#36 粉薬の不自然な甘さと、それをかき消した小さな奇跡
5歳の娘が膀胱炎になった。
小さな体に起きた突然の異変に
戸惑いながらも、
病院でもらった粉薬の袋を手に、
私は途方に暮れることになる。
子どもの粉薬というのは、
どうしてあんなに厄介なのだろう。
試しに、ほんの少しだけ
指先につけて舐めてみた。
人工的な、どこかひんやりとした
不自然な甘さ。
そしてその奥からじわじわと
這い上がってくる、
誤魔化しようのない薬特有の苦み。
「そりゃあ、嫌よね」と、
思わずため息が出る。
大人の私でさえ顔を顰めたくなる味を、
あんなに小さな喉へ
流し込もうとするのだから、
無理もない。
それからの数日間は、
娘との静かな攻防戦だった。
世間でよくおすすめされている
「おくすり飲めたね」
のゼリーに混ぜてみる。
娘はスプーンを一舐めしただけで、
何かに気づいたように激しく首を振った。
それならと、お気に入りの
アイスクリームのなかに、
そっと、痕跡を消すように混ぜ込んでみる。
けれど、子どもの舌の繊細さを
私は侮っていた。
アイスの冷たさと甘さのなかから、
娘は瞬時に「異物」を嗅ぎつけ、
泣きべそをかいてスプーンを
床に落としてしまった。
お互いに疲れ果て、
キッチンに立ち尽くしていたとき、
ふと、棚にあるカップが目に留まった。
このあいだカルディで買ったばかりの、
「ぬるカレーパンスプレッド」だ。
蓋を開けると、
スパイシーで濃厚な、
どこか懐かしいカレーの香りが
ふわりと鼻をくすぐる。
これなら、あの変な甘さも、
隠された苦みも、
ぜんぶ包み込んでしまえるかもしれない。
わらにもすがる思いで、
そのカレーパンスプレッドを
ぽってりと、少し厚めに塗る。
トースターに入れて、じっと見守る。
やがて、じゅわじゅわと
油分が弾ける音とともに、
香ばしい、本物のカレーパンのような
匂いが部屋中に満ちていった。
焼き上がった食パンに切れ目を入れ
粉薬をそっと入れた。
「カレーのパン、食べる?」
焼き上がったパンを小さく切って、
お皿に乗せて差し出すと、
娘は涙の跡が残る顔で、
こっくりと頷いた。
小さな手でパンを掴み、口に運ぶ。
サクッ、という頼りない音がして、
私は祈るような気持ちで
娘の口元を見つめた。
娘はもぐもぐと咀嚼し、
それから、にこりと笑った。
「おいしい」
その瞬間、張り詰めていた私の肩の力が、
すとんと抜けた。
カレーの強い塩気と、
スパイスの複雑な香りが、
薬の不自然な甘さと苦みを完全に、
魔法みたいにかき消してくれたのだ。
あんなに苦労した粉薬が、
あっけないほどきれいに、
娘のお腹のなかへと収まっていった。
子どもの病気はいつも突然で、
お母さんを少しだけ孤独にする。
薬を飲ませるという
当たり前のことができないだけで、
自分がひどく無力な母親に
思えてしまう夜もある。
もし今、同じように粉薬の袋を前にして、
途方に暮れている誰かがいるなら。
ゼリーもアイスもだめだった、
と泣きそうになっている人がいるなら。
どうか、カルディに走ってみてほしい。
そして、食パンにあのスプレッドを塗って、
こんがりと焼いて、
そっと薬を入れてみてほしい。
小さなキッチンで起きる小さな奇跡が、
どこかの誰かの、
静かな救いになりますように。
今日も最後まで読んでくださって
本当にありがとうございます。
また、覗きにきてくださいね!
待ってます!
