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🌰小さな秋、見つけませんか? ~暑さの中でも、秋はもう歩き出している~

九月を目前にしても、日中の日差しはまだまだ強い。アスファルトからは陽炎が立ち、セミの声も、思い出したように鳴り続けている。

それなのに、ふとした瞬間に「あれ、秋?」と感じることがありませんか。

夕方、家路を急ぐ足元を撫でていく風が、少しだけ湿り気を失っている。
空の高いところに、うろこ雲のようなものがひとつだけ浮かんでいる。
夜、窓を開けたときにふと耳に届く音も、少しだけ違って聞こえる——。

そんな、ほんの小さなサイン。気づいてしまうと、なんだか無性に嬉しくなります。

私の周りには「一年でいちばん好きな季節は秋」という人が多い。暑くも寒くもなく、食べ物はおいしく、どこかへ出かけたくなる季節。芸術鑑賞にも、読書にも、散歩にもちょうどいい。

けれど、その季節はいつもとても短い。気づいたときにはもう始まっていて、気づいたときにはもう終わっている。

だからこそ、秋がやってくる前から、人はその気配を探してしまうのかもしれません。

今日は、そんな「小さな秋」を、味覚と、文化と、五感の中に探してみましょう。まだ本番ではないけれど、もうすぐそこまで来ている、そんな気配を。


秋は、まず「おいしい」からやってくる

季節の変わり目をいちばん早く教えてくれるのは、案外、食卓かもしれません。

このあたり(関東)では、新米が本格的に出回るのは九月に入ってから。それでも、お米屋さんの店先に「新米、まもなく入荷」の張り紙を見かけると、それだけでもう心が浮き立ってしまいます。

栗や秋刀魚、ぶどうといった「秋の顔ぶれ」も、あと少しすれば店頭を賑わせるはず。

中津川や恵那の老舗和菓子店では、新栗の栗きんとんの予約受付がひと足早く始まるところもあるらしい。

関東では、栗きんとんが並び始めるのはたいてい九月から。栗の実の形に整えられたあの姿を思い浮かべるだけで、まだ見ぬ紅葉の色まで先取りしているような気分に。棚に並ぶ日を、今からひそかに心待ちにしています。

食べ物の秋は、待っていれば向こうからやってくる。今はまだ、その予告編を眺めているような時期。

新米のご飯に、炭火で焼いた秋刀魚、艶やかな栗きんとん——そんな食卓を思い描きながら過ごす、この「待つ時間」も、案外悪くないものです。

本屋さんと美術館に、秋の匂いがする

食べ物と同じくらい早く、秋の気配を感じさせてくれる場所がある。本屋さんと美術館だ。

書店に足を運ぶと「読書の秋」というポップとともに、少し重めの小説や、じっくり読みたくなるエッセイが平積みされ始める。夏の間は軽やかな装丁の本が目立っていたのに、いつのまにか表紙の色合いまで落ち着いたものが増えている気がする。ページをめくる指先の感触までもが、秋向きになっていくようだ。

美術館や博物館でも、秋を先取りした企画展の告知が始まる。日本画の展覧会や、紅葉をモチーフにした特集展示など、まだ実際の景色は夏のままなのに、会場だけがひと足先に秋の色をまとっている。ポスターに描かれた紅葉や実りの絵を見るだけで、まだ来ぬ季節への期待が膨らんでいきます。

本や美術は、実際の季節よりも少しだけ早く動く。だからこそ、そこに触れることで、まだ来ぬ秋を先取りして味わうことができるのかもしれません。今年はどんな展覧会が開かれるのか、今から情報を集めておくのも楽しそうですね。

風と香りが教えてくれる、秋のひみつ

そして、いちばん繊細で、いちばん見逃しやすいのが、自然の中に隠れた秋のサイン。

金木犀の香りは、その代表格だろう。関東でその甘い香りが漂い始めるのは、まだもう少し先、九月半ばを過ぎたころ。それでも、そろそろかなと意識して過ごしていると、ある日突然、どこからともなく香ってきて「ああ、来た」と思わされる。姿は見えないのに、香りだけで季節の到来を告げてくるところが、なんとも憎らしい。その瞬間を待ちわびる時間も、秋探しの醍醐味のひとつです。

夜、窓を開けると、虫の声が聞こえてくる。真夏の間はセミの声にかき消されがちだったのに、いつのまにかスズムシやコオロギの澄んだ音色が、夜の主役になり始めている。昼間はまだ蝉時雨が続いているのに、夜になるとそちらの声のほうが耳に残る。そんな短い季節の重なり。

夕方の空気にも、少しずつ変化がある。日が短くなり、風の中に混ざる涼しさが、日を追うごとに増していく。空の色も、真夏の白っぽい青から、少しずつ深みのある色へ。

こうした変化はどれも劇的ではない。むしろ、意識していなければ気づかないまま通り過ぎてしまうくらい、静かなものばかりだ。

けれど、だからこそ「見つけた」ときの喜びが大きいのだと思います。誰かに教えられるのではなく、自分の感覚で気づいた秋は、少しだけ特別なものに感じられます。

短いから、愛おしい

秋は短い。気がつけば始まっていて、気がつけば終わっている。まるで、最初からそういう約束だったかのように、するりと通り過ぎていってしまう。その儚さこそが、秋という季節をここまで愛おしいものにしているのかもしれません。

もし秋が一年の半分も続くのだとしたら、きっとここまで待ち焦がれることはなかったでしょう。短いからこそ、ひとつひとつのサインを見逃したくないと思う。

栗きんとんのひと口も、金木犀のひと嗅ぎも、すべてが一年に一度きりの、かけがえのない出会いです。

今年は、どんな小さな秋を見つけますか。

食卓の片隅かもしれないし、ふと立ち寄った本屋さんかもしれない。あるいは、ある日ふわりと香る金木犀かもしれません。特別な予定を立てなくても、いつもの生活の中に、秋はきっと紛れ込んでいます。

大切なのは、それを見逃さないこと。

慌ただしい毎日の中でも、ふと立ち止まって、季節の変化に耳を澄ませてみみませんか。それだけで、いつもの一日が少しだけ豊かなものに変わる気がします。

どうか今年も、あなたなりの小さな秋に、たくさん出会えますように。(文:千里ふうた)

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