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最後はやっぱりF♡ck you !

こんにちは!魔タリカ792歳、魂のR指定です。
京都の山奥のサンクチュアリ・リトリートから戻ってきました。
今年の一連のTDMの集大成とも言えるこのリトリートには、今回も素晴らしく真摯な探究者たちが集って、ともに生命の深みへと潜っていきました。
セクシーさとは、溢れ出る生命力の輝きだというのを改めて感じられるこの時間に、毎回深い愛を感じて、自分自身も充電されます。

セクシャルといえば、何か「はしたない、恥ずかしい、いやらしい」というポルノ発の概念ばかりが、いまだに人々の意識を汚染したままの昨今。
最近また見かけるようになったエプスタイン関連の記事を見れば明らかなように、性に関わることは危険を伴います。天に昇るか地獄に堕ちるか。

そこに瞑想するということは、天と地の間にある針の如く細い小道を、繊細なアウェアネスを保ちながら歩いていくようなものです。
その道の途上では、周囲から聞こえてくる甘言、苦言よりも、粛々と自分の内側に耳を傾けることが、アウェアネスを保つコツです。

古代の学者は、聴覚神経に3つの経路があるといったそうです。
一つはゴシップや噂話を聞く経路、
二つ目は学問や芸術を理解するための経路、
三つ目は魂そのものがこの地上にい る間に指示を受け、知識を得るための経路だといいます。
三つ目の経路を開くためには、自らのエゴやマインドの掃除をすすめ、静けさと沈黙の中に入っていく必要があります。
そうでなければ、世界は単に自分の内面を映し出している鏡とか、周囲に反響する木霊にすぎず、その幻を現実だと思い込んで生きていくことになってしまいます。

特にデュアルセクシャルプラクティス(二人のプラクティス)では、相手は自分を映す鏡にすぎないのですが、相手さえ理解してくれたら、変わってくれたら、努力してくれたら、全てはうまくいくと思いがちです。
そんな期待は、残念ながら必ず裏切られることになっています。その時に心に受けた傷を回復していく過程こそが、成熟への道だとも言えるんですが。

・・・・・・・・・・・・・・メルマガの続き


そもそもの初めから私たちは親、学校、社会から無数の傷を受けており、親や社会は子どもに傷を与えるためにあるのだと思うほどです。
人生には自分の責任ではないことがたくさん起きますが、「自分に責任はない」と言うと、被害者のまま人生に弄ばれることになります。
例え相手に非があるように見えたとしても、一旦は「それは自分の責任だ」と引き受けることで、それが相手の問題なのか、それとも自分の問題なのかの線引きができるようになります。

個人的な責任を引き受けることは、自信を失っている時には、とても屈辱的なことのように感じられることもあり、とてもチャレンジングなことです。そのチャレンジや、引き受けることの痛みが、今後の仕事や人間関係、パートナーシップ、そして人生にどう繋がっていくのかを観る価値は十分すぎるほどあります。

自分の傷や痛みを、生きるためのアートに変えるかどうかは自分次第です。
そんなことを観るつもりがないと、タントリックなデュアルプラクティスや、パートナーシップは、恐れや罪悪感が重たすぎて、やがては耐え難いものになってしまいます。

だけど、いったん自分の責任を受け入れて、相手の問題なのか自分の問題なのかがはっきりさせることは重要です。相手の問題まで引き受ける必要など一つもないのだから「Fuck you !」と言って、捨ててしまいましょう。
真剣に向き合ったからこそ、深刻さを落として軽々と前に進んでいけば、そのあとやってくるのは愛と感謝ばかりなんですから。

Love♡

Tarika

2026 / 8月14日発行メルマガより


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