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息子よ、『おそうじオバチャン』は、本当に「差別の歌」だったのか。


息子よ、ちょっと座れ。

今日は、お前にぜひ聴いてほしいバンドがいる。

憂歌団。

そして、彼らのデビュー曲『おそうじオバチャン』だ。

この曲は1975年に発売されるや、民放では放送を控える動きが広がり、「幻のデビュー曲」とまで言われた。

理由は、「職業差別を助長するおそれがある」というものだった。

だがな、息子よ。

俺は、この話を聞くたびに思うんだ。

本当に差別していたのは、誰だったんだろう。

始まりは、ただの悪ふざけ

伝説のデビュー曲というと、何カ月も苦労して作り上げた作品を想像するだろう。

ところが、この曲は違う。

ツアー中、木村充揮が笑福亭仁鶴の『おばちゃんのブルース』をブルース風にモノマネして歌い始めた。

ただ、それだけだ。

ライブで披露すると、たまたま会場にいたレコード会社のディレクターが大笑いした。

「これは面白い!」

その一言で、レコーディングが決まってしまった。

人生ってのは、案外こんなもんだ。

歌詞を書いたのは、飲み友達

即興のままではレコードにならない。

そこで歌詞を書いたのが、沖てる夫。

作詞家でも何でもない。

大阪でメンバーと酒を飲んでいた、ただの飲み友達だった。

ところが、この人が実に面白い。

木村の悪ふざけを見て、ビルで働くおそうじオバチャンの姿を一つのブルースに仕立て上げた。

芸術なんて、高尚な会議室から生まれるとは限らない。

酔っぱらいの雑談から名曲が生まれることだってある。

放送を控えられた理由

発売後、この曲は民放では放送を控える動きが広がった。

理由は、

「掃除婦という職業を歌っている。」

「一日働いて二千円という低賃金を笑いにしている。」

そんなものだった。

だけどな、息子よ。

俺はずっと引っかかっている。

憂歌団は、本当におそうじオバチャンを笑っていたのか。

木村充揮は後年、

「オバチャンが好きやった。」

そんな趣旨の話をしている。

実際、この歌を喜んで聴いてくれた清掃員もいたという。

少なくとも、彼らは見下して歌ったわけじゃない。

毎日働く人の泥臭さも、たくましさも、そのままブルースにしたかっただけなんだろう。

「守る」という名の上から目線

俺はな、息子よ。

ここが一番気になる。

当事者より先に、

「これは差別だ。」

「これは放送できない。」

そう判断したのは、お偉いさんたちだった。

もちろん、放送する側には責任がある。

その判断を否定するつもりはない。

だが、

当事者の声を聞く前に、「あなたたちは傷つくはずだ」と決めつけることは、本当に優しさなんだろうか。

俺には、それもまた別の上から目線に見えてしまう。

止めたら、もっと広がった

皮肉なものだ。

放送で流れなくなった結果、

「ラジオでは聴けない、とんでもないブルースバンドがいる。」

そんな噂が若者の間で広がった。

ライブには人が集まり、

憂歌団は日本を代表するブルースバンドになっていく。

止めようとしたことで、かえって伝説になってしまったのである。

息子よ

世の中には、

誰かを傷つける表現がある。

その一方で、

誰かに寄り添って作ったのに、「傷つける表現だ」と言われる作品もある。

その違いは、案外難しい。

だからこそ、

誰かが決めた「正しさ」だけで物事を判断するな。

作者は何を伝えたかったのか。

当事者はどう受け止めたのか。

そして、自分は何を感じたのか。

そこまで考えて初めて、一つの作品と向き合ったことになる。

俺はな、息子よ。

『おそうじオバチャン』は、差別を歌った歌ではなく、

「差別とは何か」を、50年以上経った今でも俺たちに問い続けている歌なんだと思っている。

※因みに、この曲で、内田貫太郎もチャキも世に知れ渡るきっかけになった事は間違いない。
一方、これだけの人物なら、この曲が無くても、知れ渡るのは時間の問題だったとも言えるな。
息子よ、
内田貫太郎は世界に誇れるギタリストだ。


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