【ドキュメンタリー】「ゲバルトの杜〜彼は早稲田で死んだ〜」
Amazonプライムで公開となった、2024(令和6)年の、代島治彦監督のドキュメンタリー「ゲバルトの杜〜彼は早稲田で死んだ〜」を鑑賞。
革マルによる「川口大三郎氏リンチ殺害事件」を証言によって振り返るのだが、鴻上尚史氏演出によるリンチを表した短編劇が入る。
「大義名分が与えられると、他人に対して容赦なく暴力を振るうことができる人間がこんなにたくさんいたことに驚いた」というが、そんなのは人間として当たり前のことで、ナチスをはじめ、世界中にそういう例はあって、そういうものだから、人間は古代から戦争を続けて来たのだよ。
いつもながら、党派の暴力に対して中途半端にヒューマニズムをもって総括しようとするから破綻するのだ。「殺すつもりはなかった」とは誰しも言えることであり、このまま続ければ死ぬということもわからなくなってる、イデオロギーに支配された狂気の自分こそ問題にすべきなのだ。
自分が生きた時代、特に青春時代を否定はしたくないだろうとは思うが、リンチ殺害事件を総括するには遅過ぎたと思う。昔を懐かしむと共に、劇を演じることで現世代に当時の様子と雰囲気を伝えるという意図があったとしても、時代特有の熱病みたいなものだと思うし、現世代にとってそれが果たしてどんな意味があるのだろうか。
共産カルト・革マルが、どんなにムダな非人間的イデオロギーで固めようとも、やったことは結局、妬み嫉みを元にした人間的負の感情を爆発させた結果に過ぎないのだ。逆に、普段からイデオロギーで人間性を押さえ付けているからこそ、こういう結果になったのだろう。
革命的暴力などと定義してる時点で、暴力に対する後ろめたい小市民的ないやらしさを感じるものの、党派革マルの、角材ではなく鉄パイプによる確実に頭を狙うという内ゲバは、連赤の総括を超えるような冷酷な殺人集団としての統率及び訓練された行動が予想できる。そこが一番興味深かった。
昔、立花隆の良書「中核vs革マル」を興味深く読んだが、これは革マルの内ゲバによる一つの殺しの美学であり、カルトのカルトたる所以だ。
大友良英氏のギターノイズだけが気持ち良し。



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脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。