豊かさがおしえてくれたこと。
記憶に残る年頃には、もう、おじいちゃんやおばあちゃんと呼べる人はいなかった。
祖父母との思い出を話せる人たちが羨ましい…。
運動会を見に来てくれること。
神社やお寺さんを一緒に歩くこと。
夏休みやお正月に遊びに行く家があること。
お年玉をもらえること。
そんな話を聞くたびに、わたしには縁のないことなのだと思っていた。
でも…振り返ると、祖父母のような人はそばにいてくれたような気がしてる。
わたしが産まれる前、さまざまな事情が重なり、母は授かっても、産むかどうかを迷っていたという。
そんな母に、叔母は言った。
「絶対に産みなさい。」
「この子はね、将来いちばん親孝行するよ。」
未来のことなんて誰にもわからない。それでも、まだ顔も知らぬわたしの未来を信じてくれていたのだ。
もしあの日、そう母に声をかけていなかったら、わたしの人生は始まらなかったのかもしれない。
こうして、最初の一歩を支えてくれていたのは、叔母だった。
子どもの頃は、悪いことをすれば厳しく叱られた記憶がある。
「ありがとう」と「ごめんなさい」はきちんと伝えること。人の家では靴を揃えること。目上の人には礼儀を忘れないこと。
そんな当たり前のことを、丁寧に教えてくれていた。
怖い人 と思っていたけれど、怒りを引きずる人でもなく、優しく微笑んでくれることも。
今ならわかる。
あの厳しさの奥には、この子が愛される人になってほしい という願いが、隠れていたのだということを。
人を思いやること。約束を守ること。誰かのために動くということも。
背中を見ながら、わたしは、少しずつ大切なことを受け取っていたのだと思う。
叔母は、生き方を教えてくれる人だった。
叔父は、いつも笑っていた。
大きな声で話すことはほとんどなく、自分から前に出るような人でもなかった。
遊びに行くと、叔父はいつも同じ部屋にいた。
何だか分からないけれど、安心できる。叔父は本を読んだり、何かを眺めたりしていた。
部屋には知らない世界がたくさん広がっている。
「これはね、こういう生きものなんだよ。」
そう言って、昆虫やお魚の話をしてくれたり、木や紙を使って工作を見せてくれたり、昔の暮らしや道具の話を聞かせてくれたり、
どれも授業のように説明しているわけでもなく、「どう思う?なんだか面白いね。」そんな空気で話しかけてくれる。不思議と夢中になれる時間だった。
知らないことを知る楽しさ。
自分の手で何かを作る面白さ。
ひとつのことをじっくりと眺める時間の豊かさ。
叔父は、そんな何気ない毎日を教えてくれた。
遊びに行くたび胸が弾んだのは、(今日は何を見せてくれるんだろう)とわくわくとする探究心。
あの部屋は、わたしにとって小さな博物館であり、小さな冒険の場所だったのだ。
高価なおもちゃがあったわけでもないし、遊園地へ連れて行ってもらったりした記憶も、豪華な旅行をした思い出もない。
それでも、叔母の「ちゃんとしなさい」という声と叔父の穏やかな笑顔は、何年も経った今でも、昨日のことのように思い出せる。
残るものは、物ではなく、人だった。
わたしには、記憶に残る祖父母はいない。
けれど、
祖母のような叔母がいて、祖父のような叔父がいた。
だから、あの頃の全てが、さびしい幼少期でもなかったのだと思う。
今でも、母と二人、ときどき思い出す。
「この子は、将来いちばん親孝行するよ。」
人を傷つけてしまった過去もあるわたしが、その言葉に見合う人になれているかは、まだわからない。
けれど、生まれてきてよかった と思える心を、ここにいまも育て続けている。
わたしが生まれる前から、そして生まれたあとも、信じてくれた人たちがそばにいた。
祖母のような叔母。
祖父のような叔父。
気にかけてくれていたこと。
笑い合った時間。叱ってくれたあの日々。
今もなお、ひとりの人生を支え続けてくれている。
ありがとう……。
祖父母のように、わたしの心を育ててくれて。
のぞみん|揺れる乙女、45歳さん
「教えて!おじいちゃん、おばあちゃんのこと」企画に参加させていただきました。
なんだか……知らぬ間に、書いているうちに、やさしい気持ちに包まれました。
ありがとうございます🍃
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