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誰かのために書けないと、プロの作家になるのは厳しい。

私は小説を読むときも書くときも、感覚的なタイプです。

あなたは、どんなタイプでしょうか。
これは利き手みたいなもので、変えるのは難しいようです。

持ち味を殺すよりは、活かしたほうがいいのかもしれません。
ただ、推敲が苦手なのは、感覚的に書いているからなのでしょう。

小説のいろはを教えてくださっている先生は、
本来の小説の技術を教えようとしてくださっていました。

面白い作品が書けるのなら、あとは技術を磨いたほうがいい。

出そうかと考えていた短編の公募も、
ライト寄りではあるものの、文芸的な作品が求められているようです。

このままでは通用しない。
ということで、長らく技術の壁にぶつかっていました。

ただ、私があまりにも落ち込んだり、
筆が進まなくなったりしてしまうので、公募も含めて後回しにすることに。

今は賞を受賞したところで、プロとしてやっていける状態でもないので。

順番通りに学ばなければいけない世界もありますが、
小説に関しては後からでも技術を身につけられるそうです。


まだ映像がなかった頃。
読んだ人は言葉を通して、想像を膨らませていました。

先生によると、本来の小説は言葉をつかったマジックなのだそうです。
その典型的な例として、芥川龍之介の「妙な話」を挙げてくださりました。

こういった文学作品は、多義的で解釈が分かれる。
青空文庫で読めるので、ご興味があればご覧ください。

文学作品として優れていればいるほど、
映像化は難しいと言われていたそうです。

しかし、映像化が進むようになると、話が変わってきます。
読む人の裾野が広がったぶん、求められる物語も変わってくる。

そこで生まれたのが、ライトノベルです。
エンタメに寄れば寄るほど、解釈はほとんど分かれません。

解釈の分かれない一本道のほうが、
頭に浮かんだ映像をそのまま描いたほうが、読者にはわかりやすい。

つまり、コミカライズやアニメ・映画化など、
メディアミックスを前提とした作品が広まったわけです。


私自身、ライトノベル向きなのでしょうね。
自分の頭に浮かんだ映像を、そのまま言葉にします。

自分の頭に浮かんでいるせいで、
描写を省いてしまう癖があって、困っているのですが。

先生の影響もあって、ライトノベルが出た頃の雰囲気はあるようです。
なので、流行しているようなライトノベルとは、違うところもあります。

小説は、自分のために書き始めました。
苦しんでいた自分を癒やすためでしたし、作品にも反映されています。

もちろん、先生のアドバイスをいただきつつ、
読んでくださった方に楽しんでいただくことは意識していました。

自分でも、ストーリー自体は面白いと思っています。

ただ、私が書きたかったことを書き切ったせいで、
燃え尽きてしまっていたのか、今年は筆が進んでいません。

去年、ずっと書き続けられたのは、
それだけ鬱屈していた想いがあったからなのでしょう。


自分のために書く段階は終わった、ということなのかもしれません。

趣味で書くぶんには、好きなように書いたらいい。
でも、プロの作家になりたいのなら、そうも言っていられない。

対価をいただく以上、読んでくださる方のために書く。

どんなお仕事でも、それは共通しているはずです。
買ってくださる方のために、物やサービスを提供する。

マーケットに寄せればいいというわけではないそうですが、
自分のためだけでなく、誰かのために書くという意識が求められます。

さらに、感覚的に読み書きするタイプなのもあって、
希望や癒やしをテーマにしているものの、言語化が下手なんですよね。

先生からするとタイプが違いすぎて、
それで書けるのが不思議なのだそうです。

もっと自分の中にしかないテイストを自覚して、
誰かに届けたい普遍的な軸を掴んでおいた方がいい。

先生は、そうおっしゃいました。
それがわかっていないと、書き続けることは難しいのでしょう。

あなたにしかない創作の軸って、どんなものだと思いますか?

遠野圭人


もし、あなたが希望を感じられなかったり、
誰かの言葉や態度で傷ついたりしたときには、
下記のサイトに、いつでもお立ち寄りください。

私がもがき苦しんでいたときに、
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ご利用ください。よろしくお願いします。

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