなものがあれば十分だと思う。
電源を入れれば、すぐプログラムを書ける。
ネットワークにつながる。
USBやSDカードが使える。
昔の資産も活かせる。
そして、AIが初心者をサポートしてくれる。
それでいいんじゃないかな?
CPUが何であるかは、それほど重要ではない。
ARMでもいい。
RISC-Vでもいい。
FPGAでもいい。
ユーザーにとって大切なのは、「何を積んでいるか」ではなく、「何ができるか」だからだ。
私が本当に見たいもの
実は私が一番見てみたいのは、新しいハードウェアではない。
新しい文化の誕生である。
1980年代には、雑誌(マイコンBASICマガジンなど)があった。
毎月、読者投稿のゲームが掲載され、BASICプログラムが何ページにもわたって載っていた。ベーマガはプログラムが短かったから挑戦しても折れることはそうそうなかったのがよかった。
友達とソフトを交換したり、プログラムを打ち間違えて、一時間悩んだ。
その時間すら楽しかったと思う。
では、2026年の現代はどうだろう。
AIがプログラムを教えてくれる。
世界中の人とネットで作品を共有できる。
ゲームジャムが開かれる。
新しい音楽ディスクが配信される。
世界中のMSXユーザーが一つのコミュニティでつながる。
そんな文化が生まれるなら、MSXは再び輝けると思う。
逆に、どれほど高性能なMSX3が完成しても、遊ぶ人、作る人、発表する人がいなければ、それは単なる「珍しいコンピューター」で終わってしまう。
西和彦氏に期待していること
ここまで読むと、「西氏を批判している」とか「馬鹿にしている」と受け取る人もいるかもしれない。
しかし、そうではない。むしろ私は、西氏がいるからこそ、まだMSXという言葉が語られ続けているのだと思っている。
40年以上前の規格について、2026年になっても新しい構想を語れる人は、世界中を探してもそう多くはいない。その情熱には、本当に頭が下がる。
だからこそ、大な未来図を描くことも大切だ。AIもいい。スーパーコンピューターも面白い。IoTも可能性がある。
でも、ユーザーの立場からはその前にMSX0の次を完成させてほしい。
手に取れるMSX。電源を入れられるMSX。遊べるMSX。作れるMSX。
その一歩があれば、多くのファンは次の未来を信じられると思う。
おわりに
「現代のMSXになにを求めるのが正解なのか?」
最後まで考えてみたが、私なりの答えは、とてもシンプルになった。
私は、最新性能を求めているわけではない。
1980年代を完全に再現してほしいわけでもない。
AIやLinuxを否定したいわけでもない。
私の眼の前に現れてほしいのは「コンピューターって面白い」と思わせてくれる一台だ。
電源を入れる。
カーソルが点滅している。
何を書こうか考える。
ゲームを作る。
音を鳴らす。
ネットにつなぐ。
AIに質問する。
そのすべてが、「遊び」の延長線上にある。
そんなコンピューターが完成したなら、それは1983年のMSXの精神を、きっと令和へ受け継いだと言えるのではないだろうか。
そしてその日が来たら、私はきっと、40年前と同じようにキーボードの前に座り、最初の一行を書くだろう。
10 PRINT "HELLO MSX!"
20 GOTO 10
画面いっぱいに文字が流れるだけのプログラム。
それなのに、きっとあの頃と同じように、少年のようにワクワクするのではないかと思う。
P.S. 最近スマホじゃなくてPCで記事書いてます。うん、こっちが書きやすいね。(あたりまえか)
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