東京の美しい本屋さん|田村美葉 [著]
「馬の鼻先に人参」というか、本屋さんの棚にこのタイトルは、ちょっとズルい気もする。だって、本好きが集まる本屋に、「東京、美しい、本屋」って、誰だって手に取るでしょう。少々くやしい。なぜなら、まんまと買ってしまったからです。
この本が紹介しているのは、ただ内装がおしゃれな本屋でも、写真映えする空間でもありません。本と人、人と街が静かにつながっている場所ばかりなのです。

美しい本屋とは、何が美しいのでしょう。
棚の木目でしょうか。照明でしょうか。並べられた洋書や古書でしょうか。
もちろん、それもあります。でも、この本を読み終えて感じたのは、「美しさ」とは店主の考え方が棚に現れた姿なのだ、ということでした。
この本には、33のインディペンデントな本屋が紹介されています。
一冊一冊を選び、どの本を隣に置くかを考え、その組み合わせによって「この世界を、こんなふうに見ています」という小さなメッセージを作っていく。その積み重ねが、本屋という空間を美しくしているのだと思います。
考えてみれば、東京ほど大きな街でも、昔ながらの街の本屋は驚くほど少なくなりました。少し前までは、駅前に店を構え、新刊を並べておけば、ある程度の売り上げが見込める時代がありました。本は生活必需品に近い存在で、人口も増え続けていました。出版社も書店も、その追い風の中で成長してきたのでしょう。
しかし、その前提は大きく変わりました。人口減少が進み、本を読む時間はスマートフォンや動画へと置き換えられ、「駅前だから売れる」という時代は終わっています。再販制度も、人口が増え続ける社会では安定した流通を支える大きな仕組みでしたが、人口ボーナスが失われた今、その恩恵だけでは書店を支えきれなくなりました。
だからこそ、本書に登場する書店は興味深いのです。そこに並ぶ本は、出版社から送られてきたものをそのまま並べた棚ではありません。店主が時間をかけて選び抜き、その店だからこそ出会える本を並べています。

さらに、コーヒーを飲めるカフェがあり、雑貨があり、ギャラリーがあり、ときにはイベントや読書会も開かれる。本を売るだけではなく、人が滞在し、誰かと出会い、新しい興味が生まれる場所になっています。
本屋は昔から、街中の文化施設でした。それが、ようやく現代の生活にフィットする姿へ変わってきているのです。人口ボーナス時代の「本をたくさん売る店」ではなく、人口オーナス時代を生き抜くために、自ら新しい価値をつくり出した次世代の本屋だと言えるでしょう。
本書を読んでいると、それぞれの店が小さな出版社のようにも思えてきます。選書には編集の視点があり、棚には一冊の雑誌を編集するような流れがあります。同じ文学の棚でも、店によって並ぶ本はまったく違います。その違いが、そのまま店主の個性になっています。
ネット書店では検索すれば欲しい本がすぐ見つかります。でも、検索では「まだ知らない本」とは出会えません。本屋を歩いていて、何気なく手に取った一冊が、自分の考え方を少し変えてしまうことがあります。そんな偶然は、アルゴリズムではなかなか作れません。

だから私は、本屋へ行くことを「買い物」というより、小さな散歩のように感じています。棚を眺めながら、「この店主は最近こんな本に興味があるのかな」と想像したり、思いがけない装丁に目を止めたりする時間は、とても贅沢です。
この本には、そんな散歩の楽しさがぎっしり詰まっています。紹介される一軒一軒を見ていると、「今度はここへ行ってみよう」という気持ちになり、地図を開きたくなります。本を読むことと、街を歩くことが自然につながっていくのです。
東京という街は、再開発によって景色がどんどん変わります。でも、その変化の中で、小さな本屋は街の記憶を静かに受け止めています。
古い建物を生かした店、新しい住宅街に根づいた店、商店街の一角で灯りをともす店。それぞれが、その土地らしい空気をまとっています。
だから、この本は単なる「本屋ガイド」ではありません。東京という街を、書店という窓から眺める一冊でもあるのです。本屋の未来を少し心配している人にとっては、「まだこんな可能性が残っているんだ」と、静かな希望を感じさせてくれる一冊でもあります。
また本屋へ出かけたくなりました。何か特別な一冊を探すためではなく、その店だけが作っている「棚の風景」を見に行きたくなりました。美しい本屋とは、建物のことではなく、本を通して人と街を結び直そうとする営みなのだと思いました。

著者の田村美葉さんは、1984年金沢市生まれ。東京大学文学部で美学藝術学を学び、東京という街の魅力を独自の視点で見つめています。著書には『すごいエスカレーター』『できるだけがんばらないひとりたび』などがあります。街の風景や建築、人の営みを観察するまなざしが、この本にも隅々まで息づいています。本屋を「本を売る場所」としてだけではなく、一つの空間、一つの文化として見つめているからこそ、紹介される店にはそれぞれの個性や物語が浮かび上がってきます。

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