草刈りしながら考える

ひさしぶりの「こどもぐら地球号」ということで、三瀬現場での草刈りも俄然力が入ってきています。広さが広さだけあって、ずいぶんと時間と労力がかかってしまいますが、一人草刈りをしていると、いろんなことが頭の中をグルグル回りだします。

この草刈り機がなかったら、えらい大変だろうな、、、車がなかったら、ここまで来れないな、、、道路がなかったら、車も通れないな、、、ガソリンやエンジンオイルがなかったら、、、インフラって、エネルギーって、なんてありがたいんだ、、、などなど。

2年と少し前のこと、現アトリエの「はじまりの会」にて、第1回目を控えた「こどもぐら地球号」の説明をさせていただいたことがあります。この「意義」については、プレーパーク(冒険遊び場)的なものよりも、土木工学の竹村公太郎さんが養老孟司さんの知見を用いながら述べていた考えのほうに重点をおいて、それを紹介させていただきました。

ほとんど割愛しますが、
・人間の脳は、コントロールしたがる
・自然はコントロールしにくい
・自然は人間に恐怖も与える
・恐怖は人間の爬虫類脳を刺激する
・人間は協力し合って生きてきた
というような内容でした。

子どもと自然→いのち!というような、キラキラ感がほとんどなく、隣で聞いていた妻を「みなさん引いてないかしら」とハラハラ心配させていたような気がします。しかし、そこそこ反響があって、少し胸を撫で下ろしたことを覚えています。

この竹村さんは、「地形で読み解く日本史」シリーズで有名で、経験やデータに基づく理系的な発想のある方です。自らのことを、マルクス主義ではない唯物史観だとおっしゃっています(おそらく、歴史を語る方で、唯物史観に批判的な方が多い現状を踏まえたユーモア)。

同じ土木系で、「国土学」を提唱している方に、大石久和さんがいます。「紛争死史観(大陸)」と「災害死史観(日本)」という見方は、日本で暮らす私たちに深い気づきを与えてくれます。
災害の多い(恵みも多い)この日本の国土が、どのような文化や思想を育んできたのか、それらをどう守っていくのかをテーマに発信を続けていらっしゃいます。

こういう歴史のイメージを頭の中に浮かべながら作業することになったわけですが、石油エネルギーや電気エネルギーが利用できなくなった場合、縄文時代の暮らしに必要な自然環境はほとんど失われている中、自然に働きかけるようになった弥生時代以降で、もし参考にできる時代があるとすれば、、、やっぱり江戸時代?

ただ、身分制度があって、それは身分ではなく役割分担だとする考えもあり、もしかしたらそうなのかもしれませんが、やっぱりなんか気になるということで、調べてみると、日本の差別の起源を探った方の以下のような記述がありました。

 被差別部落の発生が近世であるといういわゆる「近世政治起源説」は虚構であることははっきりする。
 豊臣秀吉や徳川家康といった近世の権力者たちが、人口の多数を占め、権力維持の基盤になっている「良民」=「農・工・商」身分の人々に、自分たちよりもっと惨めな人々がいる、彼らに比べれば自分たちがまだマシだと思わせるために(中略)さらに低い身分を作ったというのが「近世政治起源説」である。
 (中略)主に貧しさに由来する差別が激しくなったのは、実は明治に入ってからである。(中略)解放令によって部落の人々は法律の建て前上は平民となり、どこに住んでも、どんな仕事をしても、誰と結婚してもいいことになったわけだが、(中略)むしろ江戸時代よりも陰湿で過酷な差別を受けることになったのである。

― 山下力『被差別部落のわが半生』より

まだまだ私も勉強不足な中で、しかしもしかしたら歴史の事実はこうかもしれない(著者は肉食が禁止された7世紀の「大化の改新」頃からかとしています)という中で、何がそうさせたのか、また、新しい共同体を考える場合、どうすればこのようなことを防いでいけるのか、物事のルーツを探りながら考え続ける必要がある気がしています。

映画監督でもある森達也さんは、中学生以上向けの本『いのちの食べ方』を書かれていますが、タイトルや表紙から想像される内容よりも、実はこの「差別」について多くを割いた本になっています。著者らしさが出ていて、そんな彼のスタンスは、私にとって一つの参考になりそうです。

そういうわけで(?)、子どもの頃に豊かな自然環境で育ったわけでもなく、いわゆる「ネイチャー・インストラクター」的な(?)キラキラした雰囲気は皆無ですが、上のようなことが頭の中をグルグル回りながらも、与えられた環境をできるだけ生かしていきたいと思っています。

もちろん、「こどもを野に放て!」ではありませんが、子どもが自然環境で育つこと、学ぶことはとても意義のあることであると、大人になってからの多少の経験や勉強と、自分の奥底に眠っているかもしれない直感や古い記憶から、そう感じるのでした。

2025年9月29日
instagram(zukuzuku_shirozuku)にて投稿した文を一部加筆修正しています。

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