返せない恩は、つなぎます〜火事と出産、薔薇の花束〜
長男を出産した直後、まだ名前も決まっていないときに、大変お世話になっている方から、白い薔薇の花束をいただきました。
それがあまりに嬉しかったので、いつか恩返ししたいな、と思い続けていました。そして19年経ってようやく、大変な思いをして3人目の赤ちゃんを出産したある友人に、薔薇の花束を贈ろうと思いつきました。
恩返しはなかなかできないので、恩つなぎをしよう、と思ったのです。勝手に送りつけて、迷惑かもしれないのですが...。
薔薇の花束を受け取る彼女を空想しながら、自分がそれをいただいた時のことや、その前後のことを色々と思い出したので、書いてみたいと思います。
2001年10月11日
長女が2歳の頃、火事に遭いました。留守中の昼間に出火したのです。
当時、神奈川の県央地域に、1軒家を借りて住んでいました。火事の数ヶ月前に、行き場がなくなった超大型犬のグレートピレニーズを引き取って、飼い始めたところでした。
その日は、犬を連れて、長女と主人と私とで、ドライブがてら湧き水を汲みに出かけていました。
帰り道の途中、義父から電話で「お前ん家、火事だぞ」と。
義父はその頃、義母とともに鹿児島で隠居生活を送っていました。送電線工事の会社を営んでいた義父は仕事柄、この地域に知り合いや仲間も多く、近所で親しくしていた方から連絡があったとのことでした。
とはいえ、急に自分の家が火事だと言われても、なかなか信じられるものではありません。半信半疑のまま、家の近くの踏切まで来たら、その先は通行止めになっていました。
「ここから先は入れないんで、迂回してもらえますか?」と消防の方がおっしゃいました。「いや、その火事の家の者です」ということで、通していただいたことを覚えています。
「今夜から、住む家はありますか?」と消防の方から聞かれました。家は2階が全焼、1階は消火のためにびしょ濡れになっていて、住めない状態だとのことでした。
頭が真っ白でした。
どうしよう...。と途方に暮れていると、現場を見にきていた義父の知人のEさんが「ウチに来な」と言ってくれました。
その頃猫を飼っていて、ベランダの窓を猫出入り口として少し開けていたのですが、猫たちはそこから逃げて無事でした。私たちが消防の方と打ち合わせしていると、ニャーニャー言いながら帰ってきました。
その日から1週間ほど、私たち家族3人と犬1匹と猫2匹は、Eさん宅にお世話になることになりました。
早かった日赤の支援
呆然としている間に、日赤の方が駆けつけてくれました。そして、毛布、歯ブラシ、など、すぐに使えるものを人数分持ってきてくれました。(毛布はいまだに大切に使っています)
募金などでしか知らない日赤さん、こんな風に助けてくれるんだ、と初めてわかりました。ありがたかったです。
火事の原因
翌日も、科捜研の方がいらして、1日中火事の原因を調査していました。火元は、2階の寝室の漏電とわかりました。しかし、そこから出火するには、非現実的な事実ーー電球の上に布団が20組以上乗っかるなどーーがないとあり得ない、とのことで、原因不明とされました。
たくさんのご支援
周囲は、家が建て込んでいたにもかかわらず、ありがたいことに延焼もなく、怪我人もありませんでした。
ただ、火災保険を失効していたのに気がつかず、一切保険が出ませんでした。でも、あっという間に服や食糧、日用品...等々たくさんの支援をいただき、どうにか乗り越えることができました。
緊急避難
どの市町村でも、火事などで急に家がなくなる人のために、市営住宅の一角を常時空けてくれています。私たちも、半年間お世話になりました。家賃は市からの補助が出るので、数千円だったと記憶しています。
4畳半二間での生活はなんだかとても新鮮でした。変な言い方ですが、モノがない、必要最小限というのは、こんなに楽なことなんだな、と感じました。
本来は、ペット禁止なのですが、同じ市営に住んでいた皆さんが庇ってくださって、どうにか一緒に暮らすことができました。犬があまりに大きいので(60キロくらいありました!)、よく声をかけていただき、可愛がっていただきました。
今思えば、あの半年間は本当に楽しかったです。
偶然見つかった鎌倉の家
この緊急避難の市営住宅に住めるのは、半年以内と期間が決まっています。
犬や猫がいると、引っ越し先はなかなか見つからないものです。ましてや、ピレニーズは...。「犬ok」のマンションでもNGでした。家探しは難航し、ついに後1週間で期限が切れるところまで迫ってしまいました。
打つ手がなくなった私は「犬がいるから引っ越せないのなら、犬を紹介した人に相談して、誰か別の人に飼ってもらったらいいのでは」と思いつきました。
このグレートピレニーズは、飼い主が亡くなって行き場がなくなった挙句、うちに来た子でした。年齢も7歳と比較的高齢で、フィラリアの持病があったんです。
紹介者は主人が動物好きなのを知っていて、きっとどうにかしてくれると思ったのでしょう。主人が狭い3Kの貸家に連れてきたときは、サイズが大き過ぎて、どうにも不釣り合いでした。
思い切って紹介者に電話したら、その方曰く「鎌倉でもいいの?」とのこと。意外な反応に驚きましたが、その方の叔母さん夫婦が鎌倉で貸家を持っているというのです。
鎌倉なんて、候補には一度も上がったことはありませんでした。人気のスポットだし、犬猫連れでOKな物件があるとは思ってもみませんでした。
電話の翌朝、早速鎌倉に。目にしたのは、古くて小さな1軒家でした。まさにこれしかない!というピッタリ感(これです↓)。すぐに引っ越しました。

長男の妊娠
火事のドタバタの最中に、長男の妊娠がわかりました。え?今?って感じでしたが、だんだんお腹も大きくなるし、間違い無いな、と。
結局、火事から半年後の4月に鎌倉に引っ越し、その年の8月に無事自宅で生まれました。

とにかく、長男が生まれるまでは火事、引っ越し、出産、と怒涛のような日々でした(その後もですが)。どう過ごしていたか、断片的にしか思い出せません。
それだけに、白い薔薇の花束は、嬉しいとかありがたいはもちろんのこと、今までの負の要素が全て素っ飛んでいくほどインパクトがありました。
おわりに
もともと、音楽を志していた主人は、結婚前に、義父の会社を継がない決心をしていました。そのまま定職のない生活を送っていた2001年の春、非営利でのアートプロデュースの仕事を引き受け、半年後に火事に遭ったのです。
火事の後残ったのは、水汲み用のタンク、フォークギター1本、そして家族だけ。大事なもの、必要最小限のものは残ったという感じで、ある意味象徴的でした。
ただでさえ、そんなギリギリの生活だったのに、火事の後は限界に挑戦させられる日々(笑) お財布の中に500円入っていればいい方でした(苦笑)
まぁ、この辺りの貧乏自慢は、また別の機会にゆっくりと...。
・・・
人生いろいろあるとはよく言いますが、まさか自分が火事に遭うとは思ってもいませんでした。
ただ、あの火事があったから、今があるともいえます。火事場の馬鹿力、とはいいますが、火事の現場・その当時だけでなく、つい最近までずっと火事場の馬鹿力で押し切ってきたような気がします(笑)
ようやく、「恩つなぎ」をできるくらい、少しは落ち着いてきたのかもしれません。19年かかりましたが(苦笑)
これからは、馬鹿力に任せるのではなく、もうちょっと技を使えるようにしたいものです。年も年ですし。
今日、このnoteを書きながら、多くの人から助けていただいたことを改めて噛みしめています。
世の中って、思った以上に温かい。私たちは勝手に生きてるんじゃなくて、たくさんの人たちに生かされてるんだな、と改めて知ることができました。
微力ながら自分にできる恩つなぎを続けていきたいと思います。
長くなりましたが、読んでいただいてありがとうございました。
