仕事が減って1カ月/「死が怖くない」という感覚の話
実は5月から固定で入っていた仕事の契約が1つ終わり、ちょっと時間に余裕ができた。収入は確実に減るのでまずいと言えばまずいんだけど、去年から本書いて免許取って糖尿病の通院と治療もして仕事もいただけたものは全部やってきて、無理してたっちゃ無理してたので、どっかで少し休もうとは思っていた。
なので5月は「そのうちやろう」と思っていたことをちょっとずつやり始めた。ヒゲ脱毛に行きはじめたり、Podcastをはじめたり、note書く量を増やしたりなどなど。それでもまだ手が回ってないことは多く、気が付けばあっという間に1カ月終わってしまった。超短いゲームとか音楽を作ってみるとかも目指してたけど全然そこまでいかなかった。
多分24時間全部自由時間になってもやりたいことは全部できない。人間はそんなに意思が強くないし、集中力や行動ゲージにも限界があるから。でも、逆に言うと自発的に「やる」という意思さえあれば、時間がそんなになくてもある程度はやることができる。ソースは去年の俺。
これは寝ないでやればいいとかの根性論的なことではなくて、自分がどういう生き方をするか、という選択の問題であるように思う。仕事、趣味、家庭とかそういう区別の問題ではなく、何をすれば生の実感を得られるか、みたいな話。
フリーランスにとって仕事や収入の増減は死活問題だし、心理的な不安とかもめっちゃある。がんばっていかなあかんなあと思う。なのでこれを見ている関係者の方(無関係者の方も)、なんかお仕事あればぜひお声がけください。自分、やれます。
という第三者に運命を委ねる受動的な生き方とは別に、自分でなすべきことを見出す能動的な生き方というのがあると思う。別にそれは仕事になるとか社会の役に立つとかでなくてもいい。ゲーム好きだからゲームめっちゃやるとかでもいい。「自分の幸福を自分で決定しようとする意思」とでも言えばいいだろうか。
人間は社会的動物なので、他者や社会との関りから独立して生きることは不可能だけど、自分の感情や自分の生死というのは究極的には自分1人だけの問題でもある。たとえば仕事や育児を言い訳に自分を犠牲にするのはよくなくて、両立できる趣味を見つけるとか仕事や育児そのものの中に生きがいを見出すとか、方法はなんでもいいけど自分の生き方を能動的に決めることが大事。自分の人生の責任をよくも悪くも引き受けるというか、他者や社会のせいにしないほうが最終的な自分の納得性は上がる気がするというか。意識高いこと言いたいのではない。「前向きに人のせいにしてサボる」みたいなことでもいいのかもしれない。
昨日、友達とロング茶しばきをして「死は怖いか、怖くないか」みたいな話になり、そういうことを色々考えたり話したりしてたんだけど、まだうまく言語化できていない。noteに書けばまとまるかなと思ったけど、やっぱ難しかった(後述します)。とにかく引き続きがんばって生きていきます。人はいつか死ぬのだから。
昨日やったゲーム
先日のマシュマロで教えてもらった「Creature Kitchen」が非常によかった。やる前の印象で「雰囲気よさそう~」と思ったけど実際はその3倍よかった。短いゲームとはいえ、自分にしては極めて珍しいことにトロコンまでやった。
軽めの謎解きで食材やレシピを集めてちょっと変わった生き物たちに料理を作ってあげる、というゲーム性も楽しいけど、エンディングが個人的にめっちゃよかった。「クリーチャー」というちょっと外れた生き物をテーマにしていることも含めて、すげえ優しい思想で作られたゲームなんだなという感じがした。膵なしクリーチャー的にも「こういう風に生きたいな」と思いました。おすすめです。
以下、上述の言語化できてない思考の断片的な書き出し。まとまってないのでおまけにします。
「死が怖くない」という感覚をできる限り言語化してみる
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