【エッセイ】美容室は気晴らしになる
私は、梅雨の憂鬱さを取り払うため、街にある美容室に出かけることにした。
初めて行く美容室は、銀行を曲がって真っ直ぐなビルの4階にあり、途中行き過ぎてしまい、お店に電話して道を尋ねた。感じのよいスタイリストの男性が、行きすぎっすね、戻ってわからなくなったらまた電話下さいと言われたが、気を使わせるのが悪くて自力で看板を探した。
喫煙所が路地裏にあり、そこにいたスタッフにキャンペーンのアイコスをすすめられる、のがセット。
腕時計で時間を確認して、美容室が終わってから行こうと思い直して、早歩きで予約時間に合わせた。
店内はコンクリートの壁で、太陽の光が差し込んで、ちょうどいい明るさだった。
大きい姿見から自分の姿が露わになり、こんなに大きい鏡で自分のことを見たのは久しぶりだったので、ポケットにしまってた携帯を落としてしまった。
スタイリストの男性が、すかさず大丈夫ですか?と声をかけてくれた。スタイリストさんは、するりとこなれたように、髪の毛の様子を伺っていた。
伸びた髪の毛と、根元の黒さが、神経をくすぶって来るのが自分にも分かる。
スタイリストのお兄さんと会話して、持って来たモデルの画像を見せた。自己評価が低い私には勿体ない、AI加工の美女が映し出される。髪型と髪色が分かればいいと思って携帯を近づけると、お兄さんはその画像の髪型を、再現することを丁寧に考えて、髪の長さは何cm切るのか、顔周りのレイヤーカットは耳より下か上かで話し合い、流行りの薄めの前髪にしたい、それに合わせたレイヤーで10センチ切って下さいと希望を伝えると、そういうことですねと、スタイリストさんにも伝わり、小顔に見えるのは長め、ということで耳より下に切ってもらうことになった。
切っている間はお兄さんの家族の話が止まらなかった。
私はその話に何度か相槌を打ち、ヨイショをし、接客業で培った質問返しをした。優しい語り口で彼は軽快に喋った。
お兄さんの家族の話は、いつも実家に帰ると、お腹いっぱいなのにジョアとご飯がもりもりに出てくると言っていて、なんだ食べないのかと、おばあちゃんが悲しそうにするから食べているとの事で、ハンバーグ定食を食べたあとに実家のご飯を再度食べると話していた彼は、とても幸福そうだった。
私も人の家の家庭料理の話が好きで、幸福をお裾分けしてもらったようない居心地の良さを感じる。彼の兄はというと、すぐにご飯食べたからいらないと断るから、余計に気持ちのフォローをしているんだろう、と私は勝手に察している。いとことお兄ちゃんの話まで出てきて、私は初対面で、彼の家族構成を知る事になった。
いい家族ですねと言うと、お盆は帰らないけどね、と言われた。
おばあちゃんが切ない。
軽い手さばきであっという間に髪の毛を液でたっぷり浸し、ぺたんこになった髪の毛を鏡で確認すると、自分と目が合って、私の外観が自分で見る顔と違って見えた。
きっとよそ行きの顔をしている。
朝はあんなに憂鬱だった。
明日の私も、少し違う前向きな顔になっていたらいい。
シャンプーとブロー、カットが終わって、新しい髪色になった私を見ると、あんまり変わっていなかった。
多分変わったんだろうけど見慣れない自分に落ち着かなかった。
毛先は、10センチ切っただけでは大差はなかったが、希望通り根元の黒色がベージュで均等になっているのが嬉しい。
あんなに家族の話で盛り上がっていたスタイリストのお兄さんに、どうですか?と尋ねられた時に
「いいですね、軽くなりました」
しか言えなかった。他に捻る回答が自分には残ってなかった。接客業なのにね。ぺこりと頭は丁寧に下げたと思う。
さり気なく、いつの間に、少し変化していた。
大事な答えはシンプル、が本質だから、よしとする。
いいものはいい。ありがとう、スタイリストさん!
お会計を済ました後で、スタイリストさんに声をかけられる。
このあとどこ行くんですか?と聞かれ、トイレへ行きますと場違いな返答をして帰ってきてしまったが、いい気持ちで髪をなびかせられた。
私は、きっと接待に乗せられている。温かい日に、そよそよぬるい風の様に、故意的に。それでもいいなと思える美容室と人は上手い。
私は顔が綻んで、路地裏の煙草キャンペーンのスタッフさんを通りすぎ、街へと足を運ばせた。明日もまた、この髪の毛をなびかせる。
天気は晴れていた。
