🧠市民の脳を狙う「見えない認知戦争」第5章「WW2までの戦争プロパガンダの歴史②"プロパガンダの源流と発展"」
🧠市民の脳を狙う「見えない認知戦争」第5章「WW2までの戦争プロパガンダの歴史②"プロパガンダの源流と発展"」
アナタは、戦争🪖って意図的に作り出せるって知っていましたか?
アナタは、ファシズムって意図的に作り出せるって知っていましたか?
アナタは、ナチス🇩🇪や大日本帝国🎌って意図的に作り出せるって知っていましたか?
アナタは、テロ💣やクーデターも意図的に起こせるって知っていましたか?
アナタは「戦争広告代理店」と言う本はご存知でしょうか?
アメリカ🇺🇸のPR会社が、火のないところに煙を立てて
大勢を罠にハメて、戦争を煽って戦争を意図的に作り上げていくお話です。
「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が
売国奴と罵られた世の中🎌を私は経験してきた」と、
全く同じような構造の現在の右傾化した日本社会🇯🇵やネトウヨは、
実は「巧妙な仕掛けで意図的に計画的に作り出されたもの」なのです。
どのような「巧妙で恐ろしい仕掛け」があるのか?
一緒に探っていきましょう。

売国奴と罵られた世の中🎌を私は経験してきた」

この「🧠市民の脳を狙う"見えない認知戦争"シリーズ」は、ドイツ🇩🇪のレーゲンスブルク大学心理学研究所の研究員で、ソフトパワー、プロパガンダ、認知戦を専門に研究されているヨナス・テーゲル博士🇩🇪の技術解説書「📕認知戦争: NATOの兵器としての最新の操作技術」をベースにトマトバイブル🍅がピックアップ解説するものです。
ドイツ語🇩🇪での表記は「ヨナス・テーゲル博士(ドイツ語🇩🇪:Von Jonas Tögel)」「認知戦争(ドイツ語🇩🇪:Kognitive Kriegsführung)」となっており、英語では「認知戦争(英語🇺🇸:Cognitive warfare)」と表されます。原著の目次に沿って引用元を表しておくので、興味がある人は、ページ最後の著書紹介にあるドイツ語🇩🇪の原著をご覧ください。
出典
この章の原著🇩🇪📕の引用元は「II Die Kognitive Kriegsführung als Kriegspropaganda (II.戦争プロパガンダとしての認知戦)」の「2. Die Geschichte der Kriegspropaganda(2.戦争プロパガンダの歴史)」です。
第5章 WW2までの戦争プロパガンダの歴史②「プロパガンダの源流と発展」
第5章1節 プロパガンダの源流は悪人を善人に仕立てること
現代におけるプロパガンダの発展は、科学的な心理学的調査の結果がPR専門家やジャーナリストに取り入れられ、特定の目的のために使われ始めたことに始まります。
その初期の重要な歴史的例としては、アメリカの炭鉱労働者ストライキで起きた「ルドロー虐殺事件」、そして第一次世界大戦中に設立されたアメリカのプロパガンダ組織である「パブリック・インフォメーション委員会」が挙げられます。「パブリック・インフォメーション(公共情報)」とは、現在の政府広報のようなものだと思われます。
ベンジャミン・フランクリンの言葉にあるように、「真実の半分は、しばしば大きな嘘である」という原則が、こうしたプロパガンダの根底には存在しています。

第5章2節 悪人のイメチェン①「ロックフェラーの失墜とルドロー虐殺」
現代のプロパガンダが最初に用いられた分野の一つは、今日でいうところの「認知管理(イメチェン)」です。興味深いことに、その最初の実践例は「戦争プロパガンダではなく」、アメリカの炭鉱労働者ストライキにおいて、「ソフトパワー」の専門的なツールがどのように使用されたかを示すものだったのです。
【兵庫県知事選でも使われた「悪人を善人に仕立てるキャンペーン」】
兵庫県の維新の斎藤知事が、パワハラ疑惑で数々の悪事を追及され、一旦辞職したものの、再選挙で「実は善人だった」「悪評は罠に嵌められた」と言う虚偽のデマが流布されて、再選してしまった事例がありました。
そして「悪人を善人に仕立てるキャンペーン」成功の陰には、折田楓氏が社長を務める「メルチュ(merchu)」と言う「PR会社」の存在がありました。
その辺のことも思い出しながら「プロパガンダの源流」の事件をご覧ください。


当時のPR専門家たちは、アメリカの産業王ジョン・D・ロックフェラー・ジュニアの評判を改善するという大きな課題に直面していました。彼のような大富豪たちは、労働者階級の搾取、苦難、苦痛と結びつけられ、「強盗男爵」とまで呼ばれるほど、世間からの評判は芳しくありませんでした。社会学者のデビッド・ミラー氏は、「これらの企業のトップは、社会の他の人々を犠牲にして私腹を肥やしていると非難された」と説明しています。

特に、1913年から1914年にかけての炭鉱労働者のストライキは、彼らに対する人々の認識を決定づける出来事でした。過酷で危険な労働条件と低賃金に苦しむ労働者たちは、1913年に労働者の死亡をきっかけに、ロックフェラーの「コロラド燃料鉄鋼会社」で11,000人以上がストライキを決行しました。彼らはテント村を設置し、ロックフェラーが雇った州兵や軍隊が銃を突きつけて強制しようとしても、頑として労働を拒否し続けました。アメリカの歴史家ハワード・ジン氏によれば、これは「この国の歴史上、労働者と大企業との間で起きた最も苦しく残酷な闘争の一つ」と言われるほどだったのです。

この闘争は、1914年4月20日に悲劇的な結末を迎えました。兵士たちがストライキ参加者のテント村に発砲し、火を放ったのです。翌日には11人の子供と2人の女性の遺体が発見され、この事件は「ルドローの虐殺」として全国に衝撃と暴動を引き起こしました。

この事件により、労働者の懸念やニーズに対するロックフェラー・ジュニアの無関心な態度への批判がますます高まり、彼は調査委員会の審問に応じざるを得なくなりました。ルドロー虐殺事件について著述した歴史家ギテルマン氏は、「ロックフェラー家の名声がこれほどまでに落ちたことはかつてなかった」と述べています。
議会で暴力行為について弁明を求められた際、ロックフェラー・ジュニアは「一切同情を示さず、弾圧を正当化」しました。議長から「財産をすべて失い、(州兵による機関銃掃射で)従業員全員が殺されることになっても、組合結成を阻止するのか?」と問われると、彼は「素晴らしい原則だ」と答えました。虐殺事件後も、ロックフェラーは「非難されるべきは自分ではなく労働者たちであると確信し、州兵による機関銃掃射を正当化」していました。この冷淡な態度は、100年前だけでなく現代にも共通する強力な影響力を持つ人物たちの姿と重なることを示唆していると思います。
兵庫県のケースでも斎藤知事や片山元副知事などがパワハラを公益通報した県民局長を自殺に追い込んだことを追及されて「クーデターだ」「間違っていなかった」と正当化し続ける姿とも重なります。


第5章3節 悪人のイメチェン②「代償を払う価値がある」オルブライトの例
ロックフェラー・ジュニアの冷酷な発言に匹敵する例として、1996年のマデリン・オルブライト米国務長官のケースを挙げたいと思います。これは、現代においても政府関係者が時に共感に乏しい行動をとることを示しています。
アメリカが1991年の「砂漠の嵐作戦」後にイラクを侵攻し、広範囲にわたる制裁を課した際、イラク国内では甚大な苦難が生じました。2001年のFAZの報道によれば、「湾岸戦争の終結以来、医薬品や食糧の不足により数千人が死亡した」と言われています。
1996年のテレビインタビューで、司会者がオルブライト氏にこの制裁について尋ねました。司会者は、「50万人の子供たちが死亡したと聞いている。つまり、広島で亡くなった子供たちの数よりも多い。そして、まあ…その代償に見合うものだろうか?」と問いかけました。
オルブライト氏の返答は次のようなものでした。「非常に難しい選択だとは思うが、その代償は払う価値があると考えている」。この発言は、ジョン・D・ロックフェラー・ジュニアのルドロー虐殺に関する発言と同様に、大きな怒りを買いました。

第5章4節 悪人のイメチェン③「”事実に働きかける”手法」
ジョン・D・ロックフェラー・ジュニアの評判は「ルドロー虐殺事件」によって著しく傷ついたため、彼は評判回復のためにPR専門家のアイビー・リーと、後にカナダ首相となる政治家マッケンジー・キングを雇いました。


アイビー・リーは、「人々がロックフェラーの名前を不正や労働者抑圧と感情的に結びつけて考えていることに気づき」ました。そこで、人々の感情を落ち着かせるために、彼は「ロックフェラーの別の側面をアピールする」ことにしました。それは、「人々の感情ではなく、考えに働きかけて落ち着かせるという手法」です。
リーは複数のプレスリリースを作成し、それらはしばしばそのまま新聞に掲載されました。これは彼自身が開発した戦略であり、現在でも利用されています。メッセージの中で、リーはコロラド州での出来事を「産業の自由をめぐる戦い」と表現し、このことについて「事実」に基づいた情報を提供したいと述べました。
このように、重要な出来事に関する「ファクトチェック」を公表するという考え方は、実は新しいものではありません。アイビー・リーが提示した「ファクト」の狙いは、ロックフェラーが公正に行動していると人々に納得させ、ストライキ中の鉱山労働者ではなくロックフェラーを支持するように仕向けることでした。この結論は人々が自ら導き出すべきものだと彼らは考えたのです。
リーによる「ファクトチェック」の巧妙な点は、事実そのものはすべて正しく、彼が嘘を言わなかったことにあります。しかし、彼は多くのことを省略し、クライアントにとって都合の良い情報だけを伝えました。アイビー・リーの伝記作家は、「メッセージのほとんどは表面上は正しいことを含んでいたが、事実を提示する方法が間違っていたため、全体像が間違っていた」と説明しています。この原則は、今日でも人間の心理に当てはまります。人々は、情報の内容が真実か虚偽か、あるいはその全体像が真実か虚偽かに関わらず、その情報に影響を受ける可能性があるのです。
ロックフェラーの「印象を良くするような情報だけが公表されるように」、彼は自身の「利益に敵対する報告書の出版を阻止しよう」としました。
事実に働きかけると言っても
・都合の良い情報→公開宣伝する
・不都合な事実→隠蔽や妨害しようとする
と、意図的に情報を操作しようとしていることに注意が必要です。
第5章5節 悪人のイメチェン④「イメージロンダリングと慈善事業の活用」
人々の感情を落ち着かせることに加え、PR戦略は「ロックフェラーを強欲な大富豪と見なす人々の心の中の関連性を断ち切る必要」がありました。そのために、「彼の名前は寄付や善行と結びつけられるように」なり、今日ウィキペディアに記載されているような「慈善家」として見られるようになったのです。ロックフェラー自身は、ルドロー虐殺は決して起こらなかったと信じていたと覚書に記していますが、それ以降、彼は炭鉱労働者を繰り返し訪問し、彼らを味方につけようと試みました。「我々は皆、ある意味ではパートナーである。資本は君たちを必要としているし、君たちもそうである」と、彼は労働者に語りかけました。
「ロックフェラーの強欲資本家」というイメージを払拭し、「ロックフェラーの慈善家」というイメージを人々の心に定着させるもう一つの重要な方法は、ロックフェラー家財団の活用でした。この財団は1913年にロックフェラー・ジュニアとその父親らによって設立されました。父親のジョン・D・ロックフェラーは当時世界一の富豪であり、石油会社「スタンダード・オイル」の石油帝国をさらに拡大するために土地を違法に取得したと非難されていたため、この財団を設立したのです。この一族の財団は、財団の言葉通り、「世界の全ての人々の幸福」を促進するために、企業のように運営されていました。
ロックフェラー・ジュニアのアドバイザーであったマッケンジー・キングは、自身の弟子が父親と同じように、財団を利用してそのイメージを向上させることができるというアイデアを思いつきました。彼は、「ロックフェラー計画」のもとでロックフェラー財団を再編成し、世間の注目を集めるような形で炭鉱労働者に資金援助を行うよう、大富豪を説得しました。さらに、ルドロー虐殺事件の後、ロックフェラー財団はキングを責任者とする労使関係部門を新設しました。アイビー・リーと同様、キングも「鉱山労働者や一般の人々の目」に映るロックフェラーのイメージをできるだけ良くしようとしました。そのためには、「単に寄付を行うだけでなく、その寄付を好意的に報道するジャーナリストを見つけることも重要」でした。
これは、PRのもう一つの原則である「善行を行い、それを語ろう」の誕生を意味し、現在でも適用されている手法です。ただし、ロックフェラー財団が常に慈善事業を行ってきたわけではないという最近の例も存在します。例えば、2019年には財団が、1940年代にアメリカとグアテマラで「ペニシリンの効果を調べる」という名目で、故意に梅毒を感染させたとして、アメリカの裁判所で他の企業とともに訴えられました。

両論併記や公平な主張に見せかけて、
「大虐殺を実行したナチスだが、一方で良いこともした」
と主張するネトウヨが増殖して、
見るに見兼ねて、田野大輔教授と小野寺拓也教授が出版された
「検証 ナチスは"良いこと"もしたのか?」
の本でも顕著なように、ネトウヨが巧みにPRの原則の1つである「善行を行い、それを語ろう」を実践していることがよくわかります。
恐らく、ナチス🇩🇪の手口を利用するように麻生辺りから指示が出ており、それをネトウヨが忠実に実行しているのだと思われます。
特に身近な例では、優秀であるから、実力ある人だから、と性加害やパワハラなどを免罪して犯罪や悪事を隠蔽しようとする場合にもよく使われていることもわかります。

第5章6節 公約破棄して戦争を煽る委員会①クリール委員会の設立
現代のプロパガンダ使用の第二の重要な例は、第一次世界大戦中の「クリール委員会」の活動です。この委員会は、1917年にウッドロウ・ウィルソン大統領の下で設立されました。ウィルソン大統領は、1912年にコロラド・フュエル・アンド・アイアン社の炭鉱労働者ストライキとほぼ同時にアメリカ大統領に選出されています。ルドロー虐殺事件はそのすぐ後に発生し、その数ヶ月後には第一次世界大戦が勃発しました。

当時、「アメリカ国民は戦争を望んでおらず、ウィルソン大統領が戦争回避を約束したため、彼は非常に人気」がありました。そのため、彼は1916年に「彼は我々を戦争から遠ざけた」というスローガンを掲げて大統領選に立候補し、再選を果たしました。ドイツ帝国との戦争にいかなる状況でも参戦しないという公約は、選挙キャンペーンでも繰り返し強調されていました。「戦争を良しとしない誇り高い国民というものがある」とウィルソンは断言したのです。
しかし、ウィルソンは平和の約束を守りませんでした。再選からわずか数ヶ月後、アメリカはドイツ帝国に宣戦布告しました。選挙運動中に公約したこととは正反対の、ドイツとの戦争という難しい課題に直面したのです。「この急な方針転換をアメリカ国民に納得させるのは容易ではありませんでした」が、ウィルソン大統領とアドバイザーたちは、「巧みなプロパガンダキャンペーンによって人々の考えを変え、アメリカが参戦することが必要かつ賢明であると国民を説得しようと」しました。
このキャンペーンは、当時の一流の広報専門家たちによって考案されたもので、最新の心理学的調査が活用されました。この目的のために、ウィルソン大統領は1917年にいわゆる「広報委員会」を設立しました。この委員会は、元新聞記者のジョージ・クリールが委員長を務めたため、「クリール委員会」とも呼ばれます。この委員会には、他にも著名な広報専門家が参加していました。

現代にも同様の例があります。戦争を終わらせるとの約束を破り、戦争を始めた人物として、アメリカのバラク・オバマ大統領の名前も挙げられます。オバマ大統領は「私はイラク戦争を責任を持って終結させ、アフガニスタンにおけるアルカイダとタリバンに対する戦いを終わらせる」と公約していました。しかし、オバマ大統領もその公約を守ることはできませんでした。2011年にはアメリカはリビアを、2014年にはシリアを攻撃したのです。興味深いことに、両大統領はノーベル平和賞を受賞しています(ウィルソンは1919年、オバマは2009年)。
第5章7節 公約破棄して戦争を煽る委員会②「参戦を納得させる4分間男」
クリール委員会の主な目的は、「アメリカ国民にアメリカが戦争に参加しなければならないと納得させること」でした。彼らはこの戦争を「すべての戦争を終わらせるための戦争」であり、ウィルソンが演説で宣言したように、世界を「民主主義にとって安全な」場所にするためだと主張しました。
選挙後、ウィルソンが選挙前に公約したこととは正反対のことを行ったため、歴史家のクリストファー・シンプソン氏によると、クリール委員会の任務は「心理戦を展開する」ことになったのです。ハロルド・ラスウェル氏は後に、クリール委員会の活動を「秘密宣伝大臣」の活動と比較しました。

クリール委員会の活動は、当時知られていた心理学を大いに活用し、また集団心理の考え方も基盤としていました。したがって、当初は、一部の政治家だけでなく、国民の大多数が戦争を望んでいるとアメリカ国民を説得することが重要でした。
政府は、「この任務に7万5000人もの職員を充てました」。
彼らは全米5000の市や町で、「4分間の短いスピーチを自然に、しかし、戦争が重要かつ正当なものであると訴えました」。そのため、彼らは「4分間男」とも呼ばれ、75万回に及ぶスピーチを劇場や映画館、公共のイベントなどで開催し、戦争に懐疑的なアメリカ国民を説得しようとしました。

【ネトウヨは現代の4分間男?】
現在も福島の原発や中国脅威論🇨🇳や台湾有事🇹🇼や万博など「風評被害対策費」「万博機運醸成費」などの様々な名目でネトウヨの世論工作代が払われていると思われます。
恐らく電通のような企業やコンサル企業に雇われた「4分間男」の現代版がネトウヨなのでしょう。


【残虐性プロパガンダ】
別の戦略として、行動主義や精神分析からの洞察を利用することも行われました。それは、人々の最も深い感情に訴えかけ、ドイツ兵が危険であるとするメッセージを絶え間なく繰り返す手法で、「残虐性プロパガンダ」とも呼ばれます。ベルギーで赤ちゃんを殺す悪のフン族である、といったポスターが印刷され、新聞報道もされました。
これは「真実ではありませんでしたが、人々の感情には関係のないこと」でした。すなわち、憎悪と同情を呼び起こすという大衆プロパガンダの目的は成功し、人々の考えは徐々に変化し始めたのです。ノーム・チョムスキー氏は、「平和を愛する人々が突如として反ドイツ狂信者となった」と説明しています。この成功の理由は、ヨーロッパ諸国のすでに激しいプロパガンダを上回る大規模な心理戦にあったと言えるでしょう。
【参政党の農家貶しは残虐性プロパガンダ?】
参政党が
「農薬や化学肥料を不健康になる、がんになる、土が死ぬ原因などとして全否定」したり「ビッグファーマによる政策や消費者の好みに合わせた結果、現在の農業従事者の多くが、人体に有害な食材を生産している状態です。農家が出荷用と自分たちが食べる分の野菜を分けているという例は珍しくありません」
などと、農薬を使う慣行農家(法律で認められた農薬・肥料を基準の範囲内で使う一般的な方法で栽培を行う農家)を『自分が作った農産物が人体に有害で危険だと承知の上で販売する確信犯』と貶めて「農薬デマ」をバラ撒くのも「残虐性プロパガンダ」の一種とも言えるでしょう。
しかし、真実性を気にしない聞いた人は、「強く感情に訴えられて」慣行農家に対して憎悪を呼び起こすと言う点でも悪質な手口だと言えます。
第5章8節 公約破棄して戦争煽る委員会③「偏向報道の開始と”スパイ防止法”による密告奨励」
1917年4月6日にウィルソン大統領がアメリカの第一次世界大戦参戦を発表した際、彼は「自由を守り、民主主義を保護しなければならない」という主張を正当化の理由としました。しかし、第一次世界大戦では、合計で約1600万人が死亡する想像を絶する事態となりました。
アメリカの新聞は参戦を支持し、参戦への批判を一切掲載しませんでした。このことも人々に影響を与え、戦争に広範な支持があるという印象を与えましたが、これは確実なこととは言えず、戦争に反対する人々も数多くいました。「今、批判してはならない」とニューヨーク・タイムズは1917年に元陸軍長官が語ったと報じ、さらに「批判者は反逆罪で銃殺されるのが一番だ」と付け加えました。
しかし、これはすべてのアメリカ人を納得させることはできず、ウィルソンが語ったヨーロッパの「自由」を「守りたい」と考える若者たちが徴兵に抵抗する事件が繰り返し起こりました。そのため、プロパガンダ・キャンペーンには、恐怖と緊張という別の手段が伴っていました。
1917年夏には、この目的のために「アメリカ防衛協会🕵️♂️」が設立され、司法省はアメリカ防衛連盟に資金援助を行い、「戦争批判者を密告するよう国民に呼びかけ」ました。これらの組織は、「自ら暴力行為に及んだことや、戦争批判者を残忍に威嚇したことでも非難」されています。クリール委員会もまた、国民に対して「悲観的な話を広める人々を通報せよ。司法省に通報せよ」と呼びかけました。
さらに、1917年にはいわゆる「スパイ防止法」が可決されましたが、これは「スパイ行為を目的としたものではありません」でした。歴史家のハワード・ジン氏は、「スパイ防止法は、戦争に反対する意見を述べたアメリカ人を投獄するために利用された」と説明しています。

アメリカのプロパガンダはヨーロッパにも影響を与えました。1919年1月、ウィルソンがパリに到着し、ベルサイユ会議に出席した際には、市民から熱狂的な歓迎を受けました。彼にはプロパガンダの専門家であるエドワード・バーネイズとウォルター・リップマンが同行しており、彼ら自身も自分たちのプロパガンダが大成功を収めたことに驚いたと述べています。
【日本のスパイ防止法(治安維持法)も反戦主義者や平和主義者を弾圧した】
大日本帝国🎌では「治安維持法」が、アメリカ🇺🇸では「スパイ防止法」が制定され、「スパイ防止法は、戦争に反対する意見を述べたアメリカ人を投獄するために利用」されるなどナチス🇩🇪のヘルマン・ゲーリングが言うように「平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張して弾圧」して、戦争を煽るために悪用されるものであることにも注意が必要です。






第5章9節 第一次世界大戦後のプロパガンダと認知戦の拡大
クリール委員会の活動は1919年に終了しましたが、現代のプロパガンダはまだ始まったばかりでした。精神分析、古典的条件付けやオペラント条件付けなどの行動主義、集団心理の概念といった基礎に加え、プロパガンダの基盤は徐々に拡大してきた数多くのテクニックによって構成され、それらは今日、「認知戦としてまとめられて」います。
エドワード・バーネイズは、第一次世界大戦が、今日まで続く操作技術の絶え間ない発展の始まりに過ぎなかったと明確に強調しました。彼自身、ヴェルサイユ会議中のパリの民衆の反応に深く感銘を受け、群衆の歓声を、彼とクリール委員会の同僚たちが実施したプロパガンダの成功の賜物と捉えたのです。このプロパガンダの「成功」が、彼に社会の多くの分野でプロパガンダを適用するインセンティブを与え、大衆心理、行動主義、精神分析の洞察に頼るようになりました。
「戦争中に10万人以上のアメリカ人が死亡しましたが、アメリカ参戦はバーネイズにとって大成功だった」とされています。
エドワード・バーネイズの言葉によれば
「戦時中のプロパガンダの驚異的な成功により、先見の明のある人々は、生活のあらゆる分野における大衆の意見を操作できる可能性に目を開かされた。戦争中、アメリカ政府とさまざまな愛国団体は、国民の支持を得るためにまったく新しいアプローチを採用した。彼らは、あらゆるチャンネルを通じて視覚、グラフィック、聴覚的に個人に働きかけ、国民の支持を獲得しようとした」
さらに
「あらゆる社会集団の主要人物の支持も確保した。つまり、数百人、数千、あるいは数十万人に影響力を持つ人々の支持である。世論操作者は『大衆の決まり文句や行動パターンも利用した』」
と彼は述べています。
第5章10節 民間プロパガンダ「広告」の誕生と消費社会の操作
第一次世界大戦後、エドワード・バーネイズ、アイビー・リー、その他多くのPR専門家たちが、プロパガンダの開発を主導しました。
バーネイズは、
「世界で何が起こっているのかを理解し、思想が持つ強力な武器の可能性を認識したとき、私は、戦時中に学んだことを平時に応用できないかと考えた」
と後に語っています。
その結果、この時期には民間プロパガンダの使用が著しく増加しました。例えば、自動車やタバコなどの消費財のマーケティングに力が入れられるようになりました。当時、産業界は人々が本当に必要な量以上の消費をするのではないかと懸念していました。そのため、実用性に基づかない別の販売戦略を選択する必要があったのです。
ウォール街の有力銀行家ポール・マザーは、「我々はアメリカを『必要』社会から『欲しい』社会へと変えなければならない」と述べました。BBCのドキュメンタリー番組では、バーネイズが「フロイトの人間に関する理論を大衆操作に初めて利用した人物」であるとまとめています。彼は、「大量生産された製品を人々の無意識の欲求と結びつけることで、必要のないものを人々に欲しがらせる方法を初めてアメリカ企業に示した」とされています。
「戦争プロパガンダの手法」を平和な時代の企業活動に転用したものが「広告」と言うものだと言うことがわかります。そして、「広告」によって「大量生産して、大衆に必要のないもの欲しがらせること」で誕生したのが、「アメリカの大量消費社会」と言うことです。
つまり、実は連続的に繋がっていた訳です。
例えば、自動車を「エロティック」に演出し、魅力的な対象として見せることで、バーネイズの叔父であるジークムント・フロイトの精神分析からヒントを得た戦略がとられました。自動車に関する情報(エンジンパワー、技術的詳細など)ではなく、自動車のイメージと、そのステータスシンボルとしての重要性に焦点が当てられ、それらは意図的に作り上げられました。
別の有名なキャンペーンでは、女性にとってタバコが男性器の象徴であり、男性らしさや支配性と結びついていることが心理分析によって判明しました。より多くの女性にタバコを吸ってもらうために、バーネイズは、有名な女性参政権運動家を含む女性グループを説得し、マンハッタンの有名なイースターサンデーのパレードで「女性への抑圧に対する反抗の象徴」としてタバコを吸わせたのです。同時に、バーネイズは多数のジャーナリストに連絡し、女性たちの写真を撮影させることで、翌日の見出しを確保しました。
この有名なキャンペーンでは、タバコは「自由の炎」と呼ばれました。これはバーネイズが予測したとおり、当時の女性たちの心に響き、解放されたいと願う女性たちが次々とタバコを吸い始めるという大成功を収めました。
このような宣伝戦略を考える際に、私は氷山に例えるのが役立つと思います。認知戦における宣伝戦略は、現在も当時も、しばしば人々の表面下にある深い潜在意識に訴えることを基盤としているからです。今日に至るまで、こうした心理分析や行動主義のテクニックはプロパガンダ目的で使用され、広告やマーケティングなど、社会のさまざまな分野で応用されています。


第5章11節 大衆心理の操作とソフトパワーの広がり
大衆心理の概念もまた、ウォルター・リップマンをはじめとする一流の知識人たちによってさらに発展させられ、今日においても独自の形で依然として関連性があります。リップマンは、「民主主義国家においても人々を(ソフトパワーによって)導く必要があると主張し、さもなければ大衆は非合理的に衝動的に行動する」と論じました。

「民衆を適所に配置しなければならない。そうすれば、我々一人ひとりが、混乱した大衆の踏みつけや怒号から解放されて暮らせるだろう」と、リップマンは1925年に述べています。これは、民衆の無意識の感情をコントロールする心理学的テクニックを用いて行われました。
集団心理は現在では時代遅れと見なされていますが、人々を導く必要があるという非合理的な大衆という考え方は、ソフトパワーに関する現在の研究でも繰り返し登場しています。つまり、応用分野が重複しており、思考や感情をコントロールするソフトパワーの手法は、現在、公共生活のますます多くの分野で重要な役割を果たしているのです。
「人々を導く必要があるという非合理的な大衆」という考え方は、公安やCIA🇺🇸と言った諜報機関🕵️♂️や警察や軍隊に根強い考え方で、思い通りにならない市民や国民を、武力で弾圧することの正当性などに繋がっています。
第5章12節 言語の重要性:「プロパガンダ」が嫌われる理由と「広報」の誕生
言語が持つ力と、それによってどのような「パッケージ」が提供されるかを示す良い例が、「パブリック・リレーションズ(広報)」という言葉の発明です。この用語は、第一次世界大戦後の時代に誕生し、今日でも「プロパガンダの代替語」として使用されています。英国のプロパガンダ研究家であるデイヴィッド・ミラー氏とウィリアム・ディナン氏は、「この用語自体が策略に他ならない」と主張しています。
彼らは、「パブリック・リレーションズ(広報)」という用語が作られて以来、「PRとプロパガンダは別物であり、PRは『私たち』が使用し、『プロパガンダ』は主に●●反対派によって使用されるという認識がある」ことを指摘しています。
ミラー氏らは、ソフトパワー技術の操作的な使用について語る際には、「広報とプロパガンダを区別しないことを提唱」しています。これは、言葉が持つ力と、私たちの思考や感情が言葉とどれほど強く結びついているかを表す一例に過ぎません。
エドワード・バーネイズ自身もこれを認めています。
彼は
「プロパガンダという言葉が悪い意味の言葉になったのは、ドイツ🇩🇪が1914年から1918年の間、その言葉を使ったからだ。だから私は、別の言葉を見つけようとした。そして見つけたのが『広報アドバイス』という言葉だ」
と語っています。
しかし、広報とプロパガンダは実際には非常に似通っています。
例えば、政治学者マグヌス・セバスチャン・クッツ氏は、広報とプロパガンダを「ほぼ一致するコミュニケーション技術」と表現しています。正直に言えば、ソフトパワーの手法の利用について語る際には、プロパガンダという言葉も使うべきであると考えています。
【原爆ドームの写真もピースウォッシュ?】
因みに、自己PRやPR会社のPRは「パブリック・リレーション」の略です。
・プロパガンダは戦争だから悪、
・広報(PR)は平和な企業活動だから善
みたいなイメージロンダリングのプロパガンダであることは明白です。
実際に、「戦争広告代理店」のような「戦争を煽ることで儲けるPR会社」も実在しているため、詭弁にすぎないことがわかります。
また、兵庫県のPR会社が問題になった際に、原爆ドームではしゃぐ写真があり、
観光PRとして相応しくないと指摘される件もありましたが、
PR会社が戦争の負のイメージを払拭するために「ピースウォッシュ」
しているのであれば問題だと言えます。
※ピースウォッシュとは、戦争や人権侵害といった加害の歴史を直視することなく、イメージとしての「平和」や「祈り」「歌」によって、自らの立場を正当化したり、批判を回避しようとする態度である。企業が「環境にやさしい」と装いながら実際には環境破壊を続けるグリーンウォッシュと同様に、表層的な「善意」が真の責任を覆い隠す構造を持っている。


第5章13節 「陰謀論」というレッテル貼りの戦略
今日でも、PRをプロパガンダと呼び、西洋の民主主義国もプロパガンダを使用していると指摘することは難しいのが現状です。この欺瞞には、数十年にもわたる長い伝統があります。
言葉がいかに重要であるか、そして言葉によってどのような「パッケージ」が提供されるかを示すもう一つの例は、「陰謀論者」または「陰謀論」という用語です。
この言葉自体は中世から使われていましたが、ケネディ暗殺に関する公式見解への批判を「共産主義の宣伝家による陰謀論」と「陰謀論者による陰謀論」と名付けることをCIA🇺🇸が初めて提案したのは1967年のことでした。
そのため、CIA🇺🇸は不人気な「プロパガンダ」という用語を「陰謀論」という用語と結びつけ、「ケネディ暗殺の公式見解に疑いを抱く人々を貶めるためにこれらの言葉を使用」しました。

今日でも、批判者は依然としてこの用語で貶められています。
例えば、ピアー・ロビンソン氏がウクライナ戦争における一貫性のなさや、CIA🇺🇸のティンバー・サイカモア作戦(CIA🇺🇸がシリアのアサド政権の反対派を支援した作戦)を指摘した際にも、彼は英紙タイムズから「利用価値のある愚か者」と呼ばれ、ハフィントン・ポストからは「陰謀論を広めていると非難された」のです。彼はこれに公然と異議を唱えましたが、「陰謀論」という言葉の使用は、期待通りの効果をもたらし、ロビンソン氏は実際に彼の主張に対処されることなく、「信用を失う」こととなりました。
ロビンソン氏は2018年のインタビューで、「人々を『陰謀論者』と呼ぶのは、ごく一般的な戦術である。(中略)これらは、人々を公に辱め、質問をさせないよう矯正しようとする手段である」と不満を述べています。
ケネディ暗殺の場合と同様に、この戦術は今日でも認知戦において有効であり、多くの人が気づかないうちに、事実に基づく議論が中傷的な言葉にすり替えられる可能性があるのです。このような戦略は、プロパガンダの意味をめぐる議論においても用いられます。プロパガンダという言葉を使う者は、たちまちいわゆる「陰謀論者」として批判の的となることもあります。例えば、私自身がNATOの認知戦を戦争プロパガンダと呼んだことで攻撃を受ける可能性も十分にあります。いずれにしても、これらの二つの例は、ソフトパワーのもう一つの重要な要素、すなわち言語の持つ大きな重要性を示しています。
権力者や権威ある者が「陰謀論」と言うことで、「真相究明を求める人を公に辱めて信用を失墜させ、そ以上犯罪や悪事を追及させないようにする」ために使っていることは知っておくと、誰が嘘つきであるか?を見抜く際に役立つでしょう。嘘つきでない人は、公明正大にオープンに事実を明らかにする傾向が高いからです。
第5章14節 第二次世界大戦におけるプロパガンダの増幅
戦争プロパガンダは、第一次世界大戦後も止まることなく発展し、第二次世界大戦の前後にも再び大規模に使用されました。ドイツ🇩🇪はアメリカ🇺🇸に支援を求め、1934年にはアイビー・リーやカール・ディッキーといったPR専門家がドイツ🇩🇪からの申し出に応じたという事実もあります。
「戦争プロパガンダ」と言えば、ナチス🇩🇪のヒトラーの演説やゲッペルスなどが有名ですが、彼らもその手法はアメリカ🇺🇸から学んだようです。


第二次世界大戦では、推定7,000万人もの死者が出たとされており、想像を絶する苦しみをもたらしました。これらの犯罪は「人々を互いに敵対させる非情な戦争プロパガンダの使用によって可能になったと言える」でしょう。第一次世界大戦で使われたソフトパワーのテクニックはすべて、「ラジオを通じてより集中的に使用され、恐怖と憎悪を煽り立て、暴力の基盤となった」のです。
※(注)ざっくりと大雑把にまとめているため、
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戦争に駆り立てる「戦争広告代理店」と言う恐怖
高木徹氏の「戦争広告代理店」の本📕の内容紹介です。
ぜひ、「いくら騙す者がいても誰1人騙される者がなかったとしたら今度のような戦争は成り立たなかったに違いない」と言う伊丹万作の言葉に再度触れてみてください。
伊丹万作「騙されることの責任」
もちろん、「騙す方が100%悪い」のは紛れもない事実である。
その上で更に「騙されることの責任」を考えよう。

もう一つ別の見方から考えると、いくら騙す者がいても誰1人騙される者がなかったとしたら今度のような戦争は成り立たなかったに違いないのである。
つまり、騙す者だけでは戦争は起らない。騙す者と騙される者とがそろわなければ戦争は起らない。一度騙されたら、二度と騙されまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。騙されたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘違いしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
伊丹万作「戦争責任者の問題」より
