私の決断は、ずっと"成り行き"だった。 ―進路も就職も転職も
「あなたはどのように人生の方向を決めましたか?」
私は…はっきり答えられない(褒められることではない)。
振り返ると、私の大きな決断はいつも"成り行き"でできていた。
中学受験、大学院、就職、転職、そして今 ── 自分の人生の節目を思い返してみても、「逆算してキャリアを設計したから」と言える瞬間が、正直ほとんどない。
その代わり、いつもそのときの自分が持っている手札と、目の前の人と、ちょうどよく背中を押された出来事・きっかけがあった。
今日は、その「成り行き」の話を書いてみます。

どこかの中高男子校から理系国立大へ。
卒業後は大学院へ「とりあえず」進学、JTCへ新卒入社。
研究員→新規事業→DXとジョブチェンジし、副業3社。
その後(また)JTCへ転職し、新規事業などを担当中。
成り行きキャリアを歩み続け、今に至る…
サッカー部ないなら受験するか~
最初の大きな決断は、小学5年生のときだった。
両親に「地元の中学(サッカー部がなかった)に行くか、どうする?」と聞かれた。私は、ほぼ1秒で答えた。
「サッカー部のある中学に行きたい」。
それだけの理由で、中学受験することを決めた。
両親に強制されたわけじゃない。地元の中学に進む選択肢もあった。地元の中学に入り、クラブチームに別途入る選択肢もあった。でも、私は「サッカー部のある中学に行く」を選んだ。
正直、なんとなく…
家でも学校でも、両親から「将来はこういう人になれ」と言われたことはほとんどなかった。だからその決断も、自分の中の小さな引っかかりだけで決めた。
「機会駆動」とかって整理されるのかもしれないですが、単純な話、当時サッカーが好きで好きなことができる場所を選んだ ── ただ、それだけ。
iPS研究という良い遠回り
学部4年になり、iPS細胞の研究に進んだ。
技術の再現性向上や産業化に関わる研究室だった。
「答えがない領域」が楽しいと感じた(相応にハードな記憶しかないですが)。そしてその後、深く考えることもなく大学院の道を選ぶ。
※周りの同級生が成績優秀「すぎて」、わたしには選べる研究室が実は当時絞られていた状況…(決して悪くはなかったはず!多分!)
iPS細胞というミーハーな感じにちょっと惹かれていた自分もいた。
さて、就活。当時一つ決めたことがある。
王道ルートである製薬企業に行く道を、当時の私は選ばなかった。
同じコースの3-5割は通るであろう、製薬企業への道、給与も良く安定した企業も多い。自分がやっていた研究内容も活かすことができる。けれど、選ばなかった(向こうからしたら私なんか選ばないわな、と今は思う…苦笑)
理由は単純。
「20年経っても、自分の研究が何にもならないかもしれない」ことに不安を覚えたから。
今思うとこれは20歳前後の私の「異常に」偏った見方で、これは自分に「向いていないかも」という気づきでしかなかった。製薬の仕事を否定するつもりはまったくなく、何なら製薬的なことにゆくゆく身を置くとは、この時思ってもいなかったのです…
ほぼ計画性皆無。
「ここに居たい」「ここには居たくない」という、その瞬間の自分の感覚で決めた(決めてしまった)。
直感を大切にする ── という価値観が、おそらくこの時期に固まったんだろうと、今は思う。
研究員から新規事業への異動
大学院を出て、ある事業会社(Not製薬企業)の研究員になった。
担当したのは、目薬の開発だった。
これがとても面白い仕事だった。
法律で決まった成分や配合・訴求枠の中で、効果と使いやすさを最大限に追求する。緻密で、繊細で、技術的な深さがある。そしてその会社には数十年の研究の積み重ねがあり、それを追体験かつアップデートしていくような体験だった。
お気づきでしょうか。製薬企業の就職を辞めたのに、気づいたら製薬の仕事をしていたのである(なんでや…)
それは置いといて、3年ほど経った頃、ふと思った。
「今まで以上に、さらに良いモノを作り続けていけるのだろうか」と。
頭打ち感、というやつだった。
技術的に行き詰まっているわけじゃない。法律の枠と、業界の構造と、ユーザーに提供できる価値の限界 ── そういうものが、なんとなく解像度高く見えてきた中で、新しいことに挑戦したくなった。
それで、新規事業の部署への異動希望を出し始めた。
これも逆算ではない。
「新しいことに自分自身が挑戦しないとダメだ」という感覚だけで動いた。※「新規事業だ!」となった理由は別途書いていきたい。
今思えば、これも私の決断パターン
── なんとなくの閉塞感が次の動きに繋がるやつ。
東京駅ランチで急遽決まった転職
その後、無事に(ではないので別途書きます)新規事業の部署に異動して、しばらくはその不確実性と奥深さに魅了され、来る日も来る日も外に出ては種を見つける生活だった。
ただ、約2年後、会社の方針で自身の部署がなくなった。
行きついたのはDXに関わる部署だった。
全く不満はなかった(しいて言えば、もっと評価されてもいい仕事じゃないの!?というなんとなくの義憤的なものはあったけれど)。
DXへ異動後、2か月ほど経ったある日、とある社外の方(Aさん)から急にご連絡を貰った。
「転職とか考えてないの?」と。
よくよく聞くと、とある会社の方(Bさん)が新規事業等に関われる人を探していて、私の名前を挙げてくれたとのこと。
ぜひ、会いたい!となり、私とBさんを引き合わせてくれた。
その後、東京駅で一回、Bさんとご飯をご一緒した。
それだけだった。
それだけで、私は転職を決めた
※正しくは転職活動を始めることを決めた(笑)
もっと考えても良かったのかもしれない。
新規事業に異動し、部署がなくなり、DXの部署へ。
そんなタイミングで転職する?しかも、たった一回のご飯で?
でも、私はその場で決めた。「行きます(受けます)」と。
逆算ではない。データを並べて比較したわけでもない。
ただ、東京駅で交わした会話の感触で、「ここに行ったら、自分が動ける気がする」と感じた。
その「成り行き」で行った先で、また次の景色が見えた。
これが、私の「人で動く」パターンの典型例
私の決断はいつも誰かが運んできた
今までの決断には、共通することがある。
1つ目は、逆算じゃなかったこと。
「将来こうなりたいから今こうする」という考え方を、私は正直ほとんどできていなかった。
ただ、社会人になってからは漠然と「世の中に新しい価値を生み出すこと」に興味があり、それを実現できる(できそうな)場に身を置いていたのかもしれない。
故に、2つ目は、全くの無計画だったわけでもないこと。
そのとき自分が持っている手札はちゃんとあった ── 好きなこと、得意なこと、避けたいこと、やりたくないこと、信頼している人、ただ尊敬している人。
手札、というと失礼な感じがするが、この上でたまたま目の前に来た機会を選んだだけだった。
何より3つめは、いつも誰かが運んできてくれていたこと。
両親、教授、副業先で出会った人、AさんやBさん、そしてもしかするとこれまでの同級生だったり、先生だったり、私に関わってくださった方に無意識にも影響を受けていたのだと思う。
── 振り返ると、決断のきっかけは、ほぼ全部「誰かとの出会い」だった。
雑談:これは「エフェクチュエーション」という考え方に近いんだな、とある勉強会で学んだ。目的から逆算するのではなく、手元にあるもので作る考え方。私のキャリアはたぶんずっとこれだった ── ということが、つい最近ようやく腑に落ちた。
成り行きも悪くない
「成り行き」と聞くと、無責任に聞こえるかもしれない。
でも、振り返ると、成り行きで決めた決断は、私の人生にとってかなり大事なものだったと、今は思う。
逆算でしか動けない人より、成り行きにちゃんと乗れる人の方が、止まらないでいられるんじゃないか。計算すればするほど、計画にないことへの心配が大きくなる。
と自分に言い聞かせるように、今日も「成り行き」を生み出す活動に繰り出す。
あなたの大きな決断は、逆算でしたか?それとも、成り行きでしたか?
「誰かに背中を押される瞬間」が、案外いろんなところで起きているんじゃないかな、と思ってならないし、自分が誰かの背中を押す存在にもなりたいな、と心から思う。
Tokky.
追伸:スキ、コメント、DM励みになります。大感謝。
いいなと思ったら応援しよう!
いただいたチップは起業家や挑戦する皆さんに還元していきたいと考えております!もしよろしければご支援の程、よろしくお願いいたします<(_ _)>