ミストフィルターの誘惑|なぜ私たちはフィルターを使うのか
こんにちは。d-fractalのデザイナー、Tanakaです。
先日、休憩中にSNSのタイムラインを眺めていた時のこと。ある有名な写真家の方(お名前は伏せておきます)の投稿が、ふと目に留まりました。
その写真家は、アマチュアの方々が開いている某グループ写真展に足を運んだそうです。
展示されていたのは、街の風景を切り取ったスナップ写真の数々。そして作品の多くには、最近流行りの「ミストフィルター(ハイライトを滲ませ、コントラストを和らげるフィルター)」が使われていたとのこと。
在廊していたそのアマチュアの作者から「作品の感想をお願いします」と求められた写真家は、作品をじっと見つめた後、逆にこんな質問を投げかけたそうです。
「なぜ、街中でのスナップでミストフィルターを使おうと思ったのですか?」
■ 意図なき沈黙
投稿によれば、そのアマチュア写真家は、その問いに対して言葉に詰まり、黙り込んでしまったそうです。
写真家は、決してフィルターの使用を批判するつもりで聞いたわけではないのだと思います。純粋に、作者がどのような意図を持って、現実の風景にその「滲み(ベール)」をかけようとしたのか、その視点のありかを知りたかったのでしょう。
なぜ、作者は黙り込んでしまったのか。
もしかしたら、プロの眼差しを前にして、「SNSで流行っているから」「なんとなくエモい雰囲気を出したかったから」というような、ぼんやりとした理由を口にするのが気恥ずかしくなってしまったのかもしれません。
でも、もしそこで、
「今のトレンドですし、私はこのノスタルジックな雰囲気が好きなので、あえて全編に使っているんです」と、堂々と答えられたのなら。きっと写真家も、「なるほど、それがあなたのスタイルなんですね」と受け止めたような気がします。「流行りだから」という理由も、それを自分で自覚して選んでいるのであれば、ある意味で立派な「信念」だと思うからです。
■ 魔法のガラスに委ねていないか
ミストフィルター(ブラックミストなど)は、とても魅力的な光学アクセサリーです。
レンズの前に一枚取り付けるだけで、光源がフワッと滲み、シャドウが浮いて、何の変哲もない日常の風景が、少し映画のワンシーンのような「エモい」質感に変わってくれます。
でも、だからこそ少し怖いな、と思う瞬間があります。
その「エモさ」は、何にでもかけることのできる魔法であって、必ずしも撮影者自身の視点の鋭さとは限らないからです。
「何を伝えたいか」「この風景をどう見せたいか」というビジョンが曖昧なまま、ただ魔法のガラスに頼って現実を覆い隠してしまえば、どこか「フィルターの性能テストのような写真」になってしまうのではないか。
「なんとなくエモくなるから」と、ただぼんやりとフィルターを付けっぱなしにしてしまうのは、少しもったいない気がするのです。
■ 写真は自分を写す鏡かもしれない
写真というのは、目の前の景色を切り取っているようでいて、結局のところ「自分を写す鏡」みたいなものなのかもしれません。
構図をどう切り取るか。どこにピントを置くか。そして、あえてレンズにフィルターという「不純物」を挟むのかどうか。
その一つひとつの選択に「なぜ私はこれを選んだのか」という自分なりの理由がないと、なかなか他人の心を打つような熱量には繋がっていかないような気がします。
ビジョンと信念があってこそ、写真はその人だけの表現になる。
「なぜ、そのフィルターを使ったのか?」
そのシンプルな問いは、アマチュアの方だけでなく、普段から写真を撮る私自身にも、鋭く突き刺さるものでした。
次に休日にカメラを持って出かける時。私も、ファインダーを覗きながら「なぜ今、私はこの設定でシャッターを切るのか」を、もう一度自分に問いかけてみようかな、と思います。
text by Miyuki Tanaka (d-fractal)
