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#52 喜多方ラーメン

五歳の娘は、ラーメンが好きだ。
それも、驚くほどまっすぐに、
喜多方ラーメンだけを愛している。

​きっかけなんて、
ほんの些細なことだった。
ある日の夕暮れ、
献立に迷って立ち寄った
スーパーの棚で、
見慣れない生麺の
パッケージに目がとまった。
白地に黒のすっきりした文字で
「喜多方ラーメン」
と書かれていた。
なんとなく、
今日はこれにしてみようか、
とカゴに入れた。
本場の味を知っているわけでも
なければ、旅先で食べた思い出が
あるわけでもない。
ただの、なんとなくの
買い出しだった。

​けれど、出来上がった一杯を
小さなテーブルに置いてみると、
娘は目を輝かせた。
ちぢれの強い平打ちの麺が、
きらきらとスープの油を
まとっている。
一口すすると、
彼女のなかの何かがカチリと
音をたててハマったようだった。

​それからというもの、
我が家の食卓の基準は
すっかり書き換わってしまった。

「きょうのごはんは、なに?」

と聞かれたとき、
私が「ラーメンだよ」と
答えると、娘は決まって
「やったあ」と両手を
小さく掲げる。
もちろん、
彼女が言うラーメンとは、
いつだってあの
喜多方ラーメンのことだ。
よそ行きの
とんこつでもなければ、
給食で食べるような
のびた麺でもない。
あの、透明ですっきりとした
醤油スープに、
ひらひらとした麺が泳ぐ
一杯だけが、彼女にとっての
「ラーメン」なのだ。

​平日の昼下がり、
幼稚園から帰ってきた彼女は、
待ちきれないといった様子で
キッチンを覗き込む。

お鍋の中でスープがお湯と溶け合い、
ふわりと穏やかな香りが立ち上る。
あの香りがキッチンに満ちると、
不思議と部屋全体の空気が
やわらかくなる。
醤油の香ばしさと、
豚骨の奥深いコクが混ざり合った、
どこか懐かしい匂いだ。

​茹で上がった麺をどんぶりに移し、
透き通ったスープを
静かに注ぎ入れる。
トッピングは控えめに、
ちいさなチャーシューを一枚と、
やわらかいメンマをいくつか。
小さな喜多方ラーメンの完成だ。

​「おまちどおさま」

そう言ってテーブルに置くと、
娘は満足げに小さくうなずき、
お箸ではなく、
まずはレンゲを手にとる。

ふーふー、とまだ幼い息を
吹きかけ、慎重にスープを一口。

「おいしい……」

その一言が聞きたくて、
私はせっせと麺を
茹でているようなものだ。

​そして、ここからが我が家の密かな、
けれど大切な儀式になる。

娘が何度か麺をすくい、
スープの海が少しだけ
穏やかになったころ、
私はそっと彼女のどんぶりに近づく。

「ねえ、スープ、
ちょっとちょうだい」

言うやいなや、娘は「どうぞ」と、
自分の宝物を少しだけ
分けてくれるような顔をして、
レンゲを差し出してくれる。

私はそのレンゲを受け取り、
大切にスープを口に含む。

​三口。
いつも、決まって三口だけ。

​それが、私たち二人の
暗黙のルールだ。

一口目は、お醤油の香ばしさと、
やさしいだしの旨味が
舌の上にふわりと広がる。

二口目は、麺から溶け出した
小麦の甘みが加わって、
スープが少しだけ
まろやかになっていることに気づく。

三口目は、あたたかさが
胸の奥までじんわりと
染みわたっていく。

​不思議なもので、
同じ鍋で作った同じスープなのに、
娘と分け合って飲む
その三口だけは、
なぜか特別に美味しい。
彼女が美味しそうに
食べる姿を見ながら、
そのお裾分けをいただく時間が、
私の一日のなかでいちばん
愛おしいひとときなのだ。

​五歳の彼女は、
まだ自分の世界を
そんなに広くは知らない。

テレビで見る遠い国の話も、
地図のなかの複雑な名前も、
きっとまだよく分かっていない。
でも、「美味しいもの」に
対する感性だけは、
驚くほど正確で、そして純粋だ。

彼女は今、喜多方ラーメン
という小さな宇宙に
夢中になっている。
朝起きると「きょうはラーメン?」
と聞き、おやつの時間には
「こんどはチャーシューを
2枚にしたいな」と無邪気に笑う。

​そのたびに、私は思うのだ。

いつか、この子が
もう少し大きくなったとき、
本物の喜多方に
行けたらいいなあ、と。

​地図を広げて、
「ここだよ」と指差してみたい。

テレビやスーパーの
棚の向こう側にある、
本当の喜多方の街へ。
朝露が残る静かな空気に
包まれながら、
レンガ造りの蔵が並ぶ
町並みを歩いてみたい。
朝ラーの文化が息づく
お店の暖簾をくぐり、
湯気がもうもうと
立ち込めるカウンターに並んで座る。

​そこで食べる本場の
喜多方ラーメンは、
きっと今私たちの
食べているものとは
少し違うかもしれない。
もっと麺がぷるぷるしていて、
スープはどこまでも深く、
そしてなにより、
その空気が美味しいにちがいない。

​「ママ、これ、ほんものだね」

いつか、そんなふうに
目を丸くする娘の横顔を、
私はひそかに想像している。

そのときもきっと、
私たちはどんぶりを並べて、
スープを分け合うのだろう。
彼女が大人になっても、
「ねえ、スープちょうだい」
なんて言ったら、
すこし呆れられてしまうだろうか。
それとも、あの日のように
「いいよ」と笑ってくれるだろうか。

​今はまだ、スーパーの棚で
買った袋麺を、
二人で囲む小さな食卓。

お鍋から立ち上る湯気の向こうで、
ふうふうと麺をすすっている娘の
小さな背中を見つめながら、
私はそっと心の中で誓う。

いつかきっと、
一緒に本当の美味しさに
会いに行こうね、と。

​それまでは、この小さな台所で、
今日もスープを
三口もらうところから、
私たちの穏やかな
時間が始まっていく。



今日も最後まで読んでくださって
本当にありがとうございます。

喜多方ラーメンわたしも娘と一緒で
一番すきなラーメンです。
皆さんはどうですか?

では。また覗いてくださいね。

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