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ネコはどうしてあんなに可愛いのか。ヒトは猫に憧れている【耳で聞くNote】

☟これを再生しながらNoteを見てもらえると、耳で聞くNoteを体感できると思います!速度変えて、聞きやすい速度を探ってみてくださいね。

YouTube版です。内容同じですが、こちらが良い人はこちらから☟


どうもこんばんは!
トトです!

猫が好き、と言いながら猫愛をNoteで全然語っていないので、この溢れんばかりの猫愛をちゃんと語ろうかなと!

でもね、猫愛は表現してもしきれないんです。
なぜならこれは、無尽蔵に湧く無限の愛だから。


でも、この愛の断片が少しでも分かればいいなと思い、全部は無理ですが、私の猫への愛を話します。



猫と過ごしていない人生の方が短い

私は生まれて1歳の時から猫と過ごしてます。
実家の話ですが、近所でうろうろしていた野良猫を煮干しで釣って、実家で飼い始め、その猫を母親のように慕ってました。
その猫がガンで亡くなった後も、不思議なことに、数か月経ったら近所で野良猫が現れたので、実家で保護しました。
その2番目の猫が亡くなった後は、私が我慢できなくなって、事情があって飼えなくなった人から7歳の猫を引き取ったりしました。

多頭飼いは一度もしたことがなく、ずっと一頭飼いで、累計で3匹の猫と人生の大半を過ごしました。
3番目に引き取った猫も、父が亡くなった2年前にほぼ父と同時に亡くなってしまいましたが……。


私は就職と同時に実家から離れていますが、猫がこんなにもいなかった期間は今までありませんでした。
猫好きには分かると思いますが、猫と接していないと禁断症状が出てきます。
猫を触りたい、猫を吸いたい、猫と寝たい……。
その禁断症状が重症化する前に実家に帰って猫成分を補給していたんですが、実家には愛猫はもういません……。


私はそもそも動物全般好きです。
犬もたぬきもウサギもアルパカも馬もラクダもアザラシも、大体ほとんどの動物が好きです。

でも、犬や他の動物の「好き」を100とするなら、猫への「好き」は100,000,000くらいあるので、そもそも比べ物にならないんですよね。
犬が好きか、猫が好きかという問いは、問いとして成立していない、という。

ねこはどうして、こんなにも「可愛い」のか?
そして、なぜ人は、ここまで猫に憧れてしまうのか?

私の長年の疑問です。

そう、猫はかわいいんです。
でも、猫を飼ったことがあるから可愛いとか、うちの猫だけがかわいいとか、そんな生易しいものじゃないです。
もちろんうちの猫が世界一、というか、宇宙一かわいいのは、それは紛れもない事実ですが、それにしても、他の猫もかわいすぎるし、猫という生き物全てが尊い。

「猫って可愛いよね」なんて言葉で終わらせるには、あまりにも何かがもったいない。

ということで、この「可愛さ」の正体には、人が猫に対する憧れがあるのではないかということを、少し真面目に分解してみたいと思います。



丸いものは可愛い。でも「完全な円」は美しい

「かわいい」と「美しい」

まず前提として、私は 「丸い=可愛い」 だと思っています。

  • 大きな頭

  • 大きなまんまるの目

  • 低い鼻

  • 丸いほっぺ

  • ちょっと不器用な動き

こういうのはだいたい「かわいい」ですよね。
これって「ベビー・スキーマ」と呼ばれていて、人間の赤ちゃんの特徴でもあるので、つまりは、人間は赤ちゃんに近いものは本能的に可愛いと感じる、というのがあります。

猫はベビー・スキーマなのでかわいいというわけですね。
ゆるキャラとか、マスコットとかかわいいのを思い出してもらえれば分かると思いますが、基本丸いですよね。
だから、かわいいと感じる。

一方で、人間は、コンパスで描いたような完全な丸 を、「かわいい」よりも 「美しい」とか「完璧」 に感じます。
そして、フィボナッチ数列で表される黄金比の曲線は、「美しい線」の代表例とされています。

フィボナッチ数列(黄金比)


猫の身体って、こういう美しい曲線でできていて、しかも完全な丸にもなれるんですよね。(ニャンモナイト)

  • 少し崩れた丸 → 「かわいい」

  • 完全な円、黄金比 → 「美しい」「完璧」

この二つは、似ているようで違います。

猫は顔はベビー・スキーマであり、体はほぼ「完璧な曲線」でできていて、その丸みを自在に変形させる「可変性」がある。

・香箱座りで長方形になったかと思えば
・丸まって完璧な球に近づき
・箱に入れば液体のように形を変え
・伸びをすれば、1.5倍くらい長くなる
・クリームパンみたいなおてても持っていて
・しっぽは常に流動的

「ほぼ完璧な形を持ちながら、自由自在に崩せる」

これは完璧なんです。
美しいんです。
あれだけ形を綺麗に変えられる動物は猫以外にいません!!!

ということで、猫は可愛いと完璧を両立した形を持っているわけです!


「完璧な形」と「不完全な中身」が同居している

さらに面白いのが、中身というか性格 です。

形は完璧なのに、
中身は本当に自由で、性格は一匹一匹全然違いますし、甘えん坊だったり、マイペースだったり、気分屋だったり、短気だったり。

  • 呼んでも来ないのに、作業していると急に膝に乗って甘えてくる

  • 高貴な顔してるのに、ジャンプに失敗する

  • ごはんを狙っていることを人間が気付くと、見てませんけどみたいな顔で体を舐め始める

  • 急に何かに反応して虚空を凝視する

  • 「撫でてほしい」ときと「一切触るな」という時の差が激しい

このギャップが本当にかわいいですよね……!

形はほぼ「完璧」
でも内面は「一貫性がなくてその場その場で自由」

この 「完璧×不完全」 セット が、人間の感情をくすぐる最大のトリガーなんじゃないかと感じています。

完全すぎる存在って、ちょっと怖いんですよね。
人間でも美人よりも、かわいい人の方が親しみやすいじゃないですか。
失敗しない人は近寄りがたいですけど、失敗を見せてくれる人はかわいいじゃないですか。

人間ってそもそも完璧じゃないので、完璧と比較すると劣等感とか、なんで自分は完璧になれないんだろって自己否定したりします。

でも猫は「完璧っぽい見た目」をしておきながら、中身はちゃんとドジだし、機嫌にムラもあるし、弱さもある。

だからこそ、人間は安心してこう思えるのかもしれません。

「あ、完璧じゃなくていいんだ」
「あのしなやかさや柔軟さは、羨ましいな」
「こんなに自由でもなんとかなるんだな」

というか、この性格の多様さ、本当に人間と同じです。
猫はこういう性格です!猫はこう考えています!みたいな、テレビで猫にアテレコしたり、よく分からん専門家が解説したりしますけど、いや、違うが?猫初心者か?って思うわけです。



進化的に見ても、「猫はほぼ完成形」

ネコ科

そして、ここで登場するのが、進化生物学者アンジャリ・ゴスワミ氏の有名なコメントです。
この方は、ロンドン自然史博物館の研究者で、記事でも紹介されています。

ざっくり言うと、彼女はこんなことを言っています。

ネコ科動物は、あらゆるバリエーションを実現するのではなく、
「肉食動物としての一つの戦略」をほぼ完璧に極めている
だから、大きさや模様は違っても、ライオンもトラもイエネコも、
基本構造はほとんど同じ。

ポイントを並べると:

  • ネコ科動物は世界中に多くの種がいるのに、形が驚くほど似ている

  • 頭骨はライオンとトラですら見分けが難しいレベルで似通っている

  • 歯は「肉を切り裂く」ことに特化していて、雑食用の“すり潰し歯”はほとんどない

  • 「いろんなことができる」方向ではなく、「肉食捕食者として一つの型を極める」方向の進化をしてきた

つまり、他の動物が

「いろんなバリエーションに形や性質を枝分かれして進化していった」

のに対して、猫は

「一つの完成度を高め続けて、そのまま安定している」

という特殊なタイプの成功を収めた生き物だ、ということですね!

ここで面白いのは、

  • 見た目も機能も、変化の必要があまりないほどうまくできてしまった

  • だからこそ、種としての「猫らしさ」はずっとブレていない

という点です。
これ進化学的には、人間と同じなんですよね。

人間も、寒い地域・暑い地域などで肌や目・髪の色は変化していますが、生物学的な差異は実はそこまで大きくありません。
人間は全て生物的には、暑さに強く、寒さに弱い特性を持っています。
それでも、生物的に生存できない寒い地域に住んでいる人が多いのは、寒さをしのぐ方法を確立していたり、料理や文化で対応してます。
つまり、進化的な身体の性質で対応しているわけではないんです。


さっきの「丸さ」と合わせると、猫は「形態的にも、機能的にも、ほぼ完成形まで行ってしまった動物」です。
それを中身を変えて対応していったわけです。

人間も進化的には完成形です。
でも、猫よりは不完全。
だって丸まれないし。

いつも、「どこか欠けている、自分の不完全さ」に悩みがちで、
こういう“ほぼ完成していて、しかも身近に触れられる存在”に
本能的に惹かれてしまうのではないかなと思っています。



変化の時代と、「しなやかに丸い構造」への憧れ

今の時代、人間はものすごく「変化」を求められていますよね。

  • 働き方も

  • 生き方も

  • 技術(スキル)も

  • 価値観も

「一度決めたら一生そのまま」では通用しない世界になりました。
でも、一貫性をもって変化せよ、みたいな矛盾を言われます。

つまり、「ガチガチに固まった構造」だと、もう生きづらい

じゃあ、どうすればいいか?

固定されているように見えつつ、実は内側はしなやかで柔軟。
状況に応じてスッと形を変えられる構造。

これが今の人間にとって理想的な在り方だろうな、と私は思っています。
というか、本来の人間ってそういうものですし。

人間って生きづらいね

そして、そのロールモデルとも言うべき存在。

そう、猫です!

いつも好き勝手に形を変えて、好きな場所で寝ている、あの愛らしい生き物。

  • 普段は丸くて柔らかそうで

  • 必要な瞬間だけ、しなやかにバネのように跳び

  • 基本的には「自分の都合」でしか動かない

  • でも、人間も猫のために自分から動きたくなる

「安定して見えるのに、中身は柔らかく変化できる」

この猫的な構造に、人間は時代の変化とともにますます強く憧れを投影しているんじゃないかと感じています。



好奇心は原初感情であり、上位感情でもある

気になる、見てみたい、やってみたいも好奇心

そして、猫の魅力を語るうえで外せないのが 好奇心 です!

猫って、とにかく「知りたい」に忠実ですよね。

  • 新しい箱 → とりあえず入る

  • 見慣れない袋 → とりあえず嗅ぐ

  • 動くもの → とりあえず追う

  • 少しだけ開いた扉 → とりあえず押す

この「なんだこれ?」が、常に前面に出ている。
でも、警戒してビビってすぐには近づかなかったり、様子を見たり。

人間の好奇心と同じなんですよね。

① 原初感情としての好奇心

発達心理学には アタッチメント(愛着) という概念があります。
ざっくり言うと、

「安心できる“基地”となる存在(養育者)との結びつき」

のことなんですが、赤ちゃんはまず、特定の大人との関係によって「安心」を学びます。
そして、この安心を基地にして、好奇心を発揮して少しずつ世界ににじり出していきます。

  • 生き延びるために環境を知る

  • 危険かどうか確かめる

  • 食べられるものかどうか判断する

ここで動いているのが、まさに 「知りたい」という好奇心 です。

ポイントは、

「安心できる誰かがいるからこそ、怖い世界にも一歩出ていける」

ということ。

つまり「知りたい」は、生存のための本能であると同時に、安心とセットで働く原初的なエンジンでもあります。

だから好奇心は、かなり根っこのレベルにある感情で、アタッチメントとセットにして初めて、「世界との最初のつながり方」を創っている、と言えます。

② 上位感情としての好奇心

一方で、大人になった人間にとっては事情が変わってきます。

  • 疲れている

  • 不安が多い

  • 失敗したくない

  • 正解を外したくない

こういったものが積み重なっていくと、
「知りたい」を回し続けること自体が、かなり難しくなってきます。

それでもなお、

  • 役に立つか分からないことを学びたい

  • よく分からない分野に足を踏み入れたい

  • 「よく分からないけど面白そう」を追いかけたい

という形で好奇心を保ち続けられるなら、それはもはや かなり高度な精神活動 と言っていいと思います。

つまり、

好奇心は「一番原始的なエンジン」でありながら、
大人になってなお回し続けられるなら「かなり上位の感情」でもある

という、ちょっと不思議な二重構造を持っています。


③ 「安心できる猫だからこそ」出ている好奇心

そして猫は、そこを何の努力もせず、自然体でやっているように見えますよね。
でも、本当は違います。

猫を飼っている人は、猫に本当に安心できる環境を作っているからこそ、猫は自由に好奇心を発揮しているんです!
野良猫は安心できない環境だと、好奇心よりも警戒が上回ります。
だから、知らない人には近づかないし、逃げていきます。

だから、うちの猫は好奇心旺盛でやんちゃだと思っているなら、それは自分たちが安心できる環境を作れている証拠なので誇っていいと思います!


そして、そんな好奇心旺盛な猫に人間が惹かれるのは

「本当は自分も、こうやって『好奇心』を発揮したいんだよな」

という、自分の原初エンジンへの憧れ が、猫の姿に重なっているのかもしれません。


「ねこが可愛い」の裏には、「こうありたい自分」がいる

いいなぁ

ここまでの話をまとめると、

人は、猫そのものにだけ惹かれているのではなく、
猫に投影した「こうありたい自分」にも惹かれている

のだと思ってます。

  • 可愛さと美しさの両方を持ちながら、それを自在に変化させられる

  • 完全な形を持ちながら、不完全で自由な内面が同居していること

  • 状況の変化を、しなやかに受け流すような構造

  • 原初感情でもあり上位感情でもある好奇心を、当たり前のように燃やし続けている姿

猫を見て「かわいい……」と溶けているとき、もしかしたら私たちは、こんなふうに自分にも言っているのかもしれません。

「本当は、私もこうありたいんだよね」

だから、今日も猫動画を見てしまうし、猫と暮らしている人は、つい無限に写真を撮ってしまう。

ネコは可愛い。
そしてヒトは、猫に憧れている。

少なくとも私はそうです。
猫のような生き方は、本当に自分の理想的な姿だと思っています!

一度、自分の「憧れ」を言葉にしてみると、自分がどんなふうに生きたいと思っているのかも、少しだけ見えてくるかもしれませんよ?


おまけ:GoogleのNotebookLMにて、本記事を音声解説

この記事を解説するポットキャストも作りましたので、こちらも聞いてみると、この記事における違った視点の気付きがあって面白いかもしれませんよ。これも耳で聞く読書ですね!


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トト@好奇心旺盛 ここまで読んでいただき、ありがとうございました! 私の記事が、あなたの行動を変えるのきっかけになったら嬉しいです!

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