見出し画像

One Day その時僕はラジオの現場にいた 序章 始まりに代えて

地元にFM局ができた。

「午前中の生番組のADを探しているので、やらないか?」

大学生だった僕は、映画制作のサークルで世話になっていたN.I先輩に、そう声をかけられた。

ラジオは小学校低学年の頃から聴いていた。大好きだったのはFM東京の「FMファミリー」だったし、FENのヒットチャート番組もよく聴いていた。ダイヤトーンPOPSベスト10は洋楽に触れる最高の番組だった。高学年になると興味はさらに広がり、海外の短波放送を追いかけてベリカードを集めるのに夢中になった。

そうして受信していた音は、いつの間にか音楽そのものへの関心へと変わっていった。小学校高学年から洋楽を聴き続け、高校生の頃にはシンセサイザーを手に入れ、友だちと音楽制作にのめり込んでいった。

音と電波は、ずっと僕の側にあった。

だから、その話に戸惑いがあったとすれば、それは「ラジオの現場を知らないから」ではなかった。

「やりたいか」と聞かれれば、やりたいに決まっている。

けれど「自分がやることなのか」という感覚が、どこか追いついてこない。

聴く側としての距離と、作る側の距離が、うまく重ならなかった。

当時のFMは、まだ数が少なかった。首都圏でいえば、1970年に開局したエフエム東京以降、長いあいだ新しい民放FM局は現れず、1985年にエフエム群馬がようやく加わったばかりだった。

そんな中で、地元にできたのがFMヨコハマだった。

「Fヨコ」と呼ばれ、後に一種のブームになるその局は、開局当初から全国FM放送協議会に加盟せず、独自の番組制作を行うという、当時としてはかなり思い切ったことをやっていた。

それがどれほど凄いことなのかは、後になって分かることになる。

僕がそこに関わることになったのは、その翌年、1986年のことだった。

開局当時のキャッチフレーズを、よく覚えている。

「右へ数センチで、夏です」

当時のラジオは、まだアナログのダイヤルが主流だった。

目盛りを見ながら、つまみを回して周波数を合わせる。

たとえばNHK横浜FM(81.9MHz)や東京FM(82.5MHz)から、さらに右へ84.7MHzまでダイヤルを回す。

そのわずかな移動で、違う音楽、違う空気が流れ込んでくる。

“右へ数センチ”という言葉には、そんな具体的な身体感覚があった。

そして「夏です」という言い方も、いかにもあの頃らしかった。

少し大げさで、少し軽くて、でも確かに何かが始まりそうな感じがした。

1985年という時代自体が、どこかそんな空気を持っていたのだと思う。

現場に入ると、その“知っているつもり”は簡単に崩れた。

ラジオを聴くことと、ラジオを作ることは、どうやら別のことらしかった。

好きだという気持ちはあった。

けれど、それだけでは足りないらしい。

何が足りないのか。

それすら分からなかった。

生放送は、待ってくれない。

そのことだけは、現場に入ってすぐ分かった。

何かが起きても時計は止まらない。

誰かが失敗しても放送は続く。

それまで聴いていたラジオとは、まるで違う世界だった。

「こんなはずじゃなかった」というより、「こんなにも分かっていなかったのか」という驚きだった。

いや、そうではない。

そもそも「何が分からないのかすら分からない」状態だったのだ。

それでも、不思議と逃げたいとは思わなかった。

むしろ、自分が好きだったものの裏側に触れている感覚があった。

あの音楽が、あの時間が、どうやって出来上がっているのか。

戸惑いと期待は、区別がつかないまま同じ場所にあった。

現場の流れも、ラジオというメディアの本質も、自分がそこにいる意味さえも分かっていなかった。

けれど、分かっていなかったからこそ、目の前の全てをそのまま受け取ることができたのだと思う。

正しいやり方も、効率も知らない。

だから、実際に起きていることを、そのまま身体に入れていくしかなかった。

遠回りだったのかもしれない。

でも、あの時間にしか身につかなかった感覚も、確かにあった。

あれから四十年が経つ。

今、僕はラジオの直接的な現場での仕事をしていない。

それでも、ときどき思い出す。

ダイヤルをほんの少し右に回したときの、あの感覚を。

それまでと同じ場所にいるはずなのに、急に景色が変わるような、あの感じを。

そして同時に、あの頃の自分のことも思い出す。

何も分かっていないくせに、どこか楽しそうで、少しだけ背伸びをして、必死に現場についていこうとしていた、自分のことを。

今の僕は、その姿を少し離れた場所から眺めることができる。

どこか甘酸っぱくて、少し気恥ずかしい。

けれど、あのときの僕がいたから、今の自分があるのだとも思う。

何も分からなかった時間は、何もなかった時間ではなかった。

むしろ、いちばん多くを吸収していた時間だったのかもしれない。

あのとき僕が踏み込んだのは、ほんの数センチ分の違いだったのだと思う。

けれど、その数センチは、あとになって振り返ると、ずいぶん大きな距離だった。


One Day あの時、確かに僕はそこにいた。

次の話

いいなと思ったら応援しよう!