「世間から評価されない」こともある
人生を振り返ると、誰にでも少しくらいは、次のような「苦~い(にが~い)思い出」があるのではないでしょうか。もちろん、私にもあります。
・頑張って成果を出したのに、誰にも気づいてもらえなかったこと。
・たまたま良い結果を出せたのに、特に褒められることもなかったこと。
・一生懸命取り組んでいたにもかかわらず、結果が伴わず、叱られたこと。
思い返せば、そんな経験がいくつもあります。
おそらく、読者のみなさんの中にも似たような経験をお持ちの方がいるのではないでしょうか。
努力というものは、不思議です。
本人にとっては大変な時間とエネルギーを注いでいても、それが必ずしも周囲に伝わるとは限りません。
むしろ伝わらないことのほうが多いのかもしれません。
世の中には日々たくさんの努力があります。
勉強している人がいます。
仕事に真剣に向き合っている人がいます。
趣味や創作活動に打ち込んでいる人がいます。
スポーツや語学、資格取得に挑戦している人もいます。
しかし、そのすべてが評価されるわけではありません。
脚光を浴びるのはほんの一部です。
見えないところで積み重ねられている努力の多くは、誰にも知られないまま終わっていきます。
だからといって、その努力に価値がなかったのかというと、私はそうは思いません。
私自身、評価を求めて始めたわけではなかったことに気づく場面が何度もありました。
誰かに褒められたいからではなく──。
表彰されたいからでもなく──。
ただ単純に好きだったから──。
面白かったから──。
気が付けば夢中になっていたから──。
そんな理由で続けていたことがあります。
もし本当に好きなことなら、周囲の反応だけでやめてしまうのは少しもったいない気もします。
評価されない──。
結果が出ない──。
思うような反応が返ってこない──。
そういう時期は確かに苦しいものです。
けれど、それだけで「やらない」という結論を出す必要はないのではないでしょうか。
好きなものや夢中になれるものは、人生の中でそう多く見つかるものではありません。
運よく出会えたのなら、その縁は大切にしてもいいように思います。
人生は、運が良ければ長いです。
ですが、夢中になれるものを見つけて、それに没頭できる時間は、意外なほど、そして驚くべきほど、短いものです。
また、仕事や家庭、健康や環境の変化によって、続けたくても続けられなくなることもあります。
だからこそ、今その時間を持てているなら、それだけでも十分に価値があるのかもしれません。
他人の評価は大切です。
社会の中で生きていく以上、無視できるものでもありません。
ただ、それだけを基準にしてしまうと、自分が本当にやりたいことまで見失ってしまうことがあります。
評価されるから続ける。評価されないからやめる。
そうではなく、
「自分は本当に続けたいのだろうか」
と、自分自身に問いかけてみることも必要なのではないでしょうか。
世間から評価されないことはあります。
思っている以上によくあります。本当によくあります。
けれど、その価値までなくなったわけではありません。
誰にも見られていなくても続けてきた時間──。
結果が出なくても積み重ねてきた日々──。
それらは案外、自分自身だけが知っている大きな財産なのかもしれません。
そして、それこそが、のちのち、はっきりとした意味を持ってくることもあるのだと、私は思っています。
田町 崎(たまち さき)

翻訳者。南山大学経済学部経済学科卒業後、人材派遣会社で日系ブラジル人たちとともに働く。これがきっかけとなりブラジルポルトガル語の勉強を始め、のち、市役所/警察/病院などで翻訳と通訳を経験。その後、京都外国語大学でブラジルポルトガル語を専攻し同大学院修士課程を修了。院生時には外務省留学プログラムに参加し、メキシコシティにあるメキシコ国立自治大学(UNAM)でスペイン語を約1年学ぶ。海外メディア報道を通じて主には中米/南米の情勢を研究している。TOEIC910点。
