自己紹介
こんにちは、タモスです。
私は1969年2月6日に東京都中野区で生まれ、国分寺市で育ちました。私立大学の付属中学校に進学し、高校・大学と受験をせずにそのまま進みました。暗記中心の教育から離れられたことで、物事の本質や因果関係を追求する好奇心を育むことができ、主体的に学ぶ学生時代を過ごせました。
高校2年の時にアメリカ・コロラド州へ交換留学し、1年間ロッキー山脈の麓の町でホストファミリーと暮らしました。異なる価値観を持つ人々と接する中で、日本人としての誇りを強く感じて帰国しました。
大学では経済学部で国際経済を専攻し、卒業論文では「日米経済摩擦」をテーマに、日本の政治・経済の主体性の欠如について批判的に考察しました。バブル期で周囲が遊びやアルバイトに明け暮れる中、私は内向的な性格であったのか、比較的英語と専攻の勉強に真剣に取り組みました。
大学卒業後、産業機器メーカーに就職し、海外営業部に配属されました。プラント輸出の担当として、韓国・シンガポール・インドネシア・サウジアラビアなどを担当し、海外出張の機会に恵まれました。これらの国々には今でも強い愛着があります。
29歳の時に「もっと広い世界で働きたい」と考え、現在の医療機器メーカーへ転職しました。アジア担当の海外営業として、韓国・台湾・東南アジアを担当する希望のポジションを得ました。以降、韓国とは特に深く関わるようになり、16年間にわたって計3回の駐在を経験しています。
1回目の駐在(35歳時)は、カメラ事業の子会社に単身で赴任し、医療事業の立ち上げを任されました。韓国語も英語も通じない環境で、朝に韓国語スクールに通いながら業務をこなし、1年後には業務に支障のないレベルまで上達しました。代理店からの事業移管、医療チームの採用・育成、販売体制や修理サービス、法対応機能の強化を進め、4年で売上を3倍に拡大することができました。
その後4年間の本社勤務を経て、43歳の時に2回目の駐在を命じられました。前任の韓国人経営者の不正が発覚したため、事業の立て直しをミッションとして赴任しました。健全経営と持続的成長、働きがいのある会社づくりを目指す一方で、5年間にわたる裁判やマスコミへの告発、税関からの起訴など、想定を超える問題に直面しました。関係各部門と連携しながら一つひとつ対応し、7年間で社員数を約3倍に増やし、ソウル本社の移転や地方7都市への支店開設、仁川市での修理サービス・トレーニングセンターの新設を実現しました。
事業が安定した2019年4月にシンガポールへ異動し、アジア太平洋統括を任されました。しかし1年も経たない2020年4月に、再び韓国人部下の懲戒案件で3度目の韓国駐在を命じられました。「もう二度と韓国はない」と思っていた矢先のことで、韓国との縁の深さに驚きました。
現在も日々さまざまな問題が発生する中で、解決に取り組んでいます。日韓関係は政治的な影響を受けやすく、在韓日系企業の経営は特に難しいと感じています。これまで16年間にわたって得た経験と乗り越えてきたノウハウを、今後の人生に活かしていきたいと考えています。
どうぞよろしくお願いいたします。
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