聖都巡礼記 vol.09
ガリラヤ行きを諦めた僕は、ナザレ市内散策に切り替えた。
ナザレの街は丘の斜面に広がっている。パレスチナ人ムスリムが大半を占めるが、イスラエル最大のクリスチャン・コミュニティが暮らす「北部領土」だ(中東全体で最大のクリスチャン人口はエジプトの約1000万人)。歩いて見て思うのは、日本の地方都市郊外によく似ていることだ。昨日、プリウスのタクシーで散々街中を周ったが、団地を背にした公園やスーパーマーケット、舗装道路や植え込みの感じまで、多摩地区と言われても違和感がない。現にプリウスが走っている。日本企業が都市開発に関わっているのだろうか?そんなことを思いながら、カフェテリアへ足を運んだ。

「僕はアフマドで、こいつはバースィルだよ」
カウンター内のアラブ人は人懐っこい笑顔で接客してくれた。なぜか日本人はパレスチナで人気だ。日本車の影響もあるのだろうが、外務省の綱渡りのような外交努力の成果でもあるだろう。彼らは政治トピックへの感度が高い。インターネットが普及した今、日本政府や企業の発言は一瞬で地球の反対側に広まる。それは現地に立っている自分と無縁ではない。むしろ、以前は大目に見られたり、すぐに忘れさられたような粗相までもが、「日本の恥」として記憶に焼き付いてしまう。イスラエルやパレスチナのような過酷な土地なら尚更だ。
「で、あいつがアメリカ人」
アフマドが指差した道路沿いのテラス席には、恰幅の良い中年の白人男性がサングラス越しに新聞に目を落としていた。リーバイスのウォッシュド・ジーンズにワーキング・ブーツ、ゆったりとしたシャツがそよ風に靡いている。気温30℃に達する中東でこの格好を貫くのは、確かにアメリカ人らしい。
シャワルマをほぐしてバラしたような「シャワルマ・プレート」は、ゆっくり食べたいときに向いている。通常のシャワルマは春巻きのように巻いてあるから掻き込むような食べ方になる。「牛丼」と「牛皿定食」みたいなものだ。血糖値も安定したことだし、僕は「受胎告知教会」へ坂を登った。

受胎告知教会のエントランスには、世界各国から寄贈された聖母子像の絵が展示されている。どの作品も画家のバックボーンを反映した意匠が凝っている。日本人画家の長谷川路可の手による「華の聖母子」は内部に保管展示されていて、和装の聖母マリアが金太郎のような幼児イエスを抱いている、切り絵のようなタッチが特徴的。一目で日本だと分かる傑作だ。大聖堂ではちょうどミサの最中で讃美歌が歌われていた。僕はこっそりと抜け出し、地下の洞窟に足を運ぶ。大天使ガブリエルがマリアに受胎を告げたとされる場所。人はほとんどいない。ひんやりとした空気にしばし佇み、上階から降り注ぐ霊歌に耳を澄ませた。
少し遠回りして、「マリアの井戸」を訪れる。受胎告知の場所に同定される、もう一つの聖地。外観はこぢんまりとしたモニュメントだが、静謐な雰囲気が漂う穏やかな場所だ。受胎告知教会は、聖書正典の記述に基づいてマリアの「家の跡」に建てられているが、こちらの「井戸」に関する典拠は『ヤコブの原福音書』という初期の外典だ。ローマ・カトリックが管轄する受胎告知教会と違ってギリシャ正教会が管理している。実際の井戸は背後の「聖ガブリエル教会」の地下にあり、今も水が湧き出しているという。
大きなオリーブの樹の影で、人々が風に当たって涼んでいる。清籟に心が洗われる。どこからともなく、鐘の音色が響き渡った。

午後、マーシャとソフィアは旅立った。井上さんと2人でエントランスから見送ると、入れ替わるように東アジア人の男性がチェックインした。スーツをまとった身長180cmぐらいの、大柄でがっしりした姿は明らかに体幹が太い。短く刈りそろえられた頭髪はところどころ白くなっている。40歳手前だろうか。受付で書類にサインすると、まっすぐ立ち上がって右手を差し出した。オーナーの息子もしっかりと握って軽く振る。「なんだ、キッチリしてるんだ」と意外に思った。いつもちょっと大きな声で歌いながら歩き回っている人だから。大きなスーツケースを抱えるように持ち上げて、彼は奥の個室へと移動した。
夜、丘の斜面を一望するテラスで井上さんと過ごしていると、彼が食堂から出てきた。常夜灯の薄暗がりでも分かるほど赤面している。
「いやぁ飲んだよ。ここはクリスチャンが経営してるから、お酒飲めてよかった。ワインが旨いよね」
そう言って手すりにもたれかかって深呼吸した。
彼は上海から出張してきたビジネスマンだった。大手ITに勤めているという。中東の大型案件の地均しとして、さまざまな機関や有力者とパイプを繋ぐのが主な任務だった。酔っていたからか、ここまで教えてくれたのは。筋骨隆々とした体型は、格闘技で鍛えたものだった。
「筋肉じゃない。センスだ。いくら肉があっても遅くちゃ意味がない。顎を打ち抜かれてKOだよ」
ボクシング風のファイティング・ポーズをとって解説してくれた。
「僕IT興味あるんですけど、雇ってもらえます?」
井上さんが振ると、
「大学はどこだ?実務キャリアはあるか?」
といきなり面談が始まった。フットワークの軽さはさすがだ。井上さんは「いや、そこまでじゃないです」と萎縮してしまった。
僕は個人的に気になっていた、現代美術家のアイ・ウェイウェイ(艾 未未)についてきいてみた。学生時代に少しだけ調べたが、共産党の管理体制下であれだけ自由に批判的な活動ができるのが不思議だった。ビジネスマンは苦笑いした。
「あぁ、彼の親戚が党のお偉いさんなんだよ。公然の秘密。中国人はみんな知ってるよ」
やっぱりそうなのか。もちろん噂の域を出ないだろうが、いかにもありそうな話だ。それにしても、地球の果ての聖地の一角で、極東アジア人だけが偶然3人も揃う。その確率はいかほどのものだろう?
「まるで東方の三博士だ」
僕は内心、そう思って嬉しくなっていた。
30分ぐらいそうして喋っていただろうか。彼は深く息を吐くと、思い詰めたように声にした。
「ここは大変な場所だ。アジア、特に東アジアとは、全く違う論理で動いている。この数日いろんな人と会ってきたが、どうも馴染めない。違いすぎる。まるで部外者だ。我々東アジア人は深く関わらない方がいいのかもしれない。この土地の論理(Logic)に」
全く同感だった。僕が胸の奥の奥に燻るように抱いていた思いを、率直に表現している言葉だ。「差別」という表層的な単語に回収できない、何かがあるのだ、この場所には。エルサレムにしてみてもパレスチナにしてみても、言葉で記述しきれない「空気」、緊張感と敵意が質量化して、そこらじゅうに見えない壁のように漂っている感覚に、圧迫され続けている。率直に言ってしまえば我々は「異教徒」であって、そもそものスタート地点から対等ではない。彼ら「啓典の民」からしてみれば、神の救済に与れない者、「見放された魂」なのだ。当然、この視線は我々アジア人のみに向けられるものではない。ユダヤ教徒もクリスチャンもムスリムも、互いにこのエネルギーをぶつけ合っている。それを彼は、「論理(Logic)」の一語に込めたのだろう。
「もちろんどんな国にも社会にも“問題”はある。ユートピアなんてない。君たちの日本社会は安定していて素晴らしいが、経済の伸び悩みや社会保障費の問題がある。中国だってそうだ。経済成長が早いが、追いつけずにこぼれ落ちてしまう人が後を絶たない。一長一短さ。俺は特定の神を信じていないけど、別に宗教嫌いじゃない。偏見も持っていないつもりだよ。まぁただ、“カルマ”は信じるけどね。やったことは返ってくるのさ、必ず。必ずね」
僕も井上さんも、深く頷いて黙り込む。ペットボトルの水を一口飲んで、僕は思い切って質問をぶつけてみた。
「新疆ウィグルって、どう思う?」
政治家でも企業の役員でもない普通の中国市民の意見をきいてみたかった。彼は上を向いて何度か言葉を反芻してから、こう言った。
「シン…ウィ……あぁ“シンジャン”か!あそこは俺たちの土地だ‼︎間違いなくね‼︎」
確かに、どの国にも「問題」はありそうだ。
その時、井上さんが椅子から立って突然叫んだ。
「What’s that !?」
指さす先には、プラチナ色に輝く光の球が浮かんでいる。実は数分前から僕も視界の端に捉えていたが、誰かが飛ばしたオモチャだろうとしか思っていなかった。ふわふわと漂いながら丘の上から降りてきた光球は、僕たちの頭上1.5mほどにとどまった。中心がハンドボール大の光源で、下の方からメラメラと炎が渦巻いている。明るいオレンジとゴールドのような光が周囲を照らし、真夜中のテラスを白昼のように浮かび上がらせた。僕たちは、呆気にとられてただ見つめるだけ。石化したように、ただ呆然と。

30秒ほどだっただろうか。頭上にゆらめいていた神秘の炎は、再びゆっくりと丘を下降して、ゲストハウスの建物の陰に隠れて見えなくなった。テラスを沈黙が包む。
そこからまるで何事もなかったかのように、再び10分ほど雑談を続けたのち、明日に備えて解散となった。あまりにも超常的な「何か」を目の当たりにすると、人は却って冷静になるようだ。
「これはいよいよ東方の三博士だ」
真っ暗なベッドに寝転んで、まどろみながら僕はつぶやいた。メルキオール、バルタザール、カスパールの三賢者は、「星」に導かれたのではなかったか?すでに新時代の救世主は、生まれているのだろうか?とめどないことを考えながら、僕は深い眠りについていた。
後日、日本でクリスチャンの友人にこの話をしたところ、「あぁ聖霊ですね」とこともなげに言い放った。

