CL版 | 『惑星ソラリス』をめぐる物語(2)- 光と音の彼方で、人類は何をめざすべきか -第2章 スクリャービンとムルジン
CL版 | 『惑星ソラリス』をめぐる物語(2)
- 光と音の彼方で、人類は何をめざすべきか -
第2章 スクリャービンとムルジン
-「光を見る」ことから「光を聴く」ことへ -
以下は生成AI(Claude Opus5)で「出典確認を前提とした下書き・論点整理」として作成した文章ですので、議論の「出発点」にはなり得ますが、学術的な議論に用いる場合には、一次資料・信頼できる二次資料への遡及が必要になります。
『惑星ソラリス』をめぐる物語(2)
- 光と音の彼方で、人類は何をめざすべきか -
1 スクリャービンの経歴と変質
アレクサンドル・ニコラエヴィチ・スクリャービン(1872~1915)は、モスクワ音楽院でセルゲイ・ラフマニノフと同時期に学び、1892年にピアノ科を金メダルで卒業した。初期の作品はショパンの強い影響下にあり、繊細で抒情的なピアノ小品が中心である。
しかし、1900年代に入ると、彼の作風と生活は急激に変化する。妻子のもとを離れ、ニーチェ、象徴主義、そしてヘレナ・ブラヴァツキーの神智学に深く傾倒していった。彼は、自分の音楽には分裂した世界に神秘的な統一をもたらす力があると信じるようになる。
和声もまた変質する。調性は溶解し、四度を積み重ねた、解決を持たない浮遊した響き、のちに「神秘和音」「プロメテウス和音」と呼ばれるものへと収斂していく。
2 『プロメテウス―火の詩』と光の鍵盤
その到達点のひとつが、1908年に着手され1910年に完成した『プロメテウス―火の詩』作品60である。ピアノ独奏、大管弦楽、任意の合唱、そして「Luce(光)」と記された声部を持つ。この光の声部は、「クラヴィエ・ア・リュミエール(光の鍵盤)」あるいは「クロモラ」と呼ばれる色光オルガンのために書かれた。演奏者が鍵盤を操作すると、和声の推移に対応した色光が現われる。
初演は1911年3月2日(ユリウス暦)、モスクワにおいて、セルゲイ・クーセヴィツキーの指揮、スクリャービン自身のピアノ独奏によって行なわれた。しかし光の声部は実現しなかった。当時の技術では、彼が望んだような色光の演出は困難だったのである。
色光をともなう最初の上演は、1915年3月、ニューヨークのカーネギー・ホールで、モデスト・アルトシューラー指揮のロシア交響楽団、マルグリット・ヴォラヴィのピアノによって実現した。ここで用いられたのが、プレストン・ミラーの考案した「クロモラ」である。ただし、ホール全体を色光で満たすというスクリャービンの構想は実現せず、幕に色を投影するという妥協的な方法が採られた。しかも同時代の記録によれば、スクリャービン自身の色彩対応表は現地で「不十分」と判断され、振動数にもとづく別の体系に置き換えられていた。
なお、スクリャービンの色彩感覚が医学的な意味での共感覚であったかどうかについては、音楽学上の議論がある。彼の色彩対応が五度圏の順序と神智学的な色彩象徴に沿って構成された、かなり体系的な設計であることは繰り返し指摘されてきた。本論はこの点について断定を避けるが、いずれにせよ確認しておくべきことがある。
スクリャービンにおいて、光と音は対応する二つの事象だった。この和音にはこの色が相当する。両者は依然として別々のものであり、そのあいだには翻訳表が置かれている。彼は光と音の隔たりに橋を架けようとしたが、その隔たりを消去したわけではない。
3 『神秘劇』という未完の構想
スクリャービンの構想はさらに先へ進んでいた。最終作として構想された『神秘劇(Mysterium)』は、インドに建てた神殿において、音楽・舞踏・色彩・香を総動員して上演され、その過程で人類の意識が変容するという企てだった。彼はこれを比喩としてではなく、実際に起こる出来事として構想していた。
1915年、スクリャービンは43歳で急死する。『神秘劇』は断片的な習作を残して未完に終わった。
4 神話化を避ける
ここで注意深く区別しておかなければならないことがある。スクリャービンはANSの発明者ではない。彼はANSを構想したこともなければ、その原理を予見したわけでもない。
ANSという名称は、アレクサンドル・ニコラエヴィチ・スクリャービンの頭文字に由来する。それは献辞であり、敬意の表明である。発明者エフゲニー・ムルジンが、芸術の総合というスクリャービンの理念に強く惹かれていたことは複数の資料が一致して伝えている。しかしそれは、思想的な影響関係であって、技術的な系譜ではない。
技術的な系譜は、まったく別のところにある。
5 「描かれた音」
- 1930年代ソ連の実験 -
ANSは孤立した発明ではない。その母胎は、1920年代から30年代にかけてのソ連にあった、きわめて特異な技術=芸術運動である。
トーキー映画の光学式サウンドトラックは、フィルムの端に印刷された波形の濃淡を光電管が読み取って音に変換する。ならば、録音するのではなく、波形を直接描けばよいのではないか。この発想から、「オーナメンタル・サウンド」「描かれた音」「紙の音」などと呼ばれる一連の実験が生まれた。
1930年、作曲家であり音楽理論家であったアルセーニー・アヴラーモフが、人工的に描かれた最初のサウンドトラックを制作した。彼はモスフィルムを拠点とする「ムリトズヴーク」グループを率い、のちに映画写真科学研究所(NIKFI)に移って「シントンフィルム研究室」と改称した。このグループには、撮影技師のニコライ・ジェリンスキー、アニメーターのニコライ・ヴォイノフ、画家であり音響研究者でもあったボリス・ヤンコフスキーが加わっている。
一方レニングラードでは、エフゲニー・ショルポが「ヴァリオフォン」を開発した。これは波形を刻んだ厚紙の円盤を35ミリフィルムと同期回転させ、その像をフィルム上に撮影して連続したサウンドトラックを作るという装置である。作曲家ゲオルギー・リムスキー=コルサコフが協力した。初期の版でも複数声部の重ね合わせが可能で、1930年代後半から40年代には十を超える声部を持つトラックも作られた。
ボリス・ヤンコフスキーはさらに踏み込み、音のスペクトル分析と再合成の理論を練り上げた。これは後年のコンピュータ音楽におけるクロス・シンセシスやフェイズ・ヴォコーダーの発想を、はるかに早い時期に先取りするものだった。
これらの実験の多くは中断された。ヴァリオフォンはレニングラード包囲戦のさなかに失われている。ショルポは戦後、グラフィカル・サウンドの研究所を率いたが、のちに職を解かれ、1951年に没した。
しかし重要なのは、ソ連には「音を記録する」のではなく「音を作図する」という発想の系譜が、確固として存在していたという事実である。ANSはこの系譜の頂点に位置する。
6 ムルジンという技師
エフゲニー・アレクサンドロヴィチ・ムルジンは1914年10月25日、サマラに生まれた。モスクワの工学系高等教育機関で都市建設を学んでいる。作曲家でも音楽学者でもない。
1941年、独ソ戦の開始とともに砲兵学校に上級技術中尉として入隊した。軍務において彼が担当したのは、電気機械式の対空探知装置の開発である。この発明はソ連軍に採用され、スターリン賞を受けた。戦後もモスクワの高等工業学校で研究を続け、砲兵の音響測距装置、迎撃機の誘導装置、防空システムなど、軍事技術の開発に従事している。最終的には国の防空指令系統の主任技師の地位にあり、大佐であった。
ANSの着想を得たのは1938年、まだ学生の時期である。作曲家の想像力を、既存の楽器や音律によって制限しない装置を作れないか、そう考えた彼が到達したのは、次のような発想だった。音を周波数分析すれば、縦軸に周波数、横軸に時間をとった濃淡の図が得られる。ならば、その図を人間が描いて機械に読ませれば、任意の音が合成できるはずだ。
分析の装置を逆転させて合成の装置にする。この着想が、対空火器の照準計算に従事していた技師から出てきたことには、それなりの必然があるように思われる。観測から予測へ、読み取りから書き込みへ。防空システムとは、飛来する物体の位置と速度から未来の位置を算出し、そこへ砲弾を送り込む装置である。ムルジンは同じ操作を、音の領域で行なおうとした。
戦争と本務のために、開発は長く中断した。最初の実働機が完成したのは1958年、着想から20年後である。翌1959年に特許が出願され、装置はモスクワのスクリャービン記念博物館に置かれた。そして1967年、同館においてムルジンを長とする実験電子音楽スタジオが開設される。ソ連における最初の電子音楽拠点であった。ムルジンは1970年2月27日、モスクワで没している。
7 ANS(AHC)の原理
Работа на синтезаторе АНС живьём! Олеся Ростовская
https://youtu.be/H2pX_wdowMw?si=416DHyd1_IbyuS9a
ANSの動作を記述しておきたい。
演奏者に与えられるのは、乾かない不透明な黒いマスチックを塗ったガラス板と、それを引っ掻くための道具である。削られた部分だけが光を通す。
装置の内部には五枚の回転するガラス円盤があり、それぞれに正弦波の光学的フォノグラムが144本、印刷されている。五枚で合計720の純音。音域は約10オクターヴにおよぶ。一オクターヴは72に分割されており、隣り合う音の間隔は約16.67セント、すなわち半音の六分の一である。これは人間の耳がかろうじて識別できる程度の差であり、平均律の十二音階よりはるかに細かい音組織を扱うことができる。
円盤を通った光はガラス板へ向かい、板の削られた部分だけを通過する。板の前には20個の光電管が縦に並び、それぞれが増幅器と帯域通過フィルターに接続されている。各帯域には利得調整のつまみがあり、実質的に一オクターヴにつき二つのつまみを持つ10オクターヴのイコライザーとして機能する。
縦軸は音高、横軸は時間である。板を光電管の列の前で左右に走査すれば、描かれた図がそのまま音になる。
そして決定的な特徴が三つある。
第一に、走査速度が連続的に可変で、ゼロにまで落とせる。任意の瞬間の響きを、無限に引き伸ばして保持することができる。時間が停止した音楽が可能になる。
第二に、完全に多声的である。必要とあらば720の音を同時に鳴らすことができる。縦一直線に引っ掻けば、全帯域が同時に鳴る。つまりホワイトノイズが生じる。
第三に、線でありさえすれば、どのような形でもよい。楽譜の文法も、平均律も、楽器の物理的制約も、演奏家の身体も、そこには存在しない。そしてマスチックは乾かないため、不要な音を出す部分は塗りつぶして消すことができ、足りない音は後から加えることができる。
8 対応から同一性へ
ここで、スクリャービンとの差異が明確になる。
スクリャービンにおいて、光と音のあいだには翻訳表があった。この和音にはこの色が相当する、という規約が両者を媒介していた。
ANSにおいて、翻訳表は存在しない。光がそのまま音になる。二つの感覚のあいだの隔たりは、架橋されたのではなく、物理的に廃棄されている。
これは芸術史のなかでほとんど唯一の事例である。「芸術の総合」を唱えた者は数多いが、二つの感覚の物理的な同一性を装置として実装した例は稀である。しかもそれを成し遂げたのは、神秘家ではなく、対空火器の計算に従事していた一人の技師だった。
この章の核心は、電子楽器の技術史ではない。それは、人間の感覚をひとつの感覚だけに閉じ込めないという思想の系譜である。スクリャービンはそれを理念として掲げ、ムルジンはそれを機構として実装した。両者を隔てるのは半世紀の時間と、神秘主義から工学へという方法の転換である。
