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教育の境界線|配慮と甘やかし①発表したくない子に、発表させなくてよいですか?

授業中、教員が子どもに発表を求める。

すると、その子はうつむき、「発表したくありません」と答える。

人前で話すことが苦手なのかもしれない。間違えるのが怖いのかもしれない。無理に発表させれば、強い不安を感じたり、教室に居づらくなったりする可能性もある。

だから、「発表したくないなら、しなくていいよ」と伝える。

一見すると、子どもの気持ちを尊重した配慮に見える。

しかし、その対応を続けるだけでよいのだろうか。

配慮とは、子どもを苦手なことから遠ざけることではない。子どもが学習に参加するうえでの障壁を取り除き、別の方法で目的に到達できるようにすることである。

まず確認したいのは、その授業で発表させる目的だ。

全員の前で話す経験そのものが目的なら、人前で話すことを避け続けていては学習にならない。一方、自分の考えを他者に伝えることが目的なら、全員の前で話す以外にも方法はある。

教員にだけ伝える。文章に書く。タブレットで入力する。少人数のグループで話す。事前に録音したものを流す。

このように表現方法を変えながらも、自分の考えを他者に伝える経験を残すのであれば、それは配慮である。

反対に、「本人が嫌がっているから」という理由だけで、発表や表現の機会から外し続けるのであれば、甘やかしに近づく。

方法だけでなく、学ぶ機会そのものを取り除いているからだ。

もちろん、強い不安や心身の不調がある子に、その場で発表を強いる必要はない。まず休ませる判断もある。専門的な支援が必要な場合もある。

ただし、「今日は発表させない」という判断と、「今後も発表できなくてよい」という判断は同じではない。

大切なのは、発表させるか、させないかの二択ではない。

何が障壁になっているのか。どの方法なら参加できるのか。どのような段階を踏めば、少しずつできることを増やせるのか。本人と一緒に考え、対応を定期的に見直すことだ。

できないまま取り残さず、参加するための別の道をつくる。その道の先に、子ども自身の学びや成長が残っているかを確認しなければならない。

配慮と甘やかしの境界線は、学ぶ目的を残したまま参加の方法を変えるのか、学ぶ機会そのものを取り除くのかである。

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