見えないインフラのありがたみ。
定期更新すると宣言して、結局できていなかった。毎日文章を書く習慣を再度つくるために、予めルーティンとして時間を確保することもできていなかったので当然だ。
勝手に反省してはいるが、でもあまり気にせずに「そういうときもあるよね」でやっていきたい。
今思い出したちょっとした話がある。
私は4月からの職場の自分のデスクの足元に個人用の小さいゴミ箱を置いている。職場用のゴミ箱はフロアの各所の隅と部屋を出た廊下にあって、毎回捨てに行くのが面倒なので、すぐに捨てられるように手元にも用意しておこうという算段だ。
ゴミが出ると言っても、1日数回鼻をかんだり、噛み終わったガムをくるんで捨てるなりする程度のものなので、中身が溜まるまでにはそれなりに時間がかかるはずだと思った私は、「溜まってから捨てればいいや」と思ってしばらくそのままゴミを放り込み続けていた。
しかし、数週間程度経った先日ふと、そういえばゴミが溜まっていてもおかしくないな、とゴミ箱の中を覗くと、なぜかこれまで捨ててきたはずのゴミがキレイさっぱり無くなっていた。
おかしいな、と思ってその理由を自分なりに探索すると、あることに思い至った。
それは、たまたま夕方の打ち合わせが長引いて夜遅い時間まで職場に残っていたときのことだ。定時で人が少なくなったオフィスの中を、よくあるブルーの掃除グッズカートと共に清掃スタッフが巡回し、オフィス内の各所にあるゴミ箱からゴミを集めてくれていたのだ。
新人風情を気取っていた私は残業する機会がまだ少なくてそのときまで気づかなかったが、おそらく私が不在の夜の時間に、私のデスクの足元にある小さなゴミ箱の存在に気づいて中身を捨ててくれていたのだと思う。
こういう経験をすると、「ありがたいな」と思うと共に、世界はこうして目立たない仕事の数々によって成立しているんだな、と思わされる。
電気やガス、水道や通信のような代表的なインフラのように、無意識のうちに忘れ去られやすいシステムと、それを支えてくれている無数の人々の仕事のおかげで我々の生活は成り立っているのである。
こうしたインフラは、それを支えるための条件が無くなって崩壊したときにはじめて、その甚大な影響が顕在化する。そのような経験がないと人間はインフラに対するありがたみを確認することが難しい生き物かもしれないが、こうした日常の中で見えないインフラを支えてくれいる人々に対する感謝を忘れてはいけないと思うできごとの1つだった。
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