偶然は、効率の外にしか落ちていない―― 飲み込まれない人が、そっと立ち止まっている場所
(約 1300 字)
理解したあとに残る、もう一つの問い
前々回では、
私たちが「つまらない瞬間」に耐えにくくなった構造を見ました。
前回では、
SNSやAIレコメンドがつくる
「選んでいる感」の心地よさについて考えました。
ここまで来ると、
多くの人が、こんな問いを持つかもしれません。
では、どうすれば飲み込まれずにいられるのか。
主体性は、どこに残っているのか。
この記事は、
その問いに答えを出す記事ではありません。
ただ、観察してきたことを
静かに置いてみる回です。
飲み込まれない人は、どこで偶然を拾っているのか?
飲み込まれない人たちは、
何か特別なことをしているようには見えません。
強い意志があるわけでも、
情報を断っているわけでもない。
ただ、
効率の外側に、少しだけ身を置いている
ように見えます。
たとえば、
本屋や図書館で、目的なく棚を眺める
散歩中に、あえて寄り道をする
ミニシアターで、知らない作品を観る
誰かの「偏った好き」に付き合ってみる
これらに共通しているのは、
「正解が用意されていない」という点です。
偶然は、
効率化された場所には、
あまり残っていないように思います。
なぜ「効率の外」に、偶然は残りやすいのか?
効率化された環境は、とても親切です。
失敗しにくく、
迷わなくて済み、
満足度も一定以上が保証されています。
その代わり、
想定外が起きにくい。
一方、効率の外側には、
時間がかかる
外れる可能性がある
すぐに意味が分からない
といった要素が残っています。
だからこそ、
自分の予想を裏切るものに出会う余地がある。
偶然とは、
「管理されていない場所」に
ひっそり落ちているものなのかもしれません。
「何もしない時間」は、なぜこんなにも怖いのか?
もう一つ、大きなポイントがあります。
それは「何もしない時間」です。
何もしないでいると、
取り残されている気がする
生産性がないように感じる
不安が浮かんでくる
だから私たちは、
暇を感じた瞬間に
スマートフォンへ手を伸ばします。
暇を「潰す」癖は、
自然に身についた防衛反応なのかもしれません。
ただ、その防衛の結果、
考えが熟成する前に、
感情が落ち着く前に、
次の刺激へ移ってしまうこともあります。
主体性は「選ぶ力」ではなく「止まる力」かもしれない
主体性というと、
「何を選ぶか」「どう決めるか」
という話になりがちです。
でも、ここまで考えてくると、
こんな見方もできそうです。
主体性とは、
何かを選ぶ力よりも、
立ち止まる力なのではないか。
ここで止めてもいい
今日は見なくてもいい
すぐ答えを出さなくてもいい
そう判断できる余白が、
主体性を静かに支えている。
選択肢を増やすことより、
反応しない自由を残すこと。
それが、いまの時代には
意外と大切なのかもしれません。
いまの時代を、いちばん豊かに生きる人
テクノロジーを拒否しない。
でも、委ねきらない。
効率を使いながら、
効率の外に戻れる場所を残しておく。
つまらない瞬間を、
すぐに消さず、
少しだけ眺めてみる。
そうやって
偶然を拾える人は、
もしかするとこの時代を
いちばん豊かに生きているのかもしれません。
いちごいぬ🐶
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