【本という名の大樹】手ざわりで知る日本
ここ数日、午後になると強烈な雷雨に見舞われているここ仙台。
かように不安定な天候の日々ではありますが、昨年よりも30℃を超える日が少ないので、幸いなことにエアコンの使用頻度は激減。このまま体と家計に優しい状況が続いてくれると助かるのですが、それは余りにも都合が良すぎるというものでしょうか。とにもかくにも、このまましれ~っと『読書の秋』に突入して欲しいものです。
といったわけで、此度は、ここ20年を振り返って再読頻度が高い本を紹介・備忘させて頂きたいと思います。相も変わらず、不親切極まりない紹介記事となりますが、著者の『森本 哲郎』ないしは『旅』というテーマに興味を覚えた方は、是非お付き合い頂けると嬉しく思います。
手ざわりで知る日本
折に触れて手にしてしまう本が幾冊かある。
この 森本哲郎 著『旅は人生-日本人の風景を歩く-』は、それらの中でもとりわけ際立った一冊になっている。

§ 再読を重ねたくなる一冊
本書は『旅の中空』として出版されていた単行本(1997年)を改題して文庫化(2006年)されたものだ。幸いなことに『旅の中空』を図書館から借りて読了していた私は、文庫化の報を目にするやいなや、近所の本屋に勇んで注文した。そのくらい、自分の手元に置いておきたかったのだ。
内容は、題名が示している通りである。不遜な物言いに聞こえるやもしれないけれど、それ以上でも以下でもない。筆者が言う『心の舞台』を、ただひたすらに訪ね歩いた記録が綴られている。されば「そんな凡庸な本のどこが気に入って再読を重ねているのか?」と問われてしまうかもしれぬ。
正直、その問いに対して過不足のない回答をすることはできそうにない。何故なら『旅の中空』を初めて読んだ時と、『旅は人生』を買い求めて再読を重ねた今では、年齢は勿論のこと、私自身の生活環境や心模様が余りにも違っているからだ。
ただ、再読を重ねながら思い浮かんできた言葉達を紡いでみると『私が一冊の本に求める全ての要素が詰まっていたから』といったところに落ち着く。より解像度を上げるならば、本書は私が好む本に共通している幾つかの条件を満たした上で、私にとってかけがえのないテーマとなってきた『旅』、更には、芋づる式に登場する歴史上の偉人・賢人たちの姿と言葉、そして彼ら偉人・賢人たちと『心の舞台』にまつわるエピソードの数々といった具合に、芳ばしい要素が混然一体となって、私の右脳と左脳の双方をバランスよく刺激してくれたと言い換えられるだろうか。

著者は、江戸から明治、そして昭和から平成へと移り変わる時代の中で大きく変貌を遂げていった『旅の様相』を否定するでも肯定するでもなく、先達たちとの邂逅から得た知識や知恵に導かれるか如く『手ざわりで知る日本』という旅の手法を見出し、そして『一瞬を旅することができる旅人』になるべく実際の行動に移した。しかしそれは、ひたすらに静かであり、そして穏やかさを伴う行為でもあった。
この若輩めは、優れた先達の遺産を頼りに『心の舞台』を巡り歩く著者の姿を思い浮かべながら、共に旅をしているような気持になれたのである。
§ 敬愛する面々が登場
私の心を鷲掴みにした点に絞って記す。
そのひとつに、私が敬愛してやまない 夏目漱石 が随所に登場する点が挙げられよう。筆者が『旅』を掘り下げていく中で、漱石の影響を受けたことは明らかであり、それを清々しいほど素直に綴っているところに、円熟味を増した大人の姿を想像し、そして深い敬愛の念を覚えるのである。
加えて、芳ばしさにおいて群を抜いていた一幕も忘れてはならない。
それは、我が国における民俗学の礎を築いたとされる 柳田国男 の登場である。柳田宅で面談した著者は、柳田から『峠』の話を聞くことになる。このやりとりは、私にとって実に新鮮な場面となった。
著者と柳田のやり取りの一部
筆者:峠・・・ですか。峠って、そんなに面白いですか。どんな点が?
柳田:そりゃ、旅の深い味わいは、峠を越えてみなければ、とうてい体験できないよ。峠に立つとね、それまで吹かなかった風が吹いて、山の景色も一変する。峠のこちら側と、あちら側とが、まったく違う。そういう峠に出ると、思わずハッとさせられることが多いからね。
実に然もない会話である。この前後にも、より興味をそそられるやりとりがあったのだけれど、私はこの1ターンに深い感慨を覚えると同時に、強い羨望が湧いてくるのを感じてしまったのだ。
その理由は至って単純で、私にとって『歴史上の偉人』且つ『旧仮名遣い時代の人』になってしまっていた柳田の語り口の一端を知ることができたからだ。お恥ずかしい話だが、「柳田国男って、こんなにくだけた人物だったのかぁ。」とただただ感じ入ってしまったのである。
それが為に、このプロローグの終盤に綴られた一場面は、私に再読を促す要素の一つになっている。(何度読んでも羨ましくてならない。)
§ 著者が目指した旅の姿
著者は、前出の夏目漱石や柳田国男、そして名うての文人・歌人達を通して旅の在り方を模索することに努め、ひとつの結論『草枕・歌枕・人枕を訪れながら貴重な一瞬を見出す旅』に達するのである。
著者の旅先は、北は青森県から、南は大分県まで及ぶ。
いずれも知られた場所・・・ではあるが、現代人が好むであろう流行りの観光地・人気の施設というわけにはいかない。けれども、著者が足を向けた『心の舞台』には、著者の言う歌枕が、草枕が、そして人枕があった。そこに、凡庸な旅行記には出せない妙味があるように思われてならない。

§ 鞄に入れて持ち歩く日々
何の因果か、あれだけ旅が好きだった私が、この20年を振り返ると『自由気ままな旅』をしてこなかったことに驚くばかりなのである。さわさりながら、その点に後悔していない自分もいる。これはやせ我慢でもなんでもなく、明らかに『旅』よりも優先すべき大切な事柄があったからである。
優先すべきこと・・・
それは人生の中で至極当たり前に起こり得る出来事だと言えよう。
子ども達のこと、家庭のこと、仕事のこと、震災復興のこと、先の見えない介護のこと・・・その渦中にいる時には、これらの事柄全てが、私から『物理的な移動を伴う旅』を奪ったように感じられてならなかった。
自分が望むこと以外の与件によって、それまで大切にしてきた趣味趣向の世界がスポイルされることのストレスは小さくはない。当然のことながら、心が沈むばかりでなく、時には憤懣やるかたない思いに囚われることすらある。そんな人生の停滞期を思わせる期間に、この『旅は人生』は、私が持ち歩く鞄の中にあって、静かに励ましてくれていたような気がしている。
そして、歳を重ねる毎に、著者が紡いだ文章の行間に潜んでいる情感の受け取り方が変化してきたことに気付いた私は、必然的に再読の頻度を上げていった。こうした経過の中で、いつの頃からかは分からないけれど、『旅』のみならず『人生』に対する考え方が整っていくのを感じた。
今にして思う・・・
その時々に優先すべきことに徹してよかったと。
もし、そうしなかったならば、今の『心の平穏』はなかったかもしれない。
かように捉えることができるようになった自分の成長を感じると共に、成熟した先達が与えてくれた『静かなる薫陶』に対して、山よりも高く海よりも深く感謝しているのである。
