突然、食レポライターになってしまった私が料理を勉強した話
■突然、なりゆきで食レポライターになった
こんにちは、TOSHIと申します。53歳の女性です。名古屋のベッドタウンに住む、平凡な主婦ですが、私には、ちょっと変わった経歴があります。
私は、この小さな街にいながら、突然、なりゆきに近いかたちで、42歳でライターとしてデビューして、約5年間、食レポ中心のライティングをしていました。
ライターになったいきさつはこうです。
42歳の時、「ライター募集」の求人広告を見て応募したところ、テスト原稿の審査に合格し、女子向けウェブマガジンを立ち上げる予定の、東京在住の編集長に雇われ、遠隔でSEO対策とライティングの研修を受けました。
後で知ったのですが、編集長は、当時大学生で、女性でした。
そしてまず、約1年間、そのマガジンが休刊になるまで、女子ネタ中心の記事を書きました。
そうしたら、私と編集長は、あることに気がつきました。
「恋愛」「女子のお悩み相談(「足が臭い悩みを書ける人はいませんか?」といわれたこともありました)「美容」――どの記事も真剣に書いていたのに、私がヒットさせた記事は、食に関するものが多かったのです。自分では不思議でなりませんでした。

私は、地方の中小企業の娘で、食べることは大好きでしたが、特別、華々しい経歴や、食に関して専門的に学んだ経験があるわけではなかったからです。
ただ、私の祖母と母は、神奈川県の海育ちで、優れた食材に恵まれた環境で育ち、料理もまめで上手でした。
父は、起こした会社が軌道に乗ってからは、よくおいしいものを食べに連れていってくれたり、買ってきてくれました。
地方の小さな街で、平日はそんなに話題もなかった私たちが、できるだけよい食材を手にいれて、料理を楽しみ、一緒に食べるというのは、私たちの一番大きな楽しみであり、愛情を交換する方法でもありました。
また、母と私は、よく一緒に旅行をして、おいしいものを食べました。
旅先でのディナーは、旅行中の一番楽しい時間でした。
夕食の少し前になると、私は、持参してきた、グルメ漫画や、食に関する本を読んで気分を高め、期待でいっぱいになって食事の場に出かけるのでした。
私は、食について書かれた本が大好きです。時には何回も何回も読み返し、憶えてしまうこともありました。
それを、物心がついてから、ずうっと続けてきた、私の呟きが記事になって、私なりに読まれるようになったのです。

そのウェブマガジンが更新停止になった時に、飲食店をやっている知り合いの紹介で、名古屋の大きな不動産会社の、広報的な仕事の人に会うことができました。確か部長だったと思います。
ヒットした記事を見せると、部長さんは、
「君、写真は撮れる?」
と言いました。
本当は、スマホ以外で写真を撮ったことがなかったのですが、仕方ないので、
「はい、撮れます」
と答えました。
「今度、私たちは、うちのおすすめの賃貸の物件と、その物件がある街を紹介する連載をウェブでやるんだ。物件の近くにあるおいしいレストランを発掘して、食レポの記事を書いてくれないかな」
ということでした。
私は写真を習って、先生がアドバイスした、一眼レフカメラを買いました。大きめのカメラを持って、にわかのカメラマン気取りでした。
そして、この仕事はとても楽しかったのです。
名古屋の郊外に育った私が、市内の、よく知らなかった街を散歩し、いろいろな発見をして、グルメを楽しむのが仕事になりました。どの街も輝いて見えました。
原稿料もけっこうもらえました。気前のいい会社で、1記事で「万」でした。人に話すと、「いい仕事だね」と言われました。
その後、私のライターとしての仕事は食レポが中心になりました。予想外のことでした。
ここまでは、夢のような話だったのです。
■世の中に楽な仕事はない

世の中に、楽な仕事はないと思います。怖いものなしで書いている時は楽しいばかりだったのですが、少し書けるようになると、私にも、いろいろ、意外なことが起こるようになりました。
私は自分の舌を信じています。何かを食べれば、おいしいか、そうでないかは分かりましたけれど、料理について、自分なりに熱心に勉強しているつもりでも、「どういう風に料理してこうなったか」というのが分からない場合がありました。
自分なりに熱心に勉強しているつもりでも、その知識は、ともすれば断片的なもので、独学だと、高度なことを学んでも、基礎的なことを知る機会がなくて、冷や汗をかいたりします。
料理人は、じょうぶで、真面目で、気の強い人が多いと思います。体力のいるお仕事ですし、自分のお店を持っている人ならなおさら、皆さんが、それこそ命をかけて、すごい思い入れで必死に働いています。それを書かせていただくというのは重い責任があることです。
また、ライターの仕事は、原稿を求められるペースが速くて、体力面でもハードな、案外入れ替わりが激しい仕事ではないでしょうか。
当時の私は、今、考えれば体調管理も万全ではありませんでした。ただ、婚活もなかなかうまくいかず、私生活の悩みも多く、消耗しがちでした。
弱っている時は、「私なんかがこういう仕事をしていていいんだろうか」と悩むこともありました。
ただ、私の強みは、世の中の多数派であることです。
世の中で、食事をする人、料理をする人の中で、一番数の多い人、いわば多数派は、セレブな人とは限らず、私のような立場の人のはずなので、
「多数派として、私にしか分からないこと、私の発信できることもあるはずだ」
と思いました。
■辻調理師専門学校 別科通信教育講座を受講

とにかく、知識がないと表現もワンパターンになるし、なんとかならないかと思っていたところ、有名な、大阪の辻調理師専門学校に、別科通信教育講座があるのを知りました。それで、受講することにしたのです。
西洋料理(現在はフランス料理・イタリア料理)、日本料理、中華料理、洋菓子技術講座を修了しました(製パン、和菓子の講座もあります)。
私が40代の時のことで、少し前の話になるのですが、あったままをお話ししようと思います。
「通信教育で料理や、製菓を学べるの? 上手になるものなの?」
とよく言われるのですが、これは勉強になりました。
当時は、まずDVD(現在はオンライン教材)と紙媒体のテキスト、副読本が送られてきます。
自宅で、DVDを再生して、料理の歴史や作り方、食材の知識などの講義を視聴できました。
次は、実際に料理を家で作ってみて、写真つきの課題レポートを作り、それを大阪に送って、添削してもらえました。筆記試験、質問カードもありました。
それが、どの講義も本当に丁寧に作られています。私が驚いたのは、各料理の手順や技法がこと細かに、惜しみなく公開されている映像で、レベルは高いんですが、非常に勉強になりました。
単発の料理教室もいいのですけれど、何度もいうように、それだけだと、得られる知識が断片的なものになりやすいんです。
ここで、基礎的な知識から応用まで一通り、連続した流れで学べるのは、とてもありがたかったです。
年に2回、大阪でスクーリングがあって、生徒の1人として登校し、講義と実習(先生の指導を受けながら、料理などを作る)に参加できます。
一流の先生が真摯にご教授下さるスクーリングは、時にユーモアもあって、本当に楽しく、ためになりました。
■課題の「舌平目のデュグレレ風」で開眼

また、一番衝撃を受けたのは、課題で、難しい料理を自宅で作った時のことです。
それは、「舌平目のデュグレレ風」という料理でした。
舌平目を5枚おろしにして成形し、火を通し、フュメ・ド・ポワソン(魚のだし汁)や野菜、バターなどで作ったソースをかける料理です。
当時のことは、今でも憶えています。買いものだけでも大変。片田舎の家庭のキッチンで、修行だと思って、1人で黙々と料理をしました。
舌平目を5枚おろしにして成形する手間があるし、白身魚のあらでフュメ・ド・ポワソンをとるのも、大変でした。できるだけ丁寧に作りましたけれど、私は本当は面倒くさがりなのです。
正直いって、辛かったです。根気も体力もない私は、できあがった時は倒れそうでした。
それが、それをテーブルに並べて、家族で、「いただきます」をした時のことです。
一口食べた時の衝撃を、私は一生忘れないでしょう。
「な、なにこれ――! おいしいっ! めちゃくちゃおいしい! 私が作ったのに? この渾身の1皿だけなら、そこらの料理人がいい加減に作った料理には負けないんじゃないの?」
横を見ると、母もきょうだいも、料理の美味さと、驚きに悶絶していました。
私の開眼でした。神から啓示を受けた思いでした。
「私でもすごくおいしい料理が作れるんだ! 料理において、『知恵とテクニック』って、こんなに大事なんだ!」
私は40数年、毎日、毎日、「おいしいものが食べたい」と思い続け、飲食に大変な手間と時間とお金を費やしてきたのに、そのことを知らなかったのです。
「料理は芸術のようなもので、才能のある人がフィーリングでサッと作るもの」
「食は3代、セレブな人の料理ほどおいしい」
「愛情があればあるほど料理はおいしくなる。愛がなければまずい」
そんなふうに思い込んでいたのです。
なんというか、私の最終的な夢は作家になることですが、芸術家の世界で一番大切な素質は、才能だと思います。次に努力、運ではないでしょうか。
けれど、ある料理人が、
「料理のうまい、下手に愛は関係ない。才能もあまり関係ない。手順を踏んでいけば、誰が作っても同じようにできる」
と言っていましたが、それは本当だったのです。
もっとも、食べる人への愛があれば、多くの手順、手間暇をかけることもいとわないでしょうから、愛があれば料理はおいしくなるというのはまったくの間違いではないでしょうが、
「料理の上達において、知識と技法は非常に大事なもの」
で、反対にいえば、知識と技法を学べば、学んだぶんだけ、私も料理が上手になる、食に詳しくなれることも可能なはずです。
私は、
「恐れるのはやめよう。その代わり、一生、食について学んでいこう」
と思うことができたのです。
ライターの仕事は、約5年やりました。築地場外市場の理事長インタビューや、豪華客船飛鳥Ⅱの記事も書きました。

その後は、コロナ禍があったり、最愛の家族と、まさかの突然の死別をして病気になったり、とても大変な時がありましたが、52歳の時に、料理好きな、同じ年の優しい男性と結婚することができ、静かに暮らしています。
独身時代は好きにお金が使えましたけれど、50歳を過ぎてからマンションを買うことになり、節約することが多い日々です。
でも、できる範囲ででも、おいしいものを食べ続けて味覚を磨き、勉強することはできます。
最近、久しぶりに、また、辻調理師専門学校の通信教育講座を受講しました。
フランス料理・イタリア料理技術講座のスクーリングのメニューの1つで、イタリアで働いていたことのある先生から、本格的なバーニャカウダを習いました。
生野菜をニンニク風味のソースにつけて食べる「バーニャカウダ」もあって、それもおいしいですが、本来は冬の料理なのだそうです。
帰宅して、さっそく作ってみました。
水とミルクでゆっくり煮たニンニクを裏ごして、アンチョビ、オリーブオイルで作ったソースを、オーブンでじっくり焼いた野菜にかけて食べます。
じゃがいも、にんじんなどの野菜は、それぞれ火を通す時間を変えて。
冷蔵庫にあった1本のにんじんが、専門家の知恵でごちそうになりました。これで、物価高でもおいしいものが食べられます。
夫のそばで、身の丈にあった、ヘルシーなごちそうを食べられて、好きな映画も見られて、私は本当に幸せでした。
私は食を愛しています。書くことも愛しています。どんなかたちでも学び続け、発信を続けていこうと思っています。
