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シロクマ文芸部 |島のうた歌い

目をつぶる間に失った繁栄だった。
その代償に、島は平和を手に入れた。
Yは、笹の葉の形をした目がトレードマークの人の良い男に見えたが、この島の最後の人種だ。人間の関節の外し方も、効果的な拷問の方法も、タチの悪い娼婦の見分け方も島人は彼に教わった。

「弟はどこだ?」
女装した男たちのステージが始まるまであと五分だった。
騒々しい音楽と、官能的というより下品な香水の匂い。Yは酒の代金をカウンターに置いて立ち上がり表に出た。
裏手の駐車場に回ると戸口の前にナタリー(ここではそう呼んでと言われている)が立っていた。

「ナタアァァァーリィーアァ」
夜道をぶらつく客が母音をのばしきったアクセントで挨拶をよこす。
「寄っていきなよ」
ナタリーは挨拶を返す。ここでは観光客もが顔見知りだ。

深く煎ったコーヒー豆みたいな肌をしたナタリーは、ステージ用の赤のレオタードの上に安っぽいフェイクファーを羽織り、気だるそうにタバコを吸っている。熱帯魚を想わせるブルーのウィッグ。化粧を施された顔はかつての野球少年の面影を探しても見つからない。
「今夜は帰ろうぜ」
Yがポケットから紙幣を掴み出して差し出すと、ナタリーは被りを振った。
その金がどんな稼ぎでできているかナタリーは知っている。

ふたりにはこの島すべてが遊び場だった。泥まみれの道、放し飼いの鶏、透明な海と白い砂、バラックみたいな団地、錆びた給水塔、大人たちの働く豪奢ホテルの裏口、逃げないように羽根の一部を切断された極彩色の鳥たち……を共有した。親の顔は知らない。

ゲームセンターの隅にあるプリクラ・ブースでふたりは生まれた。
「UFOキャッチャーだと目立ちすぎるからね」ナタリーは客によくそう言ってチップを弾んでもらう。
野球グローブはふたりでひとつしかなかった。団地の陰でボールが闇に溶けるまでキャッチボールを続けたのは、いつか揃いのユニフォームを着て憧れの球場に立つ日を夢見ていたから。

「むかしは多様性って言ったんだぜ」

島の狂騒の時代について老人たちがしばしばそう言って首を振る。
徘徊と破壊と支配。何もかも過剰でそこら中危険だらけだった、と彼らは嘆く。濁った目をした彼らの声には、それを懐かしがるような、誇るような響きがあることもまたたしかで、Yはその時代を見物しこねたことを残念に思う。

今やこの島はすっかり寂れてしまった。
放置された豪邸や閉鎖されたホテル。植物だけが旺盛な生命力を発揮して蔓延り、しみったれた、あるいは、愚かな観光客だけが訪れる。
Sushiスシタウン〉という馬鹿げた名前をつけられた島。

ナタリーが顔を背けても、Yは手を引っ込めなかった。
目をつぶるとマスカラなどつける必要もないくらい濃く長いまつげには、多分それとわからないほど丁寧にかつ効果的にマスカラが塗られていて、パチパチさせることで無言の失笑をしている。
Yは汗でくしゃくしゃになった紙幣の束を赤いレオタードの胸元に押しつけるようにしてもう一度差し出す。

「もう行くわ」
「どこに?」その声を打ち消すようにステージのパーカッションが鳴った。
コーヒー色の肌をネオンに光らせたナタリーがフィルターギリギリまで短くなったタバコを地面に投げ捨てハイヒールで踏み消しバックヤードへ向かう。

島を出る船は明日だと噂で聞いていた。今夜が最後のステージだ。
Yは無言で伝える。
いつでも戻ってこい。
誰もここから出て行かない。行くあてもない。
性転換をしていようが、観光客と寝ていようが、お前はこの世のすべてだ。密輸されたスパイスみたいにセクシーで、アンドロイドの詩人みたいに狂っていて、違法ラジオのヘビーローテーションみたいにご機嫌だ。

あんな声を出したら内臓が飛び出してしまうのではないかと思うほどの爆音でナタリーが歌う。高熱に浮かされたみたいにどんどん荒く、恍惚に苦しげになる息遣いは、歌っているというより全身から声帯が勝手に飛び出して、イクのを我慢しているみたいな顔で、Yの耳にさえ滑稽に聴こえる。
そのステージは真夏の球場でふたり並んで唄うはずだった曲が流れている。



                               (了)



#シロクマ文芸部 目をつぶる




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